【2】
わたしはミーシャの背中を追って歩き続けた。
マッド・デビルズの監視を避けるために遠回りし、目立たない道を進んでいく。
平和だったころは山々も緑に覆われて、よく森歩きを楽しんだものだが、
乾ききった砂の大地の上を歩き続けるのは、40過ぎのわたしには体力的にきつい。
ただ無言で歩き続け、五度目の夜が来た。
月空の下、焚き火がパチパチと燃えている。
「こんなもの、巻かなくたって唾塗っときゃ治る…ッ…」
ミーシャの腕に巻かれた包帯をほどいてやった。
二日前に見つかって戦ったとき、クロスボウの矢がかすって負傷したのだ。
大丈夫、傷は今朝より小さくなっている。
消毒液を塗ってやると綺麗な肌にシュワーッと泡が立ち、少年の眉がかすかに歪んだ。
「おっさん、あんたはなぜこんなに優しいのさ」
「命を助けてくれただろう?」
「おれはただ、<悪魔>を退治したかっただけだ」
そう言った直後、少年の凹んだ腹がグウと鳴った。
「腹、へってるだろ?」
わたしは包帯を巻きなおしてやると、焚き火にかけてあった携帯鍋に手を伸ばした。
来る道で摘んできた野生の野菜を切り刻んで作った、ほとんど米の入ってないスープに近い粥。
カロリーメイトばかりの生活も飽きただろう。椀にとって渡すと、少年は貪るように飲んだ。
「おかわりはまだ、あるからな」
すると早速、少年は「ん…」と呟き椀を突き出した。
焚き火に、綺麗な顔が照らし出されていた。
ミーシャは何の言葉も発さず、眼は下を向いている。
「ミーシャにもお父さんやお母さん、いるのか?」
「なぜそんなことを聞く?」
「わたしにも妻と、きみと同じくらいの娘がいるからさ。邑にね」
火の光に、うっすら割れた腹筋が影を形作る。
スープを飲み込むたびにその影が揺れ動いて、なんとも艶かしい。
相変わらず表情には乏しいが、その仕草のひとつひとつはいかにも年頃の少年っぽい。
「きみ、けっこう可愛いね」
「うっ…うるさい、もう寝るぞ」
椀を返し、がばっとマントに包まるミーシャ。
「明日も早いからなっ!寝坊したら置いてくぞ」
そう言い残し、横になったきり動かなくなった。
ま、わたしから離れたらうまい飯が食えなくなると理解してくれたようだから、置いきぼりにされる事はあるまい。
破れたマントの穴から見える、綺麗な背中。
どんな人生を背負っているのだか。
わたしがミーシャぐらいの頃は、ラグビーと音楽に青春を燃やしたものだった。
戦争さえなければきっと今頃、ミーシャも学生をしていて、運動部で活躍して…しかもこの顔だ。
きっと学園で女子の英雄になってたかも知れないのに。
時代の運命とは残酷なものだ…。
ミーシャは寝息を立てていた。この顔だけ見ていれば天使なんだけど。
ふと、わたしは小便がしたくなり、起き上がった。
少し歩くと、ピックアップ・トラックの残骸が横たわっているのを見つけた。
一瞬動くかと期待したのだが…だめだ、壊れてる。使えそうにないな。
運転席を覗き込むと頭から血を流した男の顔が月明かりに照らされハッとする。
恐ろしさのあまり、心臓が止まりそうだった。
「動くな」
どこからともなく突然、押し殺したような男の声がした。
死体がしゃべったのかと思って恐る恐る見回すと、背後から駆けてくる小さな足音が聞こえる。
「パパ…!」
わたしの娘の声だった。
「シルビア!!」
「パパの帰りが遅いから探しに行ったら襲われて、つかまって…」
心躍ってシルビアに駆け寄ろうとしたとき、シルビアの背後に黒い影があらわれた。
「それ以上動くでない」
金融街の廃墟でわたしを通せんぼした、あの大男だった。
「また会ったな」
ようく見回すと、月明かりに黒装束の男たちに囲まれているのが見えた。
皆、どくろマークのワッペンをつけている。
顔を覚えられたわたしは、追われる身になった…。
少年の警告が浮かぶ。
「くくく。きさまは殺しはせん。従順な労働力だからな…カルロスさまに忠誠を誓うなら」
わたしは大声でミーシャを呼びたかった。でも、彼は寝床ですやすや眠っているはずだ。
ミーシャが気づかなかったらわたしの命ばかりか、彼の身にも危険が及ぶ。
どう動けばいいか分からず、ただ立ち尽くしていると、大男が歯を見せて笑った。
「いいか、オヤジさんよ。誤解のないように言っとくが…、
カルロスさまはこの荒廃した世界に平和をもたらすべく、苦心しておられるのだよ」
「暴力で世界を支配すると…」
「秩序ある社会が生まれるまでの犠牲は仕方ないさ。革命に流血はつきものよ」
つまり大男は、マッド・デビルズが世界を統一すれば秩序が生まれ、平和が訪れると言いたいらしい。
「ただし!カルロスさまに刃向かう者には容赦はせん。いまカルロスさまのもとに跪くならば、娘の命は助けてやろう」
シルビアの首に刃が突きつけられた。
「パパ!」
選択の余地はなかった。
「わかったよ、あんたに従う。どうすればいい」
「あの小僧をヤレ」
「えっ…」
たしかに知らない子だったが、わたしの命を助けてくれた少年を、この手で…
「わたしにミーシャを殺せと? 殺人鬼のように戦闘力をもつ彼を、殺せるわけが…」
「いや、なにもお前さんの手で殺める必要はない。手助けをしてほしいだけだ」
大男が指につまんでいたのは、軟膏の入ったプラスチック容器だった。
「これを小僧の傷口に塗りこんでくれるだけでよい」
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