玻璃の器
 

 その後、馨君という名も芳璃という名も聞くことはできず、幾年にも渡る主上の命にも関わらず、とうとうその姿をどこにも見つけることはできなかった。
 馨中将が姿を消してからしばらく後、まるで引き換えと言わんばかりに弘徽殿の皇子が見つかった。皇子を引き取った行忠は右大臣に任命されたがそれを辞退し、後に出家して皇子と共に濃姫の菩提を弔い、惟彰の御代の繁栄を願うようになった。それ以来、惟彰の御代は安寧に続き、その御代が次の春宮の代へと変わっても人々は餓えることなく健やかに暮らした。
 若公達が宇治の会恵の元を訪れてから、季節が二つほど移り変わった頃、見目麗しい尼君が、一人の絵師と共に宇治を離れたという噂が都にいる人々に届いた。しかし、尼の行脚は珍しくもない話と、すぐに人々の記憶から忘れ去られてしまった。
 その尼君は左の耳が聞こえなかったが、会った者に功徳を授けるというので行く先々で大切に扱われた。そして、絵師はその尼君に寄り添うように影日向となく仕え、尼君が没するまで尽くし続けたという。

玻璃の器 完
(2006.9/2010.9改稿)

 
(c)渡辺キリ