ハリハリノ 玻璃の器の裏方話・平安時代にまつわることなど
 

24 内裏の位置関係(物語の冒頭部しか読んでない方には、ややネタバレ含みます)

内裏の建物の位置関係を表す図解を作ってみました。
とりあえず、物語の前半部分でよろしくお願いします。後半になると、馨君が出世したり水良が出てったりと、ガラッと変わってしまうので。馨君がまだ侍従をやってた頃から、芳姫が東宮妃入内した辺りですかね。

内裏はこういう位置関係になってます。
主上(左下)は大体、清涼殿で政務を取ったり生活もここでしてます。夜のお召しと言って、夜は妃を呼んで事に及ぶので、一番遠い桐壺を呼ぶと、途中、いろんな所を通って来ないといけなくて大変です。
清涼殿の北、藤壺は弘徽殿と並んで清涼殿から一番近いので、 権力者の娘が入ります。内裏を出る前まで、水良も絢子とここに住んでました。王命婦は絢子に、朝顔は水良に仕えていたので、二人もここです。
藤壺から東には麗景殿があります。ここも女御が入ることの多い重要な御殿です。水良を生んで亡くなった水良の母宮はここにいましたが、今は別の女御が住んでいます。
麗景殿の北には宣耀殿、濃子はここに住んでます。梨壺と結構、離れてますね。本来は東宮妃がここにいるっていうのは他の建物が空いてない場合などじゃないかと思うんですけど、濃子は惟彰とあんまり上手くいってないので、これぐらいの距離感がちょうどいいかと。
で、肝心の梨壺は麗景殿の東にあります。東宮の在所ではなく女房がいたという説もあるみたいなんですが、梨壺=東宮のイメージが強くて、惟彰はここに住わせてます。惟彰付き女房の玉里、東宮妃の芳姫、芳姫付き女房の小霧、東宮妃の澪姫もここにいます。
侍従の馨君はいつも大内裏の中務省にいるんですが、内裏の中にも侍従の休憩所があったようなので入れてみました。 主上の小間使いにしては、清涼殿からちょっと遠いんですよね。この後、時代が下ると侍従は蔵人に職務を奪われて形骸化していくらしいんですが、休憩所の位置関係を見ても、何となく察しがつくようなカンジです。

他、紫宸殿は儀礼などを行う場所(即位の礼とか)、校書殿は書籍などを納めた所、仁寿殿は主上が清涼殿を生活の場とする以前の御在所、宜陽殿は代々伝わる宝物を納めた所など、建物ごとに役割があったみたいです。紫宸殿を模した建物は現在、京都でも見られます(平安神宮とか) 左近の桜、右近の橘がある所は大抵、紫宸殿絡みの所だと思って間違いないようです。

図で見ると一発で関係が分かるんですが、文章で説明するのはやっぱり難しいですねえ。そこを書くのがまた醍醐味だったりもするんだけど。図解もあるにこしたことはないということで、参考にしてみて下さいませ。

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