時は1993年、9月。

バブル崩壊後の日本経済は「失われた10年」に突入しつつあったものの、
ジュリアナ東京に代表されるように、まだどことなく好景気のバブリーな余韻も残っていた時代。

この年6月、皇太子ご結婚。7月の総選挙で自民党が大敗し、細川連立内閣が誕生。
初の外国人横綱・曙の誕生、EU発足、サッカーJリーグ開幕。
ちなみにハーフパンツの大流行により、全国の男の子の下半身から半ズボンが消えたのもこの年だ。
携帯電話が普及しておらず、人々は外出先からの連絡は、ポケットベルと公衆電話でやり取りしていた。


T市立東部中学校。
生徒数1学年140人ほど 4クラス35人 全校生徒430人。
子どもが減少しているとはいえ、工場誘致で人数は増えていた。

冷夏の夏が過ぎ、どことなく秋の人恋しい乾いた風が吹き抜ける。
5時間目、体育館では跳び箱の授業が行われていた。

ピっ。

「B13番 都築!」

1年生の都築綾太(つづき りょうた)が、「T○EILIGHT」と刻印されたペンキも真新しい6段を華麗に跳び、
U田洋行のマットに着地すると、おおっと歓声が沸きおこった。

美しい目鼻立ち。長く首筋まである黒髪。
身長150センチ。男に発育しかけのスレンダーなフトモモが紺色のショートパンツから生え、
トレパンの紺が、白く汗の光る肌を一層際立たせていた。
汗で肌にまとわりついた体操シャツには、胸の白地にかすかに乳首の突起の浮き出ていたが、
もしブラジャーが透けて見えていたなら、少女と見紛っていたに違いない。

実は12歳と10ヶ月の彼、公立中学に通う傍ら、少年タレントとして活躍していた。
活躍とは言ってもローカル枠中心であり、全国放送に出ることは少ないのだが、
その中性的なマスクと知性的な栗色の瞳、嫌味のない爽やかな性格は、
4月から国営放送で始まったTV戦士を演じても違和感ないほどであった。
また中1にしてスポーツ大会に体操部門の学校代表として出場し、優秀な成績をおさめるほどの身体能力は、
先日脇役として出演した邦画で遺憾なく発揮され、アクロバティックな演技は男女問わず多くの観衆を魅了した。
いつか日本全国の視線を惹き付けるスターになるのが夢だった。

「都築、さすがだな!」

「きゃーっ、綾(りょう)君格好いい!」

黄色い歓声に、

「そんな・・・まだまだ及ばないよ」

いまだ変声を迎えない澄んだ声が謙遜する。
体育館の真ん中を二つに仕切っているネットの向こうで、
バレーボールしていたはずの女子が試合を止め、都築を指差してキャアキャア言ってる。

開け放たれた体育館の扉から吹き込む風が都築の髪を揺らし、汗ばんだ体操シャツの中を通り抜ける。
その空気の塊が「観衆」の付近を漂って、あたりにはいい匂いが立ち篭めた。
とはいえ、都築はタレントの使う香水や脱臭剤をつけていなかった。
大人の男性ほどの刺激はなく、かといって少女でもない、生の少年の体臭・・・セクシーの放香であった。

そのときチャイムが鳴った。

「よーし、今日の授業はここまでだ。気をつけ!」

6時間目を控えているから、慌てて教室に戻って着替える。
都築はまずショートパンツを脱ぐと、下着として履いているブリーフをクラスメートに見られないよう、
素早く黒い制服ズボンに履き替えた。
小さなお尻にぴっちり食い込んだブリーフには、鼠頸部から垂れ下がった、
美少年の種を宿した果実の膨らみがくっきりと浮き出ていた。
続いて体操シャツを脱ぐと、華奢な胸とかわいいへそを隠すように
半袖のカッターシャツを着、細い左手首に銀色のリストバンドを通した。

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半月ほど前のことだ。夜、家の自室で寝ていたとき、少女の声を聞いた。

「災いもたらす悪魔は復活してしまいました。お願いです・・・
選ばれし勇者よ・・・・災いを鎮めるため・・・あなたの力を貸してください・・・」

夢かと思い目を覚ますと、枕元にこのリストバンドが置いてあったのだ。
ちょっとデザインは古臭いが、高価そうではある。
試しにつけてみると目の前がぱあっと明るくなって、また少女の声が、まるで頭の中に響くように聞こえた。

「おお・・・救世主綾太、ここに誕生せり! もし正義の力得たくば、腕輪を3度こすりなさい・・・」 

「ちょ・・・ちょっと、救世主って何のことだよ!? 正義の力って何さ??」

「あなたと闘う悪魔は強力です。決して油断なきよう・・・。」

そう聞こえるなり、気配が消えてしまった。

時計を見ると、午前2時を少し回ったところだった。
きっと、隣室の弟のいたずらかと思った。
綾太には1歳年下の、顔がそっくりの弟、新斗(しんと)がいる。
華奢な綾太より少し筋肉質な身体は身長もほぼ同等、地元小学生サッカーの名門チームのキャプテンをしている。
性格も、小学3年生まで、夜中に一人でトイレに行けなかった綾太とは違い、勝ち気で大胆。
近頃、メディアでちやほやされる兄に対する妬みもあってか、綾太に意地悪をしてからかうこともある。

綾太は枕を抱えながら恐る恐る、新斗の寝室を開けた。

「ぼくだけど・・・入るよ」

新斗は練習の疲れもあってか、ぐっすり寝ていた。
同じ血を分かちあった兄弟なのに、この部屋のほうが明らかに男臭い気がする。

「新斗・・・」

天井の電灯の紐を数回引き、常夜灯をつけると、新斗は目を開けた。

「なんだ兄貴か。こんな時間に何の用?僕は疲れてるんだ」

綾太より若干ハスキーがかった声が答えた。

「この輪っか・・・新斗のか?」

眠そうな目で腕輪を見る。

「いんや?・・・おおおーデザインはいまいちだけど、なかなか高そうじゃないか。
これって手首につけるんだろ? 兄貴、買ったの?」

「つけてみる?」

「うむ・・・」

新斗は左手首につけてみた。

「何か・・・女の子の声が聞こえないか?」

綾太の問いかけに怪訝な顔をする新斗。

「・・・あのさあ、僕をからかってるわけ?それとも兄貴、頭大丈夫か?」

綾太の額に手を当てる新斗。

「熱はないみたいだが・・・兄貴、さいきん仕事忙しいんだろ? 身体、疲れてるんじゃないか?」

「いや・・・そういうわけではないんだけど」

「兄貴は身体弱いくせに無理するからな。ほらこの腕輪、返すよ。もう寝た、寝た」

綾太に腕輪を突き返す新斗。

「・・・ありがとう」

「ほんとうに兄貴のじゃないなら、質屋さんにでも売ってくれば? 高く売れたときは山わけだぞ」

弟の気遣いが嬉しかった。サッカーチームの皆を統率するキャプテンとして、人間的に着実に成長しているようだった。

「じゃ、おやすみ・・・」

常夜灯を消し、部屋を出ようとしたとき。

外からけたたましく、パトカーのサイレンが聞こえた。
Y31型セドリックが、エンジンを唸らせながら走り去っていく。
こんな時間に近所で悪魔が何か災いを引き起こしたのだろうか?
赤色灯の光が、木の影を窓に映して通り過ぎていく。

「きゃっ!」

怖がり、思わず新斗の背中に抱きつく綾太。ガクガク震えている。

「あ〜もう兄貴、痛いって・・・ったく、地元の大スターがコレだもんなぁ〜・・・・」

新斗の細く引き締まった筋肉質な身体が、綾太の華奢な肩を抱きしめる。
同じ目鼻立ちの美しい顔が向かい合う。お互いの吐息と心臓の音が、ハーモニーを奏でる。

「ほら、もうこれで大丈夫。いつか悪魔がこの家に来たって、一緒だから怖くない」




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