さらさら、さやさや
さやさや、さらさら
その日、彼は涼やかに乾いた音を連れてやってきた。
さやさや、さらさら
さらさら、さやさや
暁が歩くのに合わせて、笹の葉同士の触れ合う音がする。
「これ、やる」
さらさら、がさり。
突き出された笹の葉がいっそう大きく音を立てる。
「わぁ、ありがとうございます。どうしたんですか、これ」
彼女の背丈の三分の二ほどの丈があるそれを受取ながら、灯里は
尋ねた。
「七夕の笹飾り」
答えながら、暁は羽織りの袂から彩り鮮やかな紙を数枚と短冊を
取り出し、それも灯里に渡す。
ひとつ瞬き、灯里は壁に掛かるカレンダーに目を遣った。
明日から、七月。
銀色の光の帯が濃紺の空を横切っている。
白い舟の舳先には、一週間前彼が持ってきた笹が揺れている。
あの次の日、藍華とアリスが訪れたので、一緒に笹を飾り付け、
短冊をぶら下げた。
波に舟が揺れるたび、風が撫でて過ぎるたび。
さやさや、さらさら
笹の葉と、それを彩る飾りと、願を込めた短冊が触れ合って。
さらさら、さやさや
涼やかに乾いた音を起てる。
夕方まで、ぱらぱらと雨が降っていて、見上げた浮島の向こうには
雲ばかりの空が広がっていた。
昼時のニュースで、今夜の降水確率は50%だと告げた天気予報。
このまま雨は降り続けるかもしれない。
雨は止んでも曇り空かもしれない。
もしかしたら晴れるかもしれない。
「晴れたらいいですね」
「ぷいにゅ」
ペンと新しい短冊を手にとり、今夜晴れますように、と願いを込めた。
「もみ子」
夕方になり暁がようやく訪れたとき、雨雲が途切れて、夕日の赤に
染まる空が広がった。
ただタイミングが合っただけの偶然の現象なのだけど。
それでも、まるでそれは……
「暁さんが晴れ空を連れてきてくれたみたい」
灯里が嬉しそうに目を細める。
暁はきょとんとしたあと、
「おう、感謝しろよ」
といたずらっぽく笑った。
灯里と暁は揃って短冊を飾り、二人と一匹でいつもより少し早めの
夕食を摂った。
空が茜色から紫紺へ、紫紺から濃紺へと変わり、星が瞬きはじめる。
ランタンひとつと、軒下のカウンターから見える所に飾ってあった
笹を手にとり、二人と一匹は灯里の白いゴンドラに乗り込んだ。
舳先に笹飾りを括り付け、それを下から照らすようにランタンを置く。
社屋の傍の杭に繋がれた小舟は、どこにも向かわず小さな波に
ゆったりと揺れる。
並んで腰掛け、揃って夜空を仰ぐ。
今にも降ってきそうな星空を流れる銀色の帯。
ふたりして声も無く魅入っていた。
暁の膝に乗ったアリア社長は、骨っぽい大きな手に撫でられて
満足げにくつろいでいる。
さやさや、さらさら
頬を撫でていく風が心地好くて、灯里はうっとりと目を閉じた。
涼やかな笹の葉の音。
穏やかに寄せて返す波の音。
さらさら、さやさや……
ふ、と唇にやわらかく温かみを感じて息を潜める。
しばらくしてそれが離れていくのを追うように目を開くと、わずかに
眉をしかめ視線をさ迷わせた暁の朱い顔があった。ほんの一瞬前まで
触れ合っていたその箇所は気まずそうなへの字。
何とも形容しにくい表情に、灯里は思わず笑った。
暁の腕が腰にまわり、引き寄せられるまま、灯里は彼の胸に頭を預ける。
数多ある星に纏わる逸話の中の、一年に一度しか会えない夜空の
彼方向こうの恋人たち。
その恋人たちを隔てるという銀の河の手前に風船のように浮いた
島が見える。
灯里は再び瞼を落とした。
手も届かぬ星に想いを托すより、傍らの温もりに言葉を告げたい。
「ねぇ、暁さん。
ずっと一緒にいてください」
「……うん」
ぐ、といっそう強く抱き寄せられるのに灯里は目を閉じたまま
笑みを浮かべた。
さやさや、さらさら
さらさら、さやさや
星降るような夜の恋人たちの話。
............
たぶん、灯里ちゃんの髪がだいぶ伸びた頃の話のつもり