S-4 夜明けの砲声
ソ連軍の攻撃が開始されたのは、まだ薄暗い翌朝未明のことだった。
3人はお互いの体温を奪いあうかのように、背中合わせに毛布に包まって寝ていた。
シンシンと朝露が霜になって積もるかのように、静かな空気は澄んでいたが、緊張に張りつめるくらいの冷気が鼻に痛々しかった。
それを破るかのように野鳥がけたたましく鳴いて一斉に飛び立ち、直後に地響きがした。
ピューピューと鳴るスターリンのオルガン…カチューシャ・ロケット砲から始まり、次に野砲の斉射が続く。
大地がゼリーのように震え、美しい雪景色はたちまち弾痕や茶色の焼け焦げだらけになった。
「えらい新年のプレゼントだ!」
天地がひっくり返ったような轟音と共に、地面から雪が降ってくる。
飛び起きるなり塹壕に転がり込んで頭を引っ込め、耳を塞いでやり過ごす。
しばらくうずくまって身を潜めていたが、やがてエンジン音とキャタピラが地表を踏みしめる音が響いてきた。
「きたぞ!」
穴ぼこだらけになった野原を前進してくる、戦車隊の先頭車両が遠くに見えた。
「いいか、砲塔の付け根を狙うんだ。戦車の覗き窓は小さいから、オレらのことは見えてないはずだ。よく引きつけてから…」
息を呑むふたりに、アンディが落ち着いた声をかける。
しかし遠くに聞こえていたエンジン音がやがて地響きとなり、東の地平に土煙が雷雲の如く立ち上ると、さすがのアンディも自然と身震いがした。
「2個大隊どころじゃ…どわああっ、多すぎる!!」
砂糖の平原を埋め尽くす蟻の大群のように、歩兵を伴った無数の戦車が、少し盛り上がった丘の向こう側から途切れることなく現れた。
先頭車両が500メートルほどまで近づいたとき、アンディは意を決し、地面に印を書いて手袋の掌を突いた。
「偉大なる精霊ノーミーデス、大地を沼と化せ!マッド・フィールド!」
詠唱と共に正面の平原は一部が泥土と化し、戦車がぬかるみに足を取られて立ち往生を始めた。
ちょうど雪解けのはじまった春先の雪原が進軍を困難にさせるように。
「いまだっ、ジークベルト、クルト!!」
広い範囲の泥沼状態を持続させるため、腹這いになり魔力を注ぎ続けるアンディ。
「火の神ロキ、炎の巨人スルト、我が掌に紅蓮の矢を与えたまえ。フレイム・アロー!」
沼地に片足を取られ傾いたT34を目がけ、
ジークベルトの掌から直径1.5センチほどに凝縮された小さな炎の塊が自動小銃のように速射される。
硬く練り上げられた火の弾を高速で射出する反動で、腕骨を伝わった振動が少年の全身を震わすようだ。
マフラー付近に命中し、エンジン部から煙を吐いてゆっくり停車した。
「上手いぞ、ジークベルト!」
続いて「ふー……」とため息を一つついたクルトも肩の力を抜くと目を閉じ、杖を構えて歌うように詠唱を始める。
(戦争が終わらないなら、ぼくが終わらせるまでだ…)
クルトの腹の底から響くような力強い声が響き渡る。
「英明なる光の神バルドル、我は汝の力を求む!シャイニング・スピア!」
背丈ほどもある杖の先から、光輝く槍が飛び出した。
槍は火花を放ちながら宙を直進し、戦車の転輪に絡まるように爆発してキャタピラを吹き飛ばす。
「いいぞ、クルトも見事な腕前だ」
ニッと糸切り歯を見せる、アンディの泥に汚れた顔。
「運動エネルギーは速度の2乗に比例する。破壊力を高めるには速さが大事だよ」とクルト。
アンディは魔力を地中に注ぎ続け、二人は対戦車ライフルさながらに魔法弾を撃ち続ける。
戦車の装甲は分厚く、装甲を貫通するには至っていないが、弱点を狙うことで走行不能に陥らせ、一時的に足止めさせている。
「ねえアンディ、敵が多すぎてこんなの、きりがないよ」
ジークベルトが火炎弾を撃ち出しながら呟いた。
「よっしゃ、作戦変更だ。パックフロントで行こう」
「じゃあ、ぼくとジークベルト。いちにのさんで、同じ一帯に合体魔法をかけるよ。
ジークベルトが敵上空に連射した火炎弾を、ぼくの風魔法で強力な下降気流を瞬間的に発生させる。
地面へぶつけるように誘導すれば、戦車群の装甲の薄い上部に弾丸を雨あられのように降らせることができるはずだ」
ふたりは戦車群の真上あたりを狙って魔法の詠唱を始めた。
「あれ?あれれれれ…」
数秒後、ジークベルトの火炎弾のあられは戦車群から随分と外れた場所に降り注いだ。
「ご。ごめんなさい。次はちゃんと打ち出すから」
「おまえは悪くないさ。クルトがヘタクソなんだよ」
「なんだとアンディ、ぼくのせいか!?」
「ジークベルトが外すわけないだろ」
「さっきはぼくも褒めてくれたじゃないか。きっと息が合ってないんだよ」
そのとき、クルトの頬を銃弾がかすめ地面に当たった銃弾が土埃を上げた。
「あぶない!」
クルトをかばい、倒れこむジークベルト。さらにふたりの足同士がもつれ、アンディの上に覆いかぶさった。
むぎゅっ!!
「あいたたた…」
「クルト、大丈夫!?」
「ダンケ(ありがとう)、怪我はないみたい。狙撃兵がいるな」
表情ひとつ変えず、落ち着いて応えるクルト。
「って、オレの心配はなしか!?」
「やっ…」
顔をジークベルトの尻の下敷きにされたアンディの顔が、鼻血を垂らしていた。
「ごめんなさいアンディ!!」
「ていうか、わが友軍の迎撃はどうしたんだろ」
「さっきの斉射でやられちゃったのかな?」
「やばい!戦車の砲塔がこっち向いた!伏せろ!」
クルトの叫びをかき消して、T34戦車の76.2ミリ砲の轟音が響いた。
だが砲弾は何かに跳ね返され、はるか頭上の空中で炸裂した。
爆圧に丘の後ろ側へ抱き合って転げる3人。
「今の、グランド・ガードか!?」
「アンディ、ありがとう!!」
「オレはキミらの指揮官だぜ? こんな場所で無駄死にさせるかっての」
親指を立てるアンディは眉毛にも泥を付けている。
「礼はいうが、そんな頼もしいことを言うヤツだとは思わなかった」
「なんだと」
また睨みあうアンディとクルトの間に「あーーやめてよ、もう」と割って入るジークベルト。
「ねえ、二人とも見て。ぼくら、取り残されたみたい」
「えっ…」
確かに見回せども、ドイツ軍兵士は誰も見えなかった。
「見ろよ、指揮官まで逃げちまったようだぜ」
クルトの指差す彼方に車で爆走するドイツ軍将校は、既に豆粒のように遠くまで行っているのが見えた。
「総統訓令第11号がうんたらかんたら言って死守命令を出しておいて、アレはないな」
クルトが言うと、
「ああ、ドイツ軍人の隅にも置けないぜ…いっぺん、親父にぶん殴ってもらわねえと」
アンディも呆れ顔。
「僕らも危ない。アンディ、退却許可を」
と言うクルト。その横で、ジークベルトがヘッドホンを着けて首をひねった。
「あーあ、無線機が壊れちゃったみたい…」
「さっきアンディが尻に敷いて壊したんだろう」
「違うって、爆風に飛ばされて、地面に叩きつけられたんだよ」
「どうやればいいんだ? ジークベルト、きみ、こういうの直すの得意だろう?」
「えっ…ちょっ、ちょっと待ってよ…」
「シーーっ!! いま雑踏とロシア語の叫び声が聞こえた…」
「やばい、こっちへ向かってくる!」
戦車砲が何発も火を噴き、152ミリ迫撃砲弾が飛んでくる。
弾着した地面に大穴が開き、その上を飛び越えてソ連兵が土煙を上げて迫ってくる。
『いたぞっ!捕えろ〜』
ロシア語の叫びがすぐそばまで来ていた。
「うわああああっ!!アンディッ、どうする」
「どうするったって……転進ッ!」
「どっちへ!?」
「えーーーと…」
「ミスト・フィールド!」
クルトの左手が青い魔力の輝きを放つと、どこからともなく濃い霧が立ちこめてきた。
「とにかく全力で走れ!パン食い競争を思い出すんだ!」
火薬の臭いと土埃の吹き荒れる中、考える間もないまま、アンディたちは赤軍兵士の大軍の前にちりぢりになってしまった。
3人とも、運動会でもこれほど速く走らされたことはないくらい、肺が破れそうになるまで、走った。
(※筆者注 パックフロント…あらかじめチェス盤のように射撃ゾーンを分け、火力を集中する砲兵戦術)