Der Vorleser 4
食べながら、ブルーは色々と質問してきた。
「きみは普段、何をしているんだい?」
口の中でとろけるような肉をもぐもぐと噛み、ごくりと飲み込んでジョミーは答えた。
「役者の卵です。エキストラと劇団と、それからバイト」
網焼きの牛肉は肉汁まで旨い。もう一切れ食べる。
「ああ、成る程」
「え?」
「よく通る声だと思ってね」
ブルーはにこりと笑った。ジョミーは照れながらその笑顔を見詰める。
「それを言うならあなたの声も。良い声してるなって、聴き惚れちゃった。あんな状況だったのに」
「職業柄、マイクは使い慣れているんだ」
「人前で話すことが多いんですね」
「それ程多くはないが、場慣れはする。小さい頃からこの環境だ」
ブルーは海老のポアレを一口食べた。
「…そういえば、きみのお祖父様の会社を継いだのはきみのお父上ではないんだね」
「そうなんです」
ジョミーは昔を思い出し、堪えきれずに笑い出した。
「じいちゃんも父さんも全然その気がなかったみたいで。父さんの誕生日だったかな。じいちゃんが『会社いるか』って訊いて、父さんが『悪いけど興味はないね』って」
「それで?」
「じいちゃんは『やる気はないから安心しろ』って、確かあの時はダッチオーブンをプレゼントしてたなあ」
「きみのお父上のお仕事は?」
「古本屋です。母さんはその隣でカフェやってます」
「古本屋? あの方の息子が古本屋!?」
ブルーは驚愕の表情で叫び、ジョミーは笑いながら答える。
「機械に全然興味がなかったらしいんですよね」
祖父の会社はエンジン全般を扱っていた。ジェットエンジンからおもちゃに載せるモーターまで扱っており、祖父に言わせると、『技術馬鹿の集まり』だそうだ。子どもの頃に祖父の会社の親しい人たちが、一風変わったおもちゃをお手製で作ってくれていたことが、懐かしく思い出される。難しい特注オーダーを受けては嬉々としてそれに取り組み、とことんまで追求することで独自の技術をいくつも開発していた。会社の利益を惜しむことなく、より高い技術のための投資に注ぎ込んでいたという。
ジョミーはよく知らないが、関連業界での評価は高いらしい。
その関連業界に会社をいくつも持っているひとは、深く溜息をつくと頭を下げた。
「…すまない、古本屋という職業に含みはないが、あまりに驚いてしまって」
「そうらしいですねえ。じいちゃんの知り合いが家に来るたびに口ぽかーんと開けてましたから」
「その気持ちは、良く分かる」
ブルーは深く頷いた。
「あはは。父さんが言うには、したい勉強を思う存分させてくれたし、家族を喰わせるのには充分なくらい稼いでるし、会社を貰う筋じゃないって。じいちゃんも、機械に興味ない奴にやったところで会社を潰すだけだからって」
「…潔いのも血筋かな」
コンソメスープを一口飲むと、ナプキンで軽く口を拭う。その仕草は洗練されていて優雅だ。ジョミーは思わず見惚れてしまい、不思議そうな紅い視線を向けられて我に返った。
「なにかついているかな?」
「いえ! ごめんなさい、やっぱりなんか、マナーが身に付いている人の食べ方って綺麗だなって思って」
「きみだって、きちんとマナーに沿った食べ方をしているようだけど?」
「あー…えっと、叩き込まれました。じいちゃんに」
「叩き込まれた?」
ジョミーはこくりと頷いた。地獄の特訓を思い出して遠い目になる。
「出来ないのに出来る振りするより、出来るのを出来ない振りする方が楽だからって」
「…凄い理由だね」
「ぼくもそう思います。でも、役には立ったみたい」
パンを食べて、ワインを一口。
「ジョミー。劇団と言ったけど、今は何か上演しているのかな」
「今は次の公演の稽古中。再来月にやります」
「それでは、それに招待してくれないか」
「はい。喜んで」
承諾すると、ブルーは妙にすっきりした笑顔を浮かべた。ジョミーは眉根を寄せる。三秒考えて、恐る恐る口を開いた。
「…まさかそれで一億チャラにしようとか言いませんよね」
「え? 充分だろう?」
きょとんとした顔を見て、ジョミーは深く溜息をついた。このひとは本気だ。
「全然足りてませんよ! 何言ってるんですか!」
「そう言われてもなあ…」
暫し口を閉ざし、ブルーは言いにくそうにジョミーに視線を向けた。
「ぼくは金銭的な意味で困っている事がないんだよ。今の生活に不自由もない」
ジョミーは沈黙した。それはそうだろう。世界有数の大金持ちだ。
「一億はぼくにとっても安い金額ではないが、しかし手元にあっても早々使うものでもないから、正直痛くもかゆくもない」
「…はあ…そうですか…」
「今回のことは、ただぼくが自分の気の済むようにしただけなんだ。きみの感謝を求めてのことでもない。だから、もう充分なんだ」
「……うう」
ジョミーは唸って頭を抱えた。ブルーは苦笑する。
「そんなに悩まないで欲しい。繰り返しになるが、きみのお祖父様に少しでも恩を返せたようで、ぼくには充分なんだ」
「ぼくには全然充分じゃないんです」
ここで、彼の言う通り厚意として受け取ってしまえば、返すことはもう出来ない。かと言って、出来ることなど全然思い浮かばない。
「失礼します」
ギャルソンがブルーに何かを囁き、ブルーは頷いて了承を示した。ギャルソンが部屋を出てすぐに青年が入ってきた。オークションの後で会った、ブルーにリオと呼ばれていた青年だ。穏やかな表情の彼は一礼すると、ジョミーの方へ歩み寄った。
「あなたの財布と携帯電話です。間違いがないか、後で構いませんので確認して下さい」
食事の席で財布の中を確認するのは確かに良くないだろう。ジョミーは頷くと、溜息をついた。リオは首を傾げた。
「ご心配事ですか。あなたの服なども回収してきましたので…」
「あ、有り難うございます! でもそうじゃなくて」
ジョミーは簡単に事情を説明した。
「成る程」
リオは頷くと、少し考えてにこりと笑った。
「では、こういうのはいかがでしょう」
「?」
ジョミーとブルーは軽く目を見合わせ、リオを見た。
「この方は本がお好きで、朗読を聴くのもお好きです。ですが、SPや身元調査を煩わしく思われて、なかなか外にお出になりません。それで、困ったことに」
本当に困り顔で、リオは溜息をついた。
「仕事中の使用人を片っ端から掴まえて朗読させては、気に入らないと言って不機嫌になるのです。読んだ者に対して当たらないのはご立派ですが、ぼくとしては本当に困っておりまして」
「リオ!」
ブルーが慌てた声で制止したが、リオの笑顔は崩れない。
「どうでしょう、時々で構いませんのでこちらの屋敷に来て、この方の相手をして頂けませんか。あなたは役者だと言うことですし、ぴったりではないでしょうか」
「ぼくで役に立てるなら、是非」
ブルーが何かを言いかけるが、その前にジョミーは立ち上がってブルーを見詰め、頭を下げた。
「お願いします!」
「――……」
ブルーは眉根を寄せて目を伏せ、長い溜息をついた。
「落とし処としては妥当、ということにしておこうか。済まないね、きみを煩わせるつもりはなかった」
「どうして謝るんですか? ぼくの方がお世話になってるのに。大体、それくらいのことで返せる額じゃないですから。出来ることくらいさせて下さい」
「いや、充分じゃないのかな」
ブルーは悪戯っぽく笑った。
「きみが大成すれば、金額では換算できないプレミアの付く権利だよ。一億どころではなくなる」
ジョミーは困って金髪をくしゃりと掻き回した。
「…いずれは役者一本で食べて行ければとは思ってますけど、そこまでになれるかな」
「なれるよ。きみなら」
ブルーは微笑んで、軽く組んだ指の上に顎を乗せた。
「なにしろ、あの場から逃げ出すために、オークションに掛けられている最中でも演技をする度胸があるんだ。命に関わる場面で、そうも平静でいられるのだから。一角以上の俳優に、きみはなるよ」
ブルーはきっぱりと言い切った。
「え?」
翠の目が瞬く。確かに逃げ出すことを考えて、椅子の上で諦めた振りをしていたが、演技だと見抜かれていたとは思わなかった。
ジョミーは溜息をついた。
「気付かれてたんだ。もっと力付けないと駄目だなあ」
「そんなことはないよ。あれだけ啖呵を切ったきみが、そう簡単に諦めるはずはないと思っただけだ。そうじゃなかったらどうしようかと心配になって、勝負を急いでしまったけど」
「それで一億ですか」
「十億の方が良かったかな」
「なんでそうなるの!?」
ジョミーは仰天したが、考えるブルーは真顔だ。
「いや、人に付ける値段として失礼ではなかったかと」
「えー…と、充分だと思います…」
「そうか。きみの気に障らなかったのなら良かった。それから」
「はい?」
「来るのは、きみの時間が本当に空いているときで構わないから。その代わり、事前に連絡をくれるかい?」
「あ、はい。分かりました」
こうして、ジョミーに付けられた値段はかなり変わった形に落ち着いた。
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