不気味なほどに赤い夕焼けを背にした梶川なつきの影が、応接室の奥まで伸びていた。

「私の車で、広瀬さんをお家まで送るわ」

「そんな・・・嬉しいけど・・・ハルを・・・ハルを置いて帰れないよ!」

俺は頭を抱えた。
無事だったとして、地球の土地勘のないハルが俺のアパートまで、一人で帰れるわけがないじゃないか。

「ねえ、広瀬さん」

なつきが一瞬、ちょっと困った表情を浮かべたが、落ち着いて俺に語りかける。

「ハルくんはあなたの弟なんでしょ? あなたがハルくんを信じてあげなくてどうするの?」

「・・・・。」

「どんな事情でどんな相手と戦ってるのかは分からないけど、私はね、あの子を信頼してあげたいの」

「・・・なつきさん・・・」

「第一、今の段階で私たちがしてあげられることは、待つほかに何もないのよ?
 むしろハルくんが直接あなたの家に帰ったとき、真っ暗で誰もいなかったら、きっとガッカリすると思うな」

その時、しばらく席を外していた植村マネージャーが戻ってきた。

「梶川さん、お車の準備ができました」

なつきは立ち上がった。

「さあ、帰りましょ!あなたの家へ」


遊園地の管理棟前はマスコミが詰めかけ、警察が対応に追われていた。
人目の多い玄関を避けた裏ゲート前に停まっていたのは、黒いBMW525だった。
事務所の車らしい。
質実剛健というか、細部までそういうデザインにせざるを得なかった必然性が感じられるまでに機能美の融合したドイツ車にあって、
このフロントマスクの眉毛ウィンカーだけはいまだに違和感を感じてしまう。

マネージャーが運転し、なつきと俺は後部座席に並んで座った。

リアでも背骨をガッチリとホールドするシート、コツコツと道路の継ぎ目を適度に、むしろ心地よく伝えてくる足回り。
スピードメーターの針は時速80キロを指しているのに、体感的に時速40キロほどで走っているようにしか感じられないほど安定している。
剛性の高いボディ、コーナーでもヒヤリとするロールの少ない、踏ん張りの効くサスペンション、
大きく重いボディでも確実に停めるブレーキの安心感は、日本でもドイツ車オーナーが多いことを頷かせるに十分なものだった。

アパートに着くまでの小一時間、憧れの梶川なつきとドライブだ。いまだに隣にいるのが信じられない気もする。

「あの・・・なつきさん・・・・」

「『なつき』でいいわよ?どうせ普段は呼び捨てなんでしょ」

内心、ハルのことが心配でたまらない俺を気遣ってくれているのだろう。
きわどい話題を問い詰められるでもなく、アイドルの日常生活など当たり障りのない会話で緊張をほぐしてくれる心遣いが嬉しかった。

梶川なつきって俺より年下だろう?
年下の女の子に励まされてしまった格好だけれど。
とても頼もしく感じるのは、何故なのだろう?
後部座席に並んで座るアイドルは、テレビやグラビアで見て想像していたより小柄で、繊細だった。
けれどこの子が「大丈夫よ」と言えば、本当に信じられそうな・・・。

おしゃべりが一段落すると、なつきは澄んだ声で歌い始めた。
遮音のいい高級車。聴いているのは俺と、運転席の植村マネージャーだけだ。
三人だけの、トークショー第二幕だ。
無理してないからなのか、PAの性能が悪かったのか? 昼間ステージで聞いた時よりもずっと上手く聞こえる。

ヒット曲から、コアなファンしか題名の浮かばないマイナー曲まで。
最後の曲は亡き弟、梶川勇気のことを唄ったバラード「星空の君に」だった。



♪たとえ今日君が帰らなくても あたしはこの部屋で待ち続ける
♪君のフルートの音 いつも心に響いてるから
♪あの夜誓った星空の 約束信じてるから いつまでも信じてるから・・・

♪あたしが初めて君の名呼んだとき 天使のような微笑みくれたね
♪けれど君はもう この星空の下にはいない
♪君は戦い続けた 強く 気高く 勇ましく 未来のため
♪彗星のように姿を消した

♪けれどあたし いつまでも待ってるから
♪天(そら)の星になって 守ってくれること 信じて生きるから・・・



シングルで売り出されたわけではなく、アルバムCDの最後、ひっそり収録された曲だが、
なつきにとっては大切な、思い入れ深い一曲だったに違いない。


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楽しくも不安な時間は過ぎ去り、俺が通学に使う私鉄駅が近づいてきた。
日が落ち、すっかり暗くなっていた。
別れの時間が刻一刻と迫るにつれて、「なつきにだけは本当のことを伝えたい」 という衝動が心にもたげてきた。
なつきなら・・・いや、なつきだけは、ハルのことを正しく理解してくれるのではないだろうか?
俺は意を決して切り出そうとした。

「あの・・・実はハルのことなんだけど・・・」

その先を言おうとしたとき、訴えるような視線に遮られた。
「そこから先は言わないで」 と言っているかのように。

「身内の内緒は軽々しくしゃべるもんじゃないわよ?
 今はハル君が無事に帰ることだけ考えて。いつもどおり迎えられるように・・・ね?」

なつきはあのテレビで見せる100万ドルの笑顔を俺に向け、俺の手を握ってくれた。

#それはまさに、夜な夜ななつきのアイコラでち○こをしごいている手だったのである

車は幹線通りから住宅街の路地に入った。

「うっわー、このあたり、大地震とかで火災でも起きたら大変ね」

「まさに狭い道を挟んで家やアパートがひしめき合ってますね」

BMW525の車幅で対向車と辛うじてすれ違える狭い道を、植村マネージャーは注意深くゆっくり走らせていき、
俺のアパートに近いコンビニの前で停車した。

「どうも送っていただき、ありがとうございました」

車を降り、梶川なつきと植村マネージャーに一礼する。

「これ、忘れ物」

渡されたのは梶川なつきがひざの上で抱きしめるように持っていた、命の恩人・・・ハルの服だった。
バタンという乾いた重厚な響きとともに、BMWのドアが閉まる。

スモークフィルムの張られたリアウィンドーを下ろし、「またねー」と手を振りウィンクするなつき。
俺は車が見えなくなるまで見送った。

アパートのドアを開けると、真っ暗な中からムッとした熱気が吹き出してきた。
俺はエアコンをつけると、さっきコンビニで買った弁当を円卓に並べた。
一つは俺の分。もう一つのはハルの分だ。


・・・そうだ。俺がハルを信じてやらなくてどうする?


座ってテレビをつけると、遊園地の「事件」のことを報道していたが、怪物が何物であるか?とか、
消えた謎の少年の足取りなど、具体的なことは何一つ分からないといったふうだった。
怪物は軟体動物の突然変異ではないかと、出演した俺の大学の生物学教授が言ってた。
少年の流した血液も、警察がDNA鑑定を行っているらしい。

ハル、生きていてくれ・・・!!!




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