S-3 1945年1月 ヴァイクセル川西方


正月も明けたばかりの雪の積もる中、アンディはヴァイクセル川(ヴィスワ川)に近い丘の上に掘られた、対戦車壕に身を潜めていた。
纏う黒いコートは、SSと同じ漆黒の生地に月桂樹、柏の葉が金の刺繍で縁取られ、ハーケンクロイツを掴んだ鷲が胸元に刺繍されている。
ナチスの古典芸術趣味の粋が結集されたような「魔法使い」装束は少年元来の美しさを一層引き立てているが、
頭に被っているシュタール・ヘルム(ヘルメット)が不釣合いだ。

「わあーアンディ、見て。雪に覆われた杉林。まるでクリスマスツリーだね」
「この冬はクリスマス、なかったからな」

今、アンディと話しているのはジークベルト・シュナイダー。
武装SS配下の同じZ(ツァオベラー)隊に属する魔法使いの少年で、アンディより一歳年下の11歳。高く澄んだ声質。
おっとりした少女のような目鼻立ち、艶やかなブロンド髪はやさしいボリュームがあり、耳もとと首筋を隠している。
頭頂近くの前髪がシュッと上に跳ね上がる癖毛は、鉄ヘルメットに潰されても直ろうとしない。

「なんだよ、泣いてんのかよ」
「お兄ちゃんも夜空でクリスマスツリーを見たのかなって…」

敵の爆撃隊の先導機が、爆撃目標の上空でパラシュートで投下する照明弾。
ゆらゆらとゆっくり舞い降りながら、赤や白や緑にキラキラと輝く光が、何度も見たクリスマスツリーだった。
ジークベルト・シュナイダーの兄、エリク・シュナイダー少尉は夜間戦闘機パイロットだった。
1年半前の夏、ハンブルク空襲にやってきた爆撃隊を迎撃に向かったきり、行方不明になった。
当時13歳にして騎士鉄十字章を授与されたばかりだった。
翌朝から捜索隊が探し回ったのだが、彼の乗機すら発見されなかった。

空襲時、思い出の詰まったハンブルクの実家は爆風で半分吹っ飛ばされたが、ジークベルトは疎開していて無事だった。
彼自身は、いまだ兄の死を受け容れることができたわけではない。
エリクお兄ちゃんさえ無事でいてくれたなら、と何度思ったことか…
跳ね上がった癖毛に、兄がよくブラシを通してくれたのを思い出しながら。

エリクが死んだことにされ、逆に有名になってしまったのがジークベルトである。
ナチはこの美貌の兄弟を戦意高揚の宣伝に、最大限に利用した。

死した英雄パイロットに残された、可憐な弟。
アーリア人種の美少年の粋を極めたような姿がニュース映画で流されると、
一時的にちょっとしたアイドルの様相も呈し、ファンレターが全国各地から届いた。
また年長の団員が多数戦争に送られ、ヒトラーユーゲントが末端の指導者不足に陥ると、
ジークベルトは若年にもかかわらず、本人にもその気が全くないのに少年団(D・J)のリーダーに担ぎ上げられた。

ヒトラーユーゲントについて、指導者バルドゥール・フォン・シーラッハは「【階級なき社会】の体現である」と主張していたが、
実際のリーダーはブルジョワ家庭出身の青少年が多かった。
ジークベルトがリーダーに担がれる頃には指導者はアルトゥール・アクスマンに代替わりしていたものの、
中産階級の少年は家柄面でも好適であった。
リーダーに祭り上げられた彼は、疎開先で農作業に借り出された。

もともと遊び友達は多くいたが、小鳥の世話をしたり、ケーキを焼いたりするのも好きだった心優しい少年。
バッグのベルトが食い込む華奢な身体で鍬を担ぎ、年上の少年たちをも仕切りながらの肉体労働は大変だったが、
防空任務で短波ラジオを聴きながら夜通し起きてなきゃならないよりはましだった。
タレントを自覚しないばかりか、むしろ嫌なことを口にせず、いじらしく健気にがんばる姿が、
男女問わずマスコットか弟のように可愛がられ、皆の士気向上に寄与してしまった。

しかし1944年も終わりに近づいたある日、「ハンブルク空襲で行方不明になった兄がどうやら魔法使いだったのでは?」という噂が軍部で広まり、
疎開先でSSに事情聴取を受けた際、勢いで口を割ってしまった。

「はい。僕、魔法使いです!!」

と。

あ、でもお兄ちゃんは関係ないです。ただの空軍パイロットです…。

まさかエリクが本当に夜空を箒で飛んでたことは知らなかったが、兄を守るための告白だった。
そしたら、怖そうなSSのおじさんたちもさすがに呆気に取られてた。
結果、年明け早々こんな最前線に連れて来られる羽目になろうとは。

「まったく…反吐が出る。知的誠実さに欠けるこんな衣装は」
「いや、凄く良く似合ってるぞクルト」

アンディとジークベルトの隣にもう一人いる少年。
細面の頬まで伸ばしたストレートな前髪は金髪で、テールを三つ編みにした一本のお下げを肩から垂らしたクルトは、
アンディより数ヶ月遅く生まれた12歳だが、すらっとした背丈はジークベルトと同じくらい。
男らしいアンディとも、可憐なジークベルトとも違って、知性と落ち着きをたくわえたような顔立ち。
いい匂いがするのはケルン名産の香水をふりかけているからで、おしとやかな洋犬のような佇まいがある。
「r」の巻き舌は強めで、歌うように発声する癖がある。

「この第3帝国じゃ、知識よりもまず優先されるのは肉体。アンディみたいな馬鹿力だけが必要で、学問は二の次ってね」
「言ったなあああっ!?てめぇ、それでもドイツ男児かぁぁ!?」
「ねえねえ、やめてよアンディ、まわりに大人がいるときだけにしようよ」

クルトに掴みかかろうとしたアンディをジークベルトが止めに入る。
アンディは構えた拳でクルトの肩を軽くコツンと叩くと、鋭い視線を向けた。

「ここは一応オレが仕切ることになってるんだからさ。指示には従ってもらうぜ」
「わかったよ。ただ客観的に見てキミの指示に合理性がないと判断すれば、独断で行動させてもらう」
「なんだと!?」
「あーーもうっ、だからやめてって……」

クルトはケルン近郊の名家出身である。本名をクルト・フォン・ガーベルシュタインという。
ガーベルシュタイン家の歴史は古く、ゲーテの戯曲「ファウスト」に登場するファウストゥスのモデルとなった魔法使い…
…魔族と契約し、ドイツに数々の災厄をもたらした……と戦い、討ち取った戦士の末裔にも当たる。

2人の姉がいる末っ子にして長男で、天属性の使い手である。
10歳になると英国のパブリック・スクールを真似た全寮制のエリート校に入れられて、何か目標があるわけでもなく漠然と勉強に励んでいた。
クルトの周囲にいる大人はナチズムに緩く、気合を入れて軍事教練や労働の手伝いをさせられた体験はない。
それは体を動かすことがあまり好きではないクルトにとって喜ばしいことだった。
しかし学校にも暗い影は忍び寄り、学問のカリキュラムはナチの史観、科学観に基づいた内容に染まりつつあった。

このドイツ有数の魔法使い家系の子息が、なぜこんなところにいるのか、いきさつをアンディもジークベルトも知らぬ。
読者だけにこっそりバラしておくと、ある晩、魔道書があるという噂を耳にし、寮を抜け出して回収に行ったら偽物で、帰り道にSSが待ち構えていた。
魔法協会が製造法も含め、すべて禁呪に指定した召還魔法の魔道書。
そんな大切なものが実家の手を離れてあると聞いて、いても立ってもいられなかった。
パブロフの犬のように反応してしまったのが恥ずかしくて、二人には話せていないためである。…エリートの自意識も邪魔して。
怪しまれないよう、念のため制服のセーラー服ではなく、私服に着替えて外出していたのが幸いだった。
身分を詰問されないよう両親を失った身寄りのない子供を装ったが、ナチのしつこさから逃れることはできず、協力する羽目になってしまった。

時代が許せば、外交官の父のコネでも伝ってイギリスの大学へ留学したいと思っていた。
ロンドン、パリ、ニューヨーク、行けたらアフリカ、インド、東洋まで…一人で世界を歩き回って、自分の可能性を試してみたかった。
でも、その夢もどうやら絶たれそうだと思った。
一度しかない青春を鉄と血の色に染め上げた戦争への憂鬱が、この美しい顔には出なかったけれども、胸のうちにぼんやりと渦巻いていた。

そんなだったから軍人一家のアンディ、ナチスの旗振り役を何の疑いも無くつとめたジークベルトへの思いも複雑だった。
いいヤツらだというのは頭じゃ分かっていたが、平和な時代だったらもっと素直な気持ちで接することができたと思うと、つらくて。

ああ、こんな時代に生まれてこなければよかったのに。
いや。あと数年だけ時期が早けりゃ、【砂漠の狐】ロンメル将軍のアフリカ戦線に回してもらえて、
ごく僅かな時間だけでも古代エジプト文明の片鱗にでも触れられたのかも…。
そんな囁きが頭をよぎりかけ、慌てて首を振った。

黒いナックルガードをはめた手で握りしめる、自分の背丈ほどもあるステッキは、実際に魔法を発動するさいにはほとんど役立たないお飾りである。
丸い棒に赤い宝玉を掴んだ鷲とハーケンクロイツを模った金属がはめ込まれ、先端は槍のように尖っている。
いま自分の着ている服も、この杖も…ナチの記号と融合した過剰なくらいの古典趣味がけばけばしいと思う。
着ているというより、ナチの嫌悪するあらゆる物に、この我が身が包み込まれているような気分に意識が及び、細い背筋がゾクッとした。

「ところでさ。なんでいきなり最前線へ連れて来られたんだろうね?」

繊細な指でモーゼル銃を弄りながら、ジークベルトが話題を変える。
几帳面に磨きこまれた照準器にはカール・ツァイス社のロゴが光る。

「露助どもを追い返すためにはオレたちの魔法が必要だってことだろ」

アンディが答えると、

「いや、お手並み拝見ってとこだろう。魔法が、どれほど戦力として使い物になるか…という」

とクルトが口を挟む。

いま、3人はソ連軍の進撃してくるであろう平原を見渡せる丘の上にいる。
対戦車壕に身を潜め、魔法で戦車を撃破し、正面から迎え撃つ防衛ラインを支援する。
戦車を足止めしている間に味方師団が敵の背後を両翼から回り込んで袋とじにし、包囲・一網打尽にする作戦だった。

とはいえ魔法使いの存在はまだ極秘扱いで、Z隊は表向き「パンツァーファウストを装備した少年による戦車猟兵部隊」ってことにされてるらしい。
また防衛線とはいえ名ばかりで、味方戦車は少なく、東部戦線から撤退してきた、くたびれた兵士たちばかりが目に付いた。



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