<回想>
ハルは雨の夜道を、傘も差さずに歩いていた。
辺りはアパートや民家が密集し、幾つかのカーテンの引かれた窓からは明かりが漏れていた。
黒髪の頭に白銀色に輝くカチューシャは雨雫でわずかな街灯に光り、雨で肌にぴっちり張り付いた薄いレオタード状のバトルスーツが、少年の身体の凹凸を浮き上がらせ、素肌を透かしていた。
腿から膝を伝った雨水が、両膝から下の白い羽の生えたブーツの中まで溜まりこみ、歩を進めるたびにガシュガシュと音を立てていた。
目標を追ってこの世界に送り込まれたは良いが、右も左も分からず、何処で寝たらいいのかさえ決めていなかった。
若干の日本円、米ドルの現金を持たされたのが全てだった。
漫画喫茶は宿泊に使えると習ったが、子供の(ように見える)自分が深夜行くと補導される危険があった。
#ていうか、そんなエッチな格好で街中を歩いたら100パーセント痴漢に遭いますヽ(゚∀゚、)ノ
雨音で、周囲の音は掻き消されていた。
黒髪に装着されたカチューシャに埋め込まれた、センサーの反応だけが頼りだった。
魔物は近い。一匹、このそばにいることだけは間違いないのだが。
髪から垂れる雨水を拭うと、左腿に巻き付けた金属リング・・・ここには武器小物を引っかけられるようになっている・・・からナイフを取り外した。
さあ、どこだ。
ハルにとって、たった一人での戦闘経験は初めてだ。
研修施設で魔物に関するレクチャーと戦闘訓練は受けたものの、マニュアルがどこまで通用するだろうか?
下手をすれば、今夜がこの世界にきて最初で最後の夜となるかも知れぬ。
黒い袋が積み上げられた、ゴミ捨て場の横を通りがかったときだった。
ぬめぬめした縄状のものが右足首に巻き付いてきた。
【 『触手獣:ブラッド・オクトパス』
物影から獲物を伺い、背後から攻撃を仕掛けてくる。
そのさい足を取ろうとしたときは・・・蹴り上がってこれを避け、ばく転機能で空中回転し相手と対峙する。
瞬時に数を把握するとともに、戦闘体制をとるべし・・・】
カチューシャから攻撃マニュアルの文章が脳に流れ込んでくる。
瞬間に飛び上がろうとしたが、ばく転できず着地に失敗し、そのまま道路に転がってしまった。
どうやらブーツに入力された重力データを、地球のそれにセットするのを忘れていたらしい。
右足首に触手が巻きつき、ゴミ捨て場の方向に雨の路上を引きずられてしまった。
アスファルトが左腿に食い込んだ金属リングとこすれてかしゃかしゃと音がし、レオタードから伸びた新鮮な腿と尻肉に擦り傷を作った。
ハルは引きずられながらも、右足に巻き付いた触手をナイフで裂いた。
白いブーツの羽根が触手の体液で緑色に染まった。
だが、ゴミ袋の中から突き出てきた何本もの生ゴミ臭い触手がハルの身体に巻き付いた。
さっきよりふたまわりも太い触手が胸と腹部を絞めつける。
触手は地球の軟体動物と同じく筋肉でできている。
アスト星人の肉体は地球人のそれとほとんど変わらぬが、少しだけ頑丈にできていると思う。
回復が特に早い。
それに自分の纏うパワードバトルスーツは巧みにダメージをコントロールしてくれるし、
カチューシャから脳に直接働きかける一種の麻酔機能が、すぐに痛みを遮断してくれる。
だから痛いのは打撃を受けた直後だけだが、逆に命が危険に冒される致命傷を負っても、そのまま死ぬまで戦い続けられることを意味する。
またパワードバトルスーツの送り込む「精力」の副作用として、特に年齢の若い男子の場合、(意に反して)性器に勃起をもたらす。
スーツの数個所についている金属が白い生地を張り上げ、レオタード状に胴体を包み込む仕掛けだが、実はこれは女性用兼若年者用だ。
大柄な成人男性向けには、より肌の露出が少なく広範囲を防御できる全身タイツタイプのバトルスーツが支給される。
ただ、ダメージコントロール機構自体に違いは全くなく、肉体のサイズが小さくても流れ込むエネルギー量が同じであるため、副作用として性器を勃起させてしまうのだ。
ギリギリと締め付けられるにつれ、レオタードの股間のささやかな膨らみが、まるでスイッチが入ったかのようにだんだん支柱をもたげてテントを張っていた。
なんとか右手で触手にナイフを突き立てると、締めつけが激しくなった。
そのあまりの強烈さに反吐を吐いた。細い腰に収納された内臓が、口と尻から飛び出してくるのではないかと思った。
太股を伝って、尻穴から生暖かいものが垂れ出る気色悪い感触があった。
プチプチという肉繊維の弾け切れる音と、パキポキという骨の軋みが、自分の体内から聞こえた。
きっと肋骨の何本かにヒビが入ったか、折れたかに違いない。
まるで体外から直接内臓を揉まれているようだった。口から血を吐いた。
だが少年の悲鳴は、大雨の中にかき消された。
ハルは懸命に抵抗し、ナイフで触手を何度も突いた。
顔に緑色の体液の飛沫がかかった。
すると一本の触手の先端が爪を剥き、少年の肩を突き刺した。
続いてもう一本の、ナイフ状に鋭利な爪の側面が、へそのあたりを横に裂いた。
少年は真っ赤な血の溢れる腹を両手で押さえた。
大丈夫。肉を抉られただけだ。
もうあと数センチ深かったら腹膜まで達して、裂け目から流れ出たピンク色の腸をかき集めなければならなかったところだ。
肩に突き刺された爪の先端からチューッと音を立てて、痺れ麻酔が注入されていくのが分かる。
爪で注入される程度の量の麻酔で死ぬことはないが、意識を朦朧とさせ、全身の自由を効かなくさせる。
動けなくなったハルの肉体はゴミ捨て場と道路を挟んで向かい側のブロック塀に、何度も打ちつけられた。
ブロック塀を背に尻を地面につけると、触手が離れ、腹に思い切り太い触手の鞭がめり込んだ。
また血を吐いた。
だのにテントは最高に高くなり、辛うじて股間を隠す面積しかない布を持ち上げ、隙間をつくっている。
その隙間を目ざとく見つけた細い触手が、バトルスーツの内側に入り込んでくる。
破れた腹部から入り込んだ、細く棘のある触手が乳首に巻き付き、テントに入り込んだ触手は支柱に巻き付いた。
どうやらエネルギーを吸い取っているようだ・・・。
テントが急速にしぼんでいく。
朦朧とする意識の中、さっき肩を突き刺していた爪が、顔前にあるのが見えた。
エネルギーを吸い尽くしたら、脳を一突きして殺すつもりなのだろう。
その後は・・・マニュアルによれば、ハルの肉体はご馳走だ。
けど・・・もう僕にはなにもできないようっ・・・お母さん、さようならっ・・・
ハルの頭に向けられた爪が振り下ろされようとしたその時、たまたま道路をトラックが通りがかった。
道路を挟んだゴミ捨て場から伸びた触手は踏み潰され、ちぎれ飛んだ。
触手の本体は金属を引き裂くような声を上げながら、下水のマンホールの中に逃げていった。
ハルは一人残された。
だが麻酔が全身に回り、もう動けなかった。
降りしきる雨が体温を奪っていく。
僕・・・このまま死ぬのかな?
最後に空を見上げたとき、地球人の青年が見下ろしていた。
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