S-15 ベルリン市内
「ひどい…ライヒ(帝国)も本当に終わりだな」
3人は箒を手に持って、夜闇に紛れて市街に入った。
首都は連日の空襲で瓦礫と化した建物も多く、【マルクの魔術師】シャハト経済相が敏腕を振るった頃の繁栄の面影はなかった。
街じゅうにはあちこちバリケードが張られ、高射砲や野砲の陣地が作られていた。
「ところで魔法協会プロイセン支部へはどうやって行くのだろうか?」
「うーーん、細かい行き道は兄ちゃんしか知らなかったし…」
「オレも小さいとき、親父に連れてこられて以来だから殆ど記憶がないや」
広い街だから、歩き回って探すのは砂漠に埋もれたダイヤを見つけるぐらいに難しい。
「おっと、そうだ。いいものがある…」
クルトが取り出したのは、ベルリン市街地の地図だ。
ずっとポケットにしまわれていたから、ケルン産の香水の匂いを放っている。
「お前、それ貸せ」
「なにするッ」
「クルトは地図を見ちゃだめだ!!」
夢中になると、哲学書を逆さまに持ってるのも忘れて読み耽る癖がこういう時に出る。
「んーっと、これがティーアガルテンだろ? ブランデンブルク門がこれ。
ラントウェール運河を挟んで動物園があって…今はここに防空塔が建ってるな」
「で、目的地はヴランゲル通り8番地の花屋の角を右に曲がって三軒目のビアホール」
「ビアホールだって!?この国の魔法使いは飲んべえが多かったのかな!?」
「いや、支部長が店主をやってただけじゃないのか? 酒場はいろんな人たちが来て、情報も集まりやすいからね」
灯火管制の敷かれた暗がりの中、アパートや商店のビルの谷間の目立たない裏路地を選んで歩き、
兵士や通行人に出くわすと物陰に隠れながら進んだ。
「あと少しだ…」
何時間もかけて少しずつ移動し、目的のビアホールまであと数キロという角を曲がったとき。
突然3人は強烈な光芒に包まれた。
「止まれ!」
待ち構えたかのように路駐した、フロントガラスが砕けあちこち凹んだホルヒの高級車。
その強力なヘッドライトに照らされていた。
中から出てきたのはゲシュタポの制服だった。
「坊やたち、こんな深夜にどこへお出かけかな? 男の子二人に少女が一人とは…」
「あのー、えっとぉ…ぼくたち、ただの小学生ですよぉ!?」
アンディが小遣いでもねだるような笑顔で話しかける。
ジークベルトはスカートを履いて女装している。
懐中電灯で顔を照らされる顔は清楚な美少女だった。
「お嬢ちゃん、夜歩きは危険だぞ。家はどこなんだ」
射抜くように疑り深い視線が突き刺さるように見つめる。
「ポケットの中のものを出せ」
別の男が、クルトの懐に手を突っ込んだ。
「ん〜、なんだ、この黒い本は。『ナツィセ』…ナチ…はて、NSDAP(ナチス党)の発行物にこんなのあったっけ?」
まじまじ表紙を見つめられたが、暗いためか「NARZISSE」のRを見落としたらしい。
没収されずに返され、内心やれやれ胸を撫でおろすクルト。
「おおっ、お嬢ちゃんのスカートをまくったとき現れる、ほっそりした腿のつけ根を隠す、レースのヒラヒラのついた白いパンティにぷっくり浮かんだ膨らみは…!」
「きゃっ!触らないでぇ〜」
「さあ来るんだ! おぢさんの尋問を受けるんだ…なぁに傷つけはしない、安心したまへ」
カモシカみたいに綺麗に伸びた2本のフトモモの付け根、美少女のおしりの割れ目にさわさわと指を滑り込ませる乱暴な手つき。
「きゃっ、チカン!!ヘンタイ〜〜!!」
夜道、身を震わせながらよく通る声で大騒ぎする男の娘は、まだ自分が少女であることを疑ってないくらい、女になりきってしまっている。
「乱暴するな! 何が狙いなんだ!?」
アンディがジークベルトに伸ばそうとした腕を掴まれてしまった。
「ガキども、お遊びはここまでにしようか」
指揮官らしき男が歩み出る。
「ゲシュタポ長官の名において、君らの逮捕命令が出ているのだよ。国家反逆の容疑で…ねぇ?
無線機を破壊して前線から逃亡。赤軍と接触し、生きてコソコソとこんなところまでくるとは…あやしすぎだろ」
示された壊れた部品は、確かにアンディが尻に敷いた無線機のものだった。
「幾つか、事実誤認があるようだが」
クルトの、懐中電灯に照らされる視線が険しくなる。
ゲシュタポ将校は言った…
「もはや戦局を一気逆転し、第三帝国を滅亡から防ぐ大魔法など、ないことは分かってる。
ウィンストン・チャーチルは言った。【戦争において自分の作戦・戦術で勝てないときは、別の思い切った手を打つ必要がある】とねぇ。
今こそ敵に学ぼうではないか。総統の描かれた、魔法使いによる航空艦隊の創設計画も、もはや今からでは間に合わん。が…
・・・ベルリンから脱出し、どこか安全な遠いところへ…そう、南米チリの山奥あたりへでも…一瞬で転送される魔法を、総統閣下は心待ちにしておられる!!」
「そんな距離を飛ばす高度な転送魔法、僕らの魔力じゃとても無理だ!」
とジークベルト。
「しーーーっ!!なに口滑らせてんだあああ」
クルトが口を押さえる。
「きみたちに無理ならそれが可能な魔法使いの名を言え!!」
転移魔法。空間を歪め、望む場所へ瞬時に移動する魔法。
かなりの高位魔法であり、制御はもとより魔力を大量に消費するので、いかにヨーロッパといえど、優秀な魔法使いでも使い手はきわめて数少ない。
「じっ…自分だけ助かろうだなんてズルいじゃねぇのか」
いや、命令を下したのは総統ではないのかも知れない。
側近やSS高官の何者かが、自分が助かりたいがために、魔法使いの少年たちを連行させるために総統の名を使った可能性もありうる。
いずれにせよ3人の心の中で、帝国への信頼が完全に消えうせた瞬間だった。
けれど、魔法協会や他のウィザードたちは捕まっちゃいないのだ。
そのことに気付いたアンディがニヤッと目で笑うと、ふたりもそれを悟って微笑み返した。
ゲシュタポ隊員の笛が鳴り響くと、石畳を駆ける靴音がたくさん聞こえた。
「やばい、囲まれちまうな」
とアンディ。
「ジークベルト、クルト。君たちはまだオレのこと、上官だと思ってくれているか?」
「ああ、一応はね」
「こんな気楽な上官はいないと思うくらいね」
ふたりは右腕を上げる敬礼をした。
「おいおい…」
「でも、ぼくらは忠誠を重んじるドイツ人だし」
「そうか。じゃ、命令だ。『早く行け。ゴールへ向けて突っ走れ』」
「きみを…隊長殿を置いてか?」
「そんな…!」
「大丈夫。すぐ追いつく。オレはここで足止めをする。今やるべきことを考えろ!」
そう叫んだ直後、何丁ものサブマシンガンが火を噴いた。
「ガキどもめ、逃がすか」
しかし、アンディの目の前に現れた魔法の壁に跳ね返った。
グランガードを繰り出すリーダーの背中。
「アンディ、こんなのだめ! だめだよぉっ!」
ジークベルトが手を伸ばす。目に涙をためて。
「めそめそすんな!お前、チンチンついてんだろう?」
『ベルリンに入る前、擬装にとジークベルトに女装させたのはアンディだろう!?』という言葉を飲み込んだクルトが言った…
「いや、ここできみをおいてったらきっと一生悔やむだろう」と。
「誰かが生き残って、『役割』を果たさなきゃならないんだ!そう誓っただろう!?…ぐッ!!」
頬のすぐそばで銃弾が弾け、眉間に皺を寄せるアンディ。
「クルト、行こう!」
ふと何かに目覚めたかのように、ジークベルトがクルトの手を掴んで引く。
「わわっ、本当にアンディを置いて逃げるつもりか!?」
「後ろ髪引かれるけど、いまは【気持ちだけ】置いてくよ!?」
「『どこまでも三人で行こう』って言ったのはキミだろうがぁ〜」
クルトの手はまだアンディに伸びているが、引きずられて行ってしまった。
「それでいい…二人とも。あとは頼んだぜ」
「逃がさんぞ! 何としても捕らえろ!!」
さらに銃弾がアンディ目がけて殺到した。
「うっ…攻撃する隙もねぇっ!」
魔法の壁だって、いつまでももつものではない。
だんだん包囲の距離を狭められ、壁際に追い詰められた。
跳ねる銃弾と閃光の嵐が眼前に迫る。
腰のあたりで何かが軽く触れた感じがする。
「ぐっ」
銃弾の先っちょがズボンの生地に軽く触れたのかと思ってたが、違った。
腰にまとわりつくように、犬が足下にいた…ゲシュタポのドーベルマンだ。
「しっ!しっ!離れやがれ〜」
おちんちんの匂いを嗅ぐかのように、ツンツンと股間に鼻を当ててスンスン鳴らしてる。
「あっ…やめっ…ソコ…くすぐってぇ…」
うねうね揺らす細い腰がたまらなくなって、犬の腹を蹴り上げた。
すると怒った犬がアンディのお尻に歯を突き立てた!
がぶっ!
「痛ぁぁっ!! くそっ、集中力が…!!」
もうだめ…寿命のようだ。ヴァルトラウト、元気で…
これ以上、魔法の壁を維持することはできないと思ったとき。
「寿命なんてのは、神様にしか分からないぞ」
上から聞き慣れたクールな声が叫ぶやいなや、アンディを囲むように炎の輪が広がった。
紅蓮の光が四方の壁を照らし、犬が離れる。マシンガンが暴発し、多数の悲鳴が上がる。
直後、ベルトの後ろを上に引っ張られた。
「どわああっ!?」
きゅっとおちんちんと袋の柔らかな輪郭が、張りつめて伸びたズボンの皺に浮かぶ。
そのまま10数メートル上へ飛ばされて、4階建てアパートの屋根の上に叩きつけられた。
(※筆者注 NARZISSEのRを取るとNAZISSE……ちなみにナチスは「Nazis」)