数日後の平日昼過ぎ。小学校は掃除の時間に入っていた。
6年3組の教室では、都築新斗と山下が箒でチャンバラしていた。

「勇者、覚悟ー!」

新斗と同じクラスの、山下の持った箒が新斗の背中を斬った。

「うわぁぁぁぁぁ!痛恨の一撃ー」

倒れるふりをする新斗。

「都築くーん、頑張ってー」

見ている女子から盛んに声援が飛んでいる。
掃除どころではない状況に、清掃現場を監督する教諭、玉崎かよ子が叫ぶ。

「ちょっちょっちょっとあなたたち、ちゃんと掃除しなキャだめじゃないのぉ〜!もう〜学級委員の都築君まで!」

御年50歳前後、丸い体型で厚化粧、黒縁眼鏡。
声が大きく、職員室でお局さん化して管理職の教頭を押え込み、
若い教諭たちには自分のことを「玉崎大先生」と呼ばせている。

職員室にいる間は敵なしなのだが、職員室での力関係と生徒への指導力は全くの別物であり、
むしろ高学年ぐらいの児童からは裏で舐められているふしがある。
新斗たちも大好きな若い男性教諭が玉崎にいじめられているのを知り、ひと泡吹かせてやろうと画策したのだ。

「ちょっと都築君、左手を見せなさい!その高そうなブレスレットは何!」

新斗の腕を掴もうとする玉崎。見まわすと、騒ぎを聞きつけた他のクラスメートも集まってきていた。
いつの間にかスピーカーから流れる掃除のBGMが、B'zの「裸足の女神」にすり替わっていた。
同じクラスの放送部員が放送室を占拠したのだ。

「みんな!女バラモスはここにいたぞ!突撃ー!」

新斗は細い身体で身軽に玉崎の触手をかわすと、箒の埃のくっついた先を玉崎に向けて突っつく。
後ろからは山下がモップ攻撃。
女子数人が、床をしっかり磨いた濡れ雑巾を玉崎の顔めがけて投げつけた。
化粧で真っ白な顔に墨色の汚れがべっとりとつく。

「きゃあっ!ぺっ・・・汚いじゃないのぉ〜」

「イェ〜〜〜〜〜〜〜〜〜イ」

「きゃはははははは」

クラスメートから『都築』コールが沸き起った。
今回の「蜂起」については事前に、新斗がクラスの皆に「全責任は僕が取るから」と言ってあるが、それにしても皆、遠慮がない。
きっと、玉崎が赴任してきてから管理が厳しくなった学校生活の、日頃の鬱憤が溜まっていたに違いない。

「ちょっと!あんたたち、おぼえてなさいよ!あとで家庭訪問しますからね!」

「ど〜ぞ、ど〜ぞ」

都築綾太と同じ顔が八重歯を見せて笑う。
職員室では玉崎には本当の味方がいないことはお見通しだ。
もし本当に来たら学校内での横暴ぶりを暴いてやるんだ。


そのとき校内放送の「裸足の女神」が一瞬、止まった。

『T市街中心部に悪魔が出現しました。児童の皆さんは学校から出ないで下さい。先生方は至急、職員室にお集まりください。』

放送が終わると再び「裸足の女神」の続きが流れ始めた。どうやら職員室には、イタズラに対応する余裕がないらしい。


ふっと寂しい顔をする新斗。
いよいよこの時がきちゃったんだな。戦いの時が。
悪魔が現れるたびに何度も戦いに借り出された兄はこんな時、どんな気持ちだったのだろう?
新斗の髪の長い、美しい顔が山下に向くと、手を握った。

「山下、今までありがとう」

きょとんと怪訝な顔をする山下。
山下とは低学年の頃からの付き合いで、新斗を少年サッカーチームに誘ったのも山下だった。

「都築・・・いきなりどうしちゃったんだよ?」

「君との友情は忘れない」

軽く抱擁し顔を近づけると、ふわっと新斗のいい匂いがした。

「あ・・・ああ・・・」

山下から離れると、ぱっちり二重まぶたの澄んだ瞳が皆を見回した。
新斗のただならぬ雰囲気に、クラスメートたちも何事だろうかと一斉に話し声を止め、静かに新斗を見つめた。

「みんな・・・今まで本当にありがとう!」

大きく手を振りながらニカッと八重歯を見せ、悩殺モノの笑顔爆弾を落とす新斗。

「えーーっ、都築君、転校しちゃうの!?」

「ううん、ちょっと出かけるだけ。すぐ戻るから。必ず生きて帰るから。待ってて!」

新斗は唖然とする教室を飛び出した。

「あっ都築、逃げる気!?話しはまだ終わってませんよ!」

口泡を飛ばし、ドタドタと追いかけようとするバラモスを、教室の入り口でクラスメートたちが押し止めた。

「都築!廊下は走っちゃだめじゃないの〜〜〜!!ちょっ・・・ちょっとあんたたち!どきなさい!どけ〜〜〜〜〜!!」

山下はバラモスのヒステリーを横目に、新斗の感触を思い出しながら苦笑した。

「相変わらず大げさな奴だな、新斗・・・」

時々見せる演技がかった立ち振る舞いは、テレビの中の兄そっくりだ。



♪どこまで走ればあの人に会える?
新斗が駆けぬける職員室前廊下の掲示板には、自分と同じ顔が並んでいた。「いじめ撲滅運動」のポスターだ。
兄貴・・・今から迎えに行くよ!

新斗は屋上に上がると急いで服を脱いだ。いつこの時が来てもいいように、
脱ぎやすく、なくしても惜しくない服から選んで着るようにしてきた。

「じゃ・・・鬼の腕輪、よろしく。」

淡々と腕輪をこする新斗。

(あなたって凄い人望なのねぇ〜・・・)

小麦色の肌を白い膜が覆っていき、5秒で変身完了。羽根を広げ、大空へ飛び立った。




街の中心部へ向かう空はもう、裸体にピチピチの膜には寒かった。

(いよいよね)

「うん」

(・・・ねえ新斗。5年前、あたしの前でお祈りしたこと、覚えてる?)

「ふふっ、もう忘れちゃったよ」

(『給食のピーマンを残さず食べれるようになりますように』)

「そんなことを君に? 悪かったよ、場違いなお願い事で」

(ええ。でも食べれるようになったでしょ? ピーマン)

「お陰様で。ちなみに兄貴は何て祈ったの?」

(『健康な身体になりますように』)

「ああ兄貴は昔、風邪をひいてはすぐに寝こんでたからね。今はそうでもないけど。これも君のお陰?」

(いいえ。子どもってね、小学校高学年にもなれば強くなるものよ?  実は綾太のお願いしたこと、もう一つあったの。何だったと思う?)

「?」


(『いつまでも兄弟で仲良く暮らせますように』)

「・・・兄貴」

(あたしにはその願いを叶える義務があるの。君にも苦労をかけるけど・・・ごめんね。
でも、もし万一にでも君がピンチになったら・・・)

新斗は首を振って遮った。

「死ぬときは一緒だからね」

(・・・ありがとう、新斗!)

「けど、今日はその日ではないから!」

遙か前方を見つめる、痛みを知る眼差しは深く澄み、もう萎れることはないだろう。




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