S-18 ケルン近郊
ガーベルシュタインの本家は、ライン川を見下ろす森の中にあった。
ライン川沿いには沢山の古城がある。
木々の揺らぐ音は精霊の囁き声なのか、それとも小人が住んでいるのか?
「でっけぇ〜屋敷!!」
森に隠れるように、迷路のような庭園のついた3階建ての城がひっそりと佇んでいた。
このあたりは、数百年前の昔はライン川の交易で発展した。
また、フランスにも近く、内外の情報や品物も得やすい。……などの事情で、ガーベルシュタイン家の先祖はこの地を居住地として選んだに違いない。
「うわぁ、火の玉とか出そう…」
ジークベルトの膝がガクガク震え、アンディの腕を掴む。
「こっ、怖いこというなよ。古(いにしえ)の魔女狩りに遭った魔法使いの、のののの、呪いとか…ノインテーターとか、食人鬼グレンデルとか」
アンディも震えてる。
「失礼だなぁ、ひとの実家を化け物屋敷みたいに言うなんて。それと墓場の火の玉はリンに火がついて燃えるだけだよ。魔力とは関係ない」
クルトは落ち着いて屋敷の戸をあけた。
すると中から白髪の執事が出てきた。
「クルト坊ちゃま!ご無事でしたか」
「書庫は無事なのか?」
「はい、今のところは…ただ、米軍が近くまで迫っているとのこと。時折、航空機の音が聞こえます」
確かに耳を澄ますと風に乗って、遠くに雷のような砲声、さざなみのような機銃音が聞こえる。
「だってさ。米軍はすぐそこまで来てる」
クルトが振り向くと、
「すぐ西にジークフリート要塞線が引かれてたはずだが、もう突破されたのだろうか?」
アンディが視線を落とす。
「ナポレオンの侵入をも拒んでくれたライン川だ、もうしばらく持ちこたえてくれると信じよう」
「このまま投降したっていいんだぜ。米軍ならきっと、紳士的に扱ってもらえる」
「いずれ負ける戦争でも、今はそんなことするわけないじゃないか。アンディってば」
そのとき屋敷の奥から、フランカそっくりのお嬢さんが出てきた。
「クルト!どこほっつき歩いてたんだい!?」
「クラリッサ姉さん…」
対面するなり殴り飛ばされそうになるのを、細い身体がひらりと避ける。
「学校の寮から失踪したと聞いて、家出したのかと心配してたんだよ」
「姉さん、ずっと聞きたいと思ってたんだけど!! ケーニッヒグレーツ行進曲、弾ける!?」
「チェンバロで軍楽マーチなんか弾くわけないだろう! ばか」
今度は避けるタイミングがずれて頬に手のひらが命中した。
目の前をチカチカ星が舞う中で思った…
どうやら魔法は気まぐれにもイタズラを施すことがあるらしいことが今回、経験上分かった。
最大時の金星が角状をしているのを観察したガリレオ、投石機から放たれた石の軌道を観察して新しい自然科学体系を構想したデカルトに倣い、
今回の体験は、魔法の謎をまた一つ解明するきっかけにできるだろうか?
「ああっ…鼻血が出てるよ」
ジークベルトが手を伸ばし、ハンカチでクルトの鼻を拭う。
兄にぶたれたことのない少年には動揺を押さえきれない。
「バカ弟はね、これぐらいしないと…」
言いながら、クルトのお友達のほうを見たクラリッサの顔が変わる。
「やだ!あたし好み…」
クルトの首に腕を回して、急に猫なで声を上げる。
「この子、クルトのお友達? よく見たら、少年団(D.J)リーダーのジークベルトくんじゃなくって!? あんた、いいコネ持ってるじゃないの〜」
「は…はじめまして」
おどおどしながら固くつながれた両手をブンブン縦に揺らされるタレント少年。
「わーっ、握手しちゃったわ!? この手、もう洗えないわね!!」
「へぇ、お前有名なもんなんだな」
「ニュース映画とかで知った女性の一部に、熱烈な追っかけがいるらしい」
(…うちのクルトは攻めなのかしら? 受けかしら?)
顔を真っ赤に独り言を言いつつキャーキャー一人で騒ぐ姉を横目に、痛む頬を押さえながらクルトは二人を連れて庭に出た。
広々とした庭園は大理石の彫像、石碑があちこちに置かれている。
「ああ、これだ。アンディ、ジークベルト。押すのを手伝って」
「じゃ、せーの。う〜〜〜〜〜ん」
天使の彫像のひとつをずらすと、噴水から聞こえていた水音がしなくなった。
「噴水が地下室への入り口になってるんだ」
噴水の水の流れていた裏側が見えるようになり、下り階段があらわれていた。
「これ、ガーベルシュタイン家の秘密だからね。口外無用だよ」