大祓
 

 東一条邸に住む皇子が暁の宮と呼ばれる訳は、その出自にあった。
 主上と弘徽殿女御の間に生まれた嬰児は、祖父大納言行忠の娘婿、式部卿宮柾目の乱心により連れ去られ、姿を消した後、しばらくして発見され都へ連れ戻された。しかし母である弘徽殿女御はすでに亡く、事件のために失脚した行忠に抱かれて内裏を下がった。
 それ以来ずっと参内も控え、皇子の成長だけを楽しみにひっそりと暮らしていた行忠だったが、藤壺女御が生んだ一の宮が立太子して数年のち、念願だった仏門に入った。
 前春宮の妃、行忠の三の姫朱子はしばらく後に内裏を下がり、鄙びた邸で行忠と共に暮らしていた皇子を、前春宮の持ち物である東一条邸に引き取った。朱子としては、慕っていた姉の子が都の作法も華やかさも知らぬまま大きくなっていくのは偲びないという一心だったのだが、都の心ない者は、入内した頃から前春宮の寵愛を得られなかった朱子が、主上の皇子を利用して権力を握ろうとしているのではと噂していた。
 そして月日がたち、東一条邸で健やかに育つ皇子は、いつしか暁の宮と呼ばれるようになった。春宮になり損ねた皇子に、日の出前の暁を重ねたのである。
 都中が主上の一の宮の誕生に沸き返った時から、はや十八年の月日が流れていた。

 
(c)渡辺キリ