【1】

この子と初めて出会ったのは五日前のことだ。

食糧を求めてコロニーを出発し、バギーで赤茶けた不毛の大地を彷徨っていたわたしは、ならず者のバイク軍団に目をつけられた。
七面鳥みたいにさんざん追い回された挙句、ようやく捲いて辿り着いたのは荒廃した旧首都だった。

街の手前でバギーを降り、徒歩で中へ入っていく。
わたしがまだ学生だった頃、世界から集まったトレーダーが誇らしげに闊歩していたストリート。
つい最近の昔まで、世界経済の中心だった栄華の面影はなかった。
今やひび割れたアスファルトの両側に錆びた廃車が何台も乗り捨てられ、人一人歩いていない。
しばらく歩くと、窓ガラスのなくなった廃ビルが立ち並ぶ中心部に、清潔に輝く高層ビルがたった一棟、そびえているのを見つけた。
人がいるかも知れないと思い、そこを目指して行った。

ちょうどビルの面した路地とクロスした交差点まで来たときだ。
路地は有刺鉄線やコンクリート・ブロック、装甲車の残骸によって築かれたバリケードによって封鎖されていた。

「止まれ!」

声がしたのでしばらく待っていると、禿げ上がった坊主頭に刺青をした、
わたしの三倍ぐらい幅のありそうな筋肉質の大男がゆっくり近寄ってきた。
腰にはいかにも重そうな、巨大な太刀をぶら下げている。

「何者だ?」

男はわたしに訊ねた。
一帯を仕切っているならず者だろうか?

「数百マイル離れたコロニーから来た。食べ物と水を求めてやってきたんだが」

冷静に答えると、坊主頭は「ククッ」と舌を出した。

「タダでくれてやる食いもんは、ここにはねぇぞ。見返りは?」
「このダイヤの指輪と交換でどうだ」

坊主頭は「ふむ…」と、指輪を手にとって品定めするように見た。

「0.5カラットぐらいか、残念だな。ここじゃ宝石なんざクソの役にもたたねぇよ」
「そんな!」

焦ったわたしは、懇願するように言った。

「なんだったらわたしのウォークマンもやる!
 ほら、バッテリーだってセルを交換したばかりだから死んでないし…
 イーグルスとかヴァン・ヘイレンとか…ロックが500曲ほど入ってる!」

日本製のメモリープレーヤー。学生時代にアルバイトして買って以来20年愛用してきた、わたしの宝物だった。
コロニーには病人や飢えた子供たちが待っている。何としてでも食糧を手に入れたかったのだ。

「頼む!」

地面に這いつくばって土下座すると、男はしゃがんで意外なことを言った。

「お前さん、コロニーから来たんだろ?」
「え?」
「どこにあるのか教えてくれたら、考えんでもねぇぞ」

長老からは、「邑(むら)の在り処(ありか)は余所者に話してはならぬ」と釘を刺されてきた。
躊躇するわたしに、このならず者は満面の笑みを向けてきて、囁いた。

「悪いようにはしねぇって。こういう困ったときはお互い様だからな」

男の着ている服の袖には、武装組織『マッド・デビルズ』を示すドクロマークのワッペンがあった。
暴力で世界を独裁しようと企て、抗争を繰り返す悪名高い組織。
目を凝らすと、あの美しいビルにも同じマークの旗が翻っているのが見える。
ということは、『マッド・デビルズ』の支部なのだろうか?

「『マッド・デビルズ』総裁、カルロスさまに従うなら、悪いようにはしない」

揺れ動く心。断ったら怒るだろうか?
躊躇するわたしに、髭の濃い口元がますますフレンドリーに微笑みかけた。

「食料が欲しいから、ここまで来たんだろ…?」

見るからに極悪人でも、スマイルで迫られると気を許しそうになってしまうのは、何とも不思議なものだ。
心が切羽詰っていたわたしはついに覚悟を決め、

「わたしの来た邑は…」

と、言いかけたときだった。


「言うな!しゃべった瞬間あんた、死ぬよ!」

空から若い声が降ってきて、次の瞬間、交差点沿いのビルの窓から何十丁もの銃先が突き出て火を噴く。
耳をつんざく銃声と共に、交差点に設置されていた、明かりのついてない錆びた信号機が蜂の巣になって落ちてきた。

「あっ!」

見上げると、クルクル宙返りした身体が舞い降りてくる。
わたしに背を向け、すたっとしなやかに降り立つ細い足腰。
顔だけを見ると少女かと思ったが、露出の多い肉体には胸の膨らみや腰のくびれがなかった。
男の子だ。しかも10代前半くらいの。だがその神懸かりに美しい顔とは不釣合いな、恐ろしい装束。
古ぼけた廃墟の中、焼け爛れたアスファルトの上を、エナメルのブーツがゆっくり歩いていく。

不意にバン!と銃声がした。
少年は軽く身を翻したが、銃弾は正確に、さっきまで少年の足の踏んでいた地面を抉った。
ほんの少し遅ければ足首を撃ち抜かれていたに違いない。
大男の数歩手前で立ち止まり、冷たく透き通った眼差しで睨みつける少年。

「命知らずな小僧め。少々懲らしめてやろうか」

大男は腰に下げていた太刀を抜き、少年めがけ振り回した。

「死ねええええっ!」

少年はひらりと跳躍してかわすと、大男の懐に潜り込み、顎を蹴り飛ばした。

「ぎゃっ!痛ぇっ!」

ほっそりした肉体からは想像もつかぬ力で大男をねじ伏せると、
腕のベルトを首に巻きつけて締め上げ、腿から外した棒型の手裏剣を首につきつけた。

「あわわわわわ・・・・ひぃぃぃぃぃぃ」

筋肉の浮き出た腕からは汗が流れ落ち、全身は砂埃に汚れていたが、少年を撫で漂う風はほんのり、甘く爽やかな香りがした。

「撃つな。この豚の命はないぞ」

ビルから突き出た銃口を見回して言う少年の口調は落ち着き払っているが、周囲のビルにこだまするほどの声量が出ている。
首を絞められた大男が、鼻をひくつかせて言った。

「ふぅーん、美人さんだな。こいつぁなかなか高く売れるかもしれねぇ…」

大男は全身に力を入れて「ふんぬっ!」と抵抗を試みるが、首を絞める少年の腕の力が増し、
「あいたたた!苦しい〜〜〜」と情けない声を上げる。

「おっ…おい、そこに突っ立ってるおやじ!」

大男の丸い目が睨みつけた。
わわわ、わたしのことか?

「この小僧をなんとかすれば、食料をくれてやってもいいぞ」

口髭が笑う。

「言うことを聞くな」

と少年。

「あんたが殺されるだけならいいが、こいつらはあんたに邑のありかを吐かせ、住人を全員奴隷にするつもりなのさ」

そうか…わたしは大男に嵌められるところだったのだ!

「さあ、今のうちに走って!」

青く冷徹な眼差しが真剣に、そして優しく語った気がした。
『おれを信じろ。生きたいのだろう』と。

「すまない!」

わたしは一目散にその場を走り去った。

「やつを追えー!」
「やかましい、静かにしろ豚野郎」
「ぎえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

背後でふたりのやりとりが聞こえた直後、無数の銃声が響いた。
何がどうなったのかは分からなかった。
振り返りもせずただ一目散に、必死に逃げた。


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わたしは街を離れると、砂の大地に突き出た岩陰までやってきた。
街まで来る途中で目をつけておいた、身を隠しやすそうな岩だ。
ところが、ここへ停めておいたはずのバギーがなくなっている。
地面には地平の果てまで伸びるタイヤの跡。
どうやら盗まれてしまったらしい…。

ああ…今日も収穫はゼロ。
しかも大切な宝石とウォークマン、おまけに車まで取られちまった。
泣きたい気分だった。こんな暮らし、いつまで続くのだろう?

空しさに襲われながらも、マッド・デビルズの追っ手が来るかと思ってびくびくしていたが、待てどもその気配はない。
じりじり照りつける日差しは強い。
体力を消耗するから、移動は夕方から夜にかけてとなるだろう。

(そういえばあの少年、どうなったのかな…?)

ホッとした安らぎの中にも、自分ひとり逃げてきた負い目を感じていた。

岩陰に身を隠して、三時間ほど経っただろうか?日が傾きかけた頃。

「おっさん、大丈夫か」
「ひっ…」

見上げるとさっきの少年がいた。

「ほら、水と食料」

小さな背中に背負った大きな袋、両手にも袋。

「一人だからこれだけ持って出るのが精一杯だったのさ」

少年は額の汗をぬぐいながら、表情を変えずに言った。
袋の中を見るとパック精製水のほか、高カロリー栄養クッキーの箱が大量に入っていた。
確かに多くはないが、一家四人で一〜ニヶ月暮らせる量だ。

「ああ…どうもありがとう」

わたしは天にもすがる思いだった。

「出発しよう。じきここにも追っ手が来る」

と少年。

「顔を見られたあんたは追われる身になった。しばらく、おれから離れないで」
「きみ、名前は?」
「ミハイル…『ミーシャ』でいい」





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