数分後、ユニットバスから女の子のような悲鳴が聞こえた。
びっしょりのまま、一糸纏わぬ素っ裸で飛び出してくるハル。
「バグ(虫)が・・・バグがぁぁああぁぁ!」
見ると、濡れたハルの全身のあちこちに1〜2センチほどの、小さく茶色く透き通った羽根が付着しており、
黒い虫が7〜8匹、顔や胸や尻のあたりを這いまわっている。
ユニットバスの中を見ると、数十匹の黒い虫が飛んだり這ったりしていた。
「これは・・・・羽アリだ!!大家さんに連絡しないと!!おいハル、これどこから湧いてきた???」
「ててて天井・・・天井の穴!蓋の隙間から木屑がパラパラ落ちてくるから変に思って蓋をずらしたら、いきなりぱぁーーっと湧いてきて・・・・
僕、こんな虫はだめなんだよ・・・うわっ、ぼぼぼ僕の身体にまだついてる!お尻がかゆいっお尻の穴に入られたかもしれないっ うわぁあぁぁぁあぁぁあおち◎ちんの皮にくぁwせdrftgyふじこlp;・:@」
ハルがパニクっている。
羽アリはシロアリの成虫である。
おそらくユニットバスの天井の蓋の隙間を伝って屋根裏に溜まった湿気が、シロアリを繁殖させたのだろう。
パラパラと落ちる細かい木屑は、シロアリの食い散らかした証である。
てっきり鉄筋と思っていたこのアパート、実は木造モルタルだったらしい。
俺は落ち着いて天井の穴のずれた蓋を閉じると、ガムテープで隙間を塞ぎ、殺虫スプレーを散布する。
部屋の隅で裸でうずくまっているハルに、タオルをかけてやった。
腿の間から縮んだ袋が覗いていた。
「さあハル、もう大丈夫。服を着ろ」
「えーん、死ぬかと思った」
ハルは涙目だ。
「あれは木造家屋を食い散らかす害虫だが、人間を殺すことはないよ。もう安心だ」
「・・・友達が、アレにそっくりな虫にやられたんだ。皮膚を食い破って身体の奥にまで入り込んでくる、肉食の寄生虫で・・・」
俺はハルの濡れた黒髪を、そっと撫でてやった。
「ようし、もう大丈夫だ。」
さっきコップに注いで、飲んでなかったスポーツドリンクを口に運んでやると、ようやく落ち着きを取り戻した。
ハルの体温に乗って、ふわっと、いい匂いが俺を包み込む。
「さあ、パンツ履けよ」
ブリーフをハルに投げてやった。
その時だった。
ピンポーン♪
ドアのチャイムが鳴った。珍しい。客だ。
「だいたい休日の昼間から予告もなしに訪ねてくる客にロクなのはいない。
新聞勧誘か何かだろ。居留守使うぞ。ハルも静かにしていろ」
「居留守って・・・。エアコンがついてて、勢い良く電気メーターが回ってるから、在宅中なのばればれだよ」
俺たちは息を潜めていたが、何度も執拗にベルを鳴らしてくる。
いつもはすぐ帰るのだが。
それに隣の部屋をノックしている気配もない。
しばらくすると、女性の声がした。
「宅配便デース♪」
ああなんだ、お中元かな?
俺はドアに手を伸ばした。
「開けちゃだめだ!そいつは敵のスパイだ」
はっとしたハルが叫んだときはもう遅かった。俺は疑いもなく「がちゃっ」と開けた。
そこには鈴村先生が立っていた。
「広瀬くん、こんにちわ。宅配だって嘘ついてごめんなさい。お話があるの・・・
こちらに小学生ぐらいの男の子、いないかしら?」
「・・・。」
なぜ、鈴村先生がいきなりうちに?
状況が飲み込めないまま、俺は無言で部屋の奥を振り返った。ハルは物陰に隠れている。
「ハル、隠れたって無駄よ」
「鈴村先生・・・、どうしてハルのことを?目的は何ですか?」
「息子が無茶やってないかと監視に来たんですよ・・・広瀬さんにも迷惑、かけてないですか?」
なに?ハルの母ちゃん?
鈴村先生の頭にカチューシャはないが、アスト星人なのかな?
「私は地球生活長いから言葉の問題はないの。下手にカチューシャつけてると魔物に狙われるし」
俺の心を読むかのように、冷たい眼差しが見つめる。
「広瀬君、早くそこを通してちょうだい。就職活動中に英語の授業、受けたい?」
俺は鈴村先生を通すしかなかった。
「さあハル、帰るわよ。私のマンションにいらっしゃい」
「やだよぉ・・・僕はここにいるんだっ」
鈴村先生はハルの頬に平手打ちをした。
「あのブログは何ですか!地球上では公表することを認められていない内容を並べた上に反体制的なアジ演説、しかも目的が金儲けだなんて!」
その光景はさながら、家出小学生を連れ返しに来た母親であった。
「それに!この本は何ですかこの本はぁ!」
あ・・・それは俺のエロ雑誌。
「悪い子は、お仕置きです!カチューシャが性欲コントロールしているからって安心してたらこれだわー!」
ハルを鼓のように抱き抱えると、パンツをずりおろし、引き締まった生尻を平手でパシパシと叩き始めた。
「こんなことしてる暇があったら!連邦政府に報告の一つでもあげたらどうなのよ!?捜査の進展もないんでしょ!?」
尻が真っ赤になるまで叩くと、ハルを床へ落とし、股間にグリグリと電気あんまを始めた。
「おまえを、こんなふうに、育てた覚えは、ありません!」
いつもの大口を叩くハルは、そこにはいなかった。
鳴き声とも呻き声ともつかぬ声を上げて泣いていた。
痛ましくて、見てられなかった。
「あー先生・・・じゃなくてハル君のお母さん!そのへんにしてあげたら・・・」
「広瀬君は黙ってなさい、これは私たちの家庭と、宇宙連邦の情報管理の問題です!」
先生が最後に膝蹴りをハルの下腹部に食らわせると、ハルは倒れたまま動かなくなった。
ハルの細い腰のあたり、ブリーフにほんのり浮き出た男の子の膨らみ上にしみが広がった。
「この程度で伸びるおまえなんか!戦士失格です!」
「痛い痛い痛い痛い」
ハルの耳たぶを引っぱり、アパートの通路に連れ出す。
そのまま階段を下りると、左ハンドルのRX-8が路駐してあった。輸出仕様の逆輸入車なのだろう。
泣きじゃくるハルを右側の助手席に押し込み、RX-8を発進させようとする。
ハルは助手席の窓に顔をすりつけて、涙目でこっちを見つめている。
あたかも、二度と故郷に戻れない強制収容所に移送される、列車の窓ごしに外を見つめる捕虜のように。
「お願いです!やめてあげて!ハルくん・・・嫌がってるじゃないですか。こんなハル・・・初めて見ました」
俺は両手をかざしてRX-8の前に立ちふさがった。
「あのブログは俺の生活費を稼ごうと・・・ハルくんは思いやりのあるやさしい子です!」
クラッチを切ったエンジンの空吹かしが俺を威圧する。この甲高い咆吼はロータリーエンジンだ。
「お願いです!俺はハルくんを親友だと思ってます!使命を果たすまで・・・これからも一緒に暮らしたい」
「先生」はしばらく考えたふうだったが、やがてシフトをニュートラルに戻しサイドを引くと、ドアを開けた。
「ふーーーん、ハル、いいお友達を持ってるじゃないのぉ・・・・」
ハルはドアに体を寄せ付けてガクガク震えていた。
「いいわよ、今回に限っては不問にしてあげる。そんなにこの子が欲しいなら、あげる。ミッションが終了するまでね」
先生は助手席のドアロックを解除した。
「けどね、私はいつでもハルを監視してるし、ちょっとでも無茶な真似をしたら連れ戻しにきますからね!」
ハルはドアを開け、パンツ一丁のまま、道路に倒れ込んだ。
RX-8は後輪をホイールスピンさせながら走り去った。
「お・・おおいハル!大丈夫か!?」
俺は失神したハルを抱き抱えると、アパートの階段を上がって行った。
股間がおしっこで濡れていた。またお風呂に入れなければならないな。
ハルが立ち直るのに数日かかった。
その後、さっそくブログの大幅書き直しを余儀なくされたのだった。
アパートの管理会社がシロアリの件を見に来たのはさらに数日後だった。
結構、いい加減なものだ。
← Back
→ Next
△ Menu