「ちぇっ、もうバレるなんてつまんないなあ」
盗聴機が破壊される直前に、フリードは長い髪のかぶった耳からイヤホーンを外した。
(ハルのガードは硬い、か・・・。)
フリードは幹線道路を伝って南東へしばらく歩き、JR中野駅のそばまでやってきた。
日が暮れて周囲は薄暗くなっていたが、まだこの時間ならサンモールを子供が歩いていても違和感はないだろう。
ゲームセンターで少し気晴らししたあと、ハンバーガーショップへ入った。
レジで、日本語がしゃべれないふりをしてバニラシェイクの写真を指差す。
一人席にちょこんと座るとシェイクを幸せそうに飲みながら、パーム型ポケットコンピュータ端末の液晶画面を、鏡を覗き込むように見つめた。
店内の公衆無線LANを利用してインターネットに接続。世界のニュースをチェックするが、特に大きな事件は起こってないようだ。
左腕のロレックスに目をやると、午後7時。近くに迎えの車が来るまで、まだ時間がある。
(久々にコミック専門店でも覗くか・・・な?)
パームをポケットにしまい、ブロードウェイの方角へ向けて歩き始めた時。
「みぃつけた」
「What?」
左の袖を掴まれ振り返ると、見覚えある女が息を切らしていた。
先週号の週刊誌に『小圷アナ、遊園地で警官に吠える』とのキャプションとともに、モノクログラビアに載った顔。
美人アナとして名高いJBSニュースキャスター・小圷優子。間近で見ると小皺を覆い隠す化粧が非常に厚い。
「さっき中野駅前で取材してたら、きみを見つけたんだ」
「ウチ、急いでるので・・・」
そそくさと逃げようとするフリード。
だが、優子が長い後ろ髪を掴み、まるで手綱のようにくいっと引っ張ると、かくんっ!と転びそうになった。
「ちょっと何するのよぉ!?」
「きみ、男の子でしょう?どうして女の子のフリをしようとするの?」
「え・・・」
僕の偽装が見破られるなんて!
「このオイスター・パーぺチュアル、男物よね?」
フリードの白い腕を揉むように掴み、高級腕時計を見ながら言った。
「それにさっき、レジで出してたベルサーチの財布も紳士物だったわ」
さすがブランド物に目のない女子アナであるが、目が輝いているのはそのせいばかりではないだろう。
(かわいい・・・かわいいわ!こんな綺麗な男の子がいるなんて!)
優子はフリードの体温に乗ってくる、育ちの良い美少年の匂いを楽しむかのように、首筋に鼻を近づけた。
しかし人通りの多い街角で、しかもきつい香水で嗅覚の麻痺している女子アナには、
フリードが意外と女の子のように甘い香りを放っていることなど分からないに違いない。
どうやらいい匂いとは、嗅覚以上に目で感じるものらしい。
「ウチに何の用かしら?」
フリードはなおも意地を張り、女の子を通そうとする。
「きみ、遊園地の管理棟で何をしてたの?」
(ちっ、見られてたのか)
どうやら怪物事件のことを探りたがっているらしい。
「きみが管理棟の中で見たこと、大人の人がしゃべったのを聞いたこと。知っていることを話してほしいの・・・」
優子はフリードをまだ、判断力のない子供だと思っているらしい。
嘘を教えて情報を撹乱するのもいいが、子供の言うことだからと信憑性を差し引いて聞くに違いない。
それより、このままずっとつけ回されるのもうっとおしい。
ちょっと遊んであげようか・・・。
フリードは優子にさわやかな笑顔で答えた。
「そうだよ、僕は男だよ。お姉さん、僕のお部屋に来ない?」
改めて顔の華やぐ優子。
(かっ・・・かわいいわ!)
「ききききみ、名前は?」
「レックスって呼んで」
フリードは適当に答えた。
レックス。最近日本語訳版が刊行されたファンタジー小説に登場する騎士の名前。
フリック王子に近衛騎士レックス、魔法使いエレミア、異国の魔法剣士ミューズという四人の少年勇者が、
アルバス王国を救うため力を合わせ、ドラゴンを封印しに行く冒険物語。
レックスもまたフリードと同じ、髪の長い男の子だ。
もし実写映画化されるようなことがあれば、どこの誰よりも役にふさわしく演じきる自信があるから、
オーディションを受けようと思ってるんだけど。
「レックス、どこに住んでるの?」
「案内するから、ついてきて」
***********************
優子はフリードに連れられてブロードウェイを通り抜け、北口に出た。
すると早稲田通りの向かい側に、キャデラックのストレッチ・リムジンが停まっていた。
「あれに乗るよ?」
運転席と後席が間仕切りで仕切られているため、どんな人が運転しているのかはよく分からないが、
逆に運転手からも後席の様子が何も見えず、聞こえないということでもある。
車が発進した直後、優子はもう待ちきれないと言いたげに、フリードにうっとり寄り添った。
頬に手を伸ばし、
(触っていいかしら?)
目で囁くと、
(いいよ)
と返事する青く澄んだ瞳。
手先は最初頬に触れ、首筋、鎖骨、胸・・・あとはセーラー服を下へ伝っていく。
少年もまた優子の求めを即座に理解したかのように、いたずらっぽく上目遣いに微笑しながら背骨を伸ばし、
華奢な肩を優子の胸に寄せてきた。
優子はフリードを抱え込むように、小さな身体を、壊れ物を扱うかのように優しく胸に収めた。
そして額にキスした。レックスも優子の手を取り、甲にキスした。
もう自分の中にいるのは甘い物好きの少女ではなかった。
小さな紳士。幼い肉体の体現するオーラは気品にあふれていた。
優子の視線が再び、細い手首にぶら下がったロレックスに向かった。
「その時計、お母さんに買ってもらったの?」
「ううん・・・」
美しい少年は首を横に振ると、悲しげな目で優子を見つめた。
「ママは、僕が小さいときに死んじゃったんだ」
優子はフリードの嘘を真に受けると、それ以上問いかける気にもなれなかった。
ただ全身で、柔らかな少年の発する体温と、鼓動に聞き入るかのように、ずっと抱いていた。
やがて、日頃の疲れと夏バテが出たのだろうか。
その状態のまま、優子はまどろみに落ちていった。
(くっ・・・このおばさん、重くて香水臭い〜〜〜〜)
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