第二幕


S-1 1944年 秋


スターリングラート以降、悪化の一途を辿る戦況を起死回生する「秘密兵器」として、総統はドイツ国防軍最高統帥部に対し、
かねてから構想のあった、魔法の軍事利用の本格検討を命じた。
戦略的に負けそうになると、新兵器で技術的に勝とうとするドイツ人の感性かどうかは分からぬ。
ただ、総統大本営で行われた会議に出席した者の多くは…特に内心、ナチに対する反感の根強い国防軍の幹部は…胸の中で冷笑していた。

いくら策がないからって、魔法だって!? おとぎ話にすがるなんて!
我らがフューラー(総統)もついに狂われたか…

一方、大都会ハンブルクが焦土になった夜に魔法使いが現れた、という噂が密かに広まっていた。
防空隊の目撃証言のほか、傍受した英空軍の通信でも、箒に乗って飛ぶ少女に混乱する様子が伺えた。
総統はSS(親衛隊)に密命を下した…国内のどこかに身を潜めているであろう魔法使いを探し出し、徴用するようにと。


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S-2 1944年 ポンメルン

オーデル川の西、豊かな緑の広がるポンメルン地方の田舎町に、アンディという少年がいた。
アンディ・フォン・シューレンブルク。
シューレンブルク家はこの地方に居を構えたユンカー(土地貴族)の末裔で、両親ともに魔法使いの家系だった。
ベルリンに隠しオフィスを置く魔法協会プロイセン支部に属していたが、
ドイツ軍のポーランド侵攻で英国との国交を断絶すると英国本部との連絡も途絶え、魔法使いの身分を隠してひっそりと暮らしていた。

すっと整った鼻筋、ヴェアマハト(陸軍)軍人の父から受け継いだ凛々しい眉を持ち、蒼い瞳は深く透き通っていた。
ハンサムな小顔は人の視線を惹きつけるものを持っていたし、細く引き締まった健康的な体つきも相まって、幼い頃から少女の人気もまずまずだった。

貴族とはいうものの、産業革命以降の資本主義経済の波の中で、封建的な農場経営が崩壊した没落貴族である。
どんなにいたずらっぽい表情をしても、さらりと爽やかなストレート髪と笑顔にどこか品が残るのは、過去の栄光の名残なのかもしれない。
ただ一帯の広大な領地をわがものにし、その家名を轟かせたのも昔の話で、今は朽ちてきた納屋を修理する費用の捻出にも苦労する有様。

「はぁ…おれ、この家継がなきゃならねぇのかな?」

悶々と過ごしていたところへ、ヒトラーユーゲント(D・J 少年団)に強制加入しろとのお達しがきて、
これ幸いとばかりに、その活動にのめりこんでしまった。
肉体の鍛錬、地形を読む訓練、銃器の扱い方……小さな身に纏うのは褐色のシャツ、「血と名誉」と刻まれた短剣、
勝利を意味するルーン文字「S」と刻印されたバックラーのベルト、ハーフパンツ型の紺ズボン。
カッコよさに対する憧れは反抗期に入りかけた彼にとって、必ずしも総統への忠誠だとか、ナチのイデオロギーに対する共感ではなかった。
ヒトラーユーゲントの活動に熱心であれば勉強しなくていい、という風潮は行き過ぎにしても、
社会主義的傾向は保守的な家庭に対する反抗心の、一定の受け皿となり得た。
もっとも戦争が始まると、わが子がナチに過度に影響されすぎることに眉をひそめがちな父は戦場に出ていたし、
ここのところ母親も幼稚園へ育児や病人の看護に借り出されていたから、説教する煩わしいオトナのいない状況が続いていたのだけれど。

いないといえば、人間同士の戦争が酷すぎてか、近頃はあまり魔族も出没しなくなった。
アンディの魔法使いとしての覚醒はわりと早く、まだ戦争が始まってなかった頃から、
近所に出没した低級魔族を地属性の魔法で葬っていた記憶があるのだけれども。

自分が魔法使いであることも忘れようとしていた、1944年の暮れも迫った、12歳のある日のことだった。
いつものように軍事教練していたところ、戦闘機一機が飛来したのだ。
三色の蛇の目玉が描かれた英空軍塗装のP-51「マスタング」。
大空には航続距離を伸ばしたマーリンエンジンの爆音が轟く。

「全員退避ーーーッ!建物の中に身を隠せ!!」

教官の叫びは爆音にかき消され、あたりに数十人も収容できる建物は見当たらなかった。

「こっちだ、早く早く」

リーダー格で動くことも多かったアンディ。
持ち前の勘で身を隠すことのできる窪地を目ざとく見つけ、皆を誘導する。
しかし一人の少年が転んで、何の遮蔽物もない空間に取り残された。

「ペーターのやつ、何やってんだよ!!」

P-51が逃げ遅れた獲物に狙いをつけ、低空飛行で機銃掃射してくる。
地面から小さく沸き上がる二列の土が高速で迫っていた。

「みんなはここでじっとしてろ」
「おいっ、危ないぞアンディ!」

アンディは果敢にも飛び出すと、ペーターを抱きかかえ、反対側の垣根の陰へと退避させる。

「いたた……」
「弾、あたったか!?大丈夫か」

ペーターのシャツが多量の血に染まっている。
機銃弾はペーターの脇腹を貫通していた。

(早く医務室へ連れて行かないと!)

ペーターの腕を自分の首に架け、立ち上がろうとすると、友は激しく呻いた。
P-51の主翼の目玉は獲物を探す鳥のように、まだ上空を旋回していた。

(くそっ!)

誰にも見られないよう周囲を見回すと、ペーターの傷口に手をやり、青白い光でほんのり照らした…

「少しの間だけ、我慢するんだぞ」

 


SSがアンディの屋敷に押しかけたのはその晩だった。
乱暴にノッカーを叩く音がしたから飛び起き、「うっせぇな!こんな夜中に」とドアを開けると、
冷徹な死をデザインしたような、黒地の軍服に身を包んだ青年将校が立っていた。
灯火管制の闇の中、腕には鍵十字の赤い腕章が浮かび上がっている。

「きみがアンディくんだね? まさか魔法使いが本当にいたとはねぇ?」

口は親しみ笑いを浮かべていたが、挙動、表情の一つ一つさえ逃さず観察するような、
疑いに満ちた視線がアンディの綺麗な身体の頭から爪先までチクチクと突き刺し、緊縛の糸で縫われるようだった。
青年将校は両親が留守なのをいいことに強引に上がりこむと、熱っぽく語った。

「いいか、赤軍に占領されたら、家族も友人も皆殺しか、『スターリンの馬』として死ぬまでこき使われることになるんだぞ? 
 坊や、国のため、力を貸して欲しい。ここもじき赤軍がやってくる。祖国を救うためと思って力を貸せ」と。

母と親しい近所のおばちゃんが、事あるごとに話してくれたのを思い出した。

『ナチの吸血鬼どもの言うことを聞いちゃだめだよ。戦況は良くない。負傷兵たちがどんどん送り返されてる。
 逆に戦場に送られてるのは大量の棺桶さ…』

きっと、ヒトラーユーゲント活動に熱中するアンディを見かねて言ってくれたのだろう。

でも……戦況が悪いならばなおさら、オレががんばらなくってどうするんだよ!?
このまま多くの人たちが犠牲になるのを、黙って見てろっていうのか?

とくにナチ思想自体に心酔しているわけではなかったが、国難のとき、少年の心に使命感に訴えかけられると弱かった。
学校の勉強は嫌がっていたが、祖国のために、というあたりは、物心ついていた頃から教え込まれてきたナチ式教育が浸透していた。
それに軍服を着れば、一人前の男なのだ。同級生より数年早くオトナの男になれるという憧れ、
国や国民のために尽くすのが貴族の本分なのだという誇りも手伝って。

両親にはきつく言われていた…「魔法は魔族と戦うためにだけ使うものだ」と。
しかし12歳の少年の心には、選択の余地はなかった。

アンディには意中の少女がいた。郵便配達に駆り出されたヴァルトラウト。
ただ彼女を、家族を、近所のおばちゃんを、仲間を…赤軍のケダモノから救いたかった。


(※筆者注 14歳以上の少年からなるヒトラー・ユーゲント(H・J)の年少組織として、10〜14歳の少年を対象にしたヒトラー少年団(D・J)がありましたが、
当作ではそれらの区分を含めた総称として『ヒトラー・ユーゲント』と表記しています)



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