バトルスーツ姿のハルが、暗く長いトンネルの中を走っていた。
ハルの前を走っているのは、パートナーを組むサーベスだ。栗色の長く美しい髪と、肉付きの小さい尻が揺れていた。
細いけど頼りになる背中。サーベスの掲げる電子たいまつだけが、行く先を照らしていた。

「ねえーサーベス、どこまで行くんだよー?」

サーベスは答えずに、黙々と走っている。

「ねえ、サーベスってば・・・」

そのとき、背後から呼び止められる声がした。

「ハル・・・置いてかないで・・・」

「待って・・・助けてくれ・・・・ハル・・・」

ふとハルが後ろを振り返ると、怪物に殺されたはずの戦友達が手を伸ばし、ハルを追いかけてきていた。
皆、何かを訴えかけるような青白い顔をしていて、足がない。その数はだんだん多くなり、ハルを呼ぶ声も大きくなる。


「うわぁぁぁああぁぁあぁああサーベス!助けてぇぇぇぇえ!!!」


サーベスの腕を掴んだ瞬間、その身体が無数の羽虫(バグ)に分裂した。
バグがその鋭い顎で、ハルの全身に取り憑き肉をかじり始める。
見る見る穴だらけになっていくハルの身体。その穴深くにバグがたかり、潜り込んでいく。


「痛い・・・・痛い・・・・!!サーベス!!お母さーーん!!!」


生きながらにして無数のバグに食われていく絶望と恐怖。
やがて全身の感覚がすうっと消え、意識がなくなっていく感じがした。






・・・あ・・・痛・・・い・・・


ハルが目覚めたのは、薄暗く薬品臭い医務室だった。
地球では見られない、宇宙最新の医療機器が所狭しと並んでいるが、
陰気臭いのは部屋自体が古いからだけではないだろう。
ここはかつて何人もの戦友が傷つき担ぎ込まれ、息を引き取った場所でもあるのだ。


(また、あの夢か・・・)


ハルは幾つか並んだ白いベッドの一つで、布団の中に素っ裸で寝かされていた。
胸や腹、腕などに包帯が巻かれていた。


「誰に会いたいって?」

薄い白髪に銀縁の眼鏡。
威厳高い皺を面長な顔に刻んだ老医師が、その上品な顔に似合わずケラケラと笑った。

「・・・あ・・・ケマリ先生」

ケマリがいるということは、やはりここは宇宙を飛行するアスト星防衛軍所属の、駆逐艦の医務室だ。

「随分とうなされておったようじゃが・・・気分はどうかの?」

「そのうち落ち着くと思います」

ハルとケマリとの関係は古い。
ケマリはハルが幼い頃、アスト星のとある町で、ハルの家の近所で開業医をしていた。
生まれつき身体の弱かったハルはよく、母に連れられケマリの医院に通った記憶がある。

宇宙の権威ある医学雑誌に寄稿するほどの頭脳と腕前にもかかわらず、
一流の大学病院のオファーを断り、片田舎で小さな医院を経営していたケマリ。
突然医院を閉め、軍医として救命治療の最前線に立つ決意をしたのは、ハルが10歳の頃だった。
閉院を知ったハルの母はケマリに懇願したものだ。
「先生がいなくなったら、ハルはどうすればいいのですか?」と。
その問いに、ケマリは穏やかに、微笑んで答えた。

「子供は10歳を過ぎれば、そう熱も出さなくなります。ハル君はもう安心ですよ」


象牙の塔に籠もらず、常に現場主義を貫く誇り高き先生。
腕が立ち、子供好きの優しい先生。


・・・・それが、世間がケマリを見る『オモテの』イメージだった。


「久しぶりじゃなハル。大きくなって、エロカッコカワイくなったのう」

「・・・僕、生きてるんですか?助けてくれたんですね?」

「ああ、安心せい。腹ん中に産み付けられた卵は抜いておいたぞい?・・・ハ・ル・きゅ〜ん」

そう言うと、老医師は右手の人差し指をクイクイと曲げて見せた。

「ああ・・・それは・・・どうもありがとうございます・・・」

赤面し、視線を落とすハル。

・・・昔から、何も変わってない・・・。



この老医師、腕が確かなのは事実だ。
ケマリの適切な処置により、生死の境で命を救われた兵士も多い。
だが、セクハラ癖があるのが欠点だ。

ハルが小さい頃、この医師に親知らずを抜いてもらう最中に、フトモモやおち○ちんを触ってきやがった前科がある。
しかも抜いた歯を飴玉のようにアーンと自分の口に入れて、チュパチュパと舌で転がしたことは今でも忘れられない。

そういえば、目薬と間違えて虫刺されの薬(地球で言う液体ムヒ)を処方され、えらい目にあったこともあった。
思えばその頃から狙われていた気がしないでもない。
都市伝説だが、入院した美少年戦士が病死したことにして、トプカップ星の皇帝ハーレムに売り飛ばそうとした前科もあるらしい。

(こいつに尻をほじられるくらいだったら、死んだ方がマシだった・・・かも。)

俯くハルを気にも留めず、馴れ馴れしい医師はハルの身体のあちこちを触診(スキンシップ?)するふりをしながら続ける。

「ああそれと、いくつか内臓が破裂しとったから元通りにしておいたよ。
 手術跡は綺麗だが、しばらく食事には気をつけるように。軽い物なら食べていいよ」

(こいつ、はらわたもいじくったのか)

「だいぶ血が足りなかったから、血液型の同じだった機関士のトリカから借りた。
 あとで感謝しておくようにな。あーあ、わしの血液型が同じならいくらでもやるんじゃがのおー」

(・・・死んで)

ハルが救助されて今乗っているのは、アスト星籍で宇宙連邦軍第588艦隊・太陽系方面隊に所属する宇宙駆逐艦「オリンポス」である。

1宇宙世紀前、3000日間続いた銀河大戦の際、アルタイル宇宙軍が使用した駆逐艦を戦後、払い下げた老艦だ。
戦時下、機能性と生産性優先で開発、量産された艦で、見た目はずんぐりと不格好だが防御力と使い勝手は最高に良い。
また構造が単純で修理も容易なため、いまなお全宇宙で5000隻あまりが現役で活動している。

「オリンポス」は太陽系惑星軌道上を周回しており、太陽系付近で活動するハルのような宇宙戦士の支援及び救援の任務にあたっている。
役割としては哨戒艦というより救難艦だ。
近代化改修が施され、こぐま座重工製の最新の中口径対艦レーザー砲を2門搭載している。
全長は200メートル、幅30メートルほどの艦だが、小さな惑星を粉々にする火力をもつ全長数千メートル級の宇宙戦艦と比較すると小振りなものだ。
もっとも、全宇宙的な軍縮の流れにあって、金食いの巨大戦艦は無用の長物となりつつあり、
保有する豊かな星でも、毎年議会から維持費について突き上げられているのが現状なのだが。

ちなみに宇宙連邦政府は銀河大戦終結後、主に戦勝した星々の政府が集まって樹立された、超惑星的な統治機構である。
(ハルのアスト星は銀河大戦には殆ど参戦しなかったが、当時、戦勝星領の植民地だったため一応、戦勝星側に数えられている。)
宇宙連邦が地球の国際連合と違うのは、宇宙連邦法という成文法の下、各惑星政府の上位に位置する自治機構として立派に機能している点、
安保理常任理事国のように拒否権を有する星がなく、議会において全ての星が平等に扱われる点、
平和維持と外敵からの防衛にあたる軍隊の指揮命令系統を、宇宙連邦自体が有している点などだ。
つまり宇宙連邦政府での決定事項は各惑星の主権に優越するわけだが、内容によっては惑星住民の反発を招き、
宇宙連邦脱退の議論を醸すこともあるため、現実的にはその縛りは緩い物となっているのが現状だ。


「ああ・・・幼い日のハルは二重瞼がくりっとして、まさに神様が遣わした天使かと思ったよ。
今でも十分かわいいほうだが、昔ほどの破壊力はないなー!」

ケマリが遠い目をし、ハルの美しい髪を撫でながら昔の記憶に浸っていると、看護婦が食事を運んできた。
流動食だが、味付けはアスト星の料理をベースにしたものだ。

料理を一口、口に運んで感じた。

・・・・まずい。

どうやら暫く地球に居たため、舌が肥えてしまっていたらしい。
地球に来る前はごく当たり前のように食べていた味が、こんなものだったとは。

いや、味付けの問題だけではないだろう。
ここほど気分の悪い想い出の場所はない。

触手に手足を食い千切られた少女。
かつての美少年の面影をとどめないほど痛めつけられた凄惨な死体。
食事中、思い出したくないのだが、ここにいるとつい記憶が溢れ出てしまう。
ハルが食事する横でケマリは椅子で足を組み、地球産のコロンビア・コーヒーを啜りながら言った。

「ハルや、あんまり『彼女』を悲しませてはならんぞい。『本国』でずいぶん案じておったわい」

ハルのスプーンを握る手が止まった。

(エミリア・・・)

ハルより2歳年下の女の子である。
肩までの栗色の髪。「可憐」という二文字の似合う、おっとりした美少女だ。
数年前、ハルが大学を卒業し宇宙戦士なりたての頃、アスト星首都の街中に白昼堂々出没した怪物の退治に出撃したことがあった。
怪物は下水のマンホールから触手を伸ばし、当時女子高生だったエミリアの足を取って引きずり込んだ。
痺れ麻酔を打たれて動けなくなり、あわや食われるというところをハルが救ったのだ。
ハルはこの戦いで20針縫う怪我をしたが、以来、エミリアは「命の恩人」ハルに恋心を寄せている。

そしてエミリアの兄もまた、怪物と戦う戦士だった。その名をサーベスと言った。

サーベスはハルと同い年で、エミリアの一件以来、すっかり親友となった。
エミリアによく似た端正な顔立ち、栗色の髪、色白で足の長い、引き締まった身体の容姿。
大人しく穏やかな性格だが、戦闘になると誰よりも勇気と能力を発揮する。風貌を裏切らぬ「優等生」だった。
そんなサーベスに、ハルはいつも負い目を感じていた。

身長はサーベスのほうが高いし、顔だって格好いい。性格もいい。
訓練でも試験でも、サーベスに勝てたことなんて無かった。
僕の付け焼き刃の能力なんかじゃなく、本物の知性と人格を兼ね備えたサーベスが眩しかった。
だけど、サーベスはこんな僕に、「ありのままのハルが一番素敵だ」って言ってくれた。




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