S-20  1945年5月10日 ガーベルシュタイン邸



夜明け前の薄暗い朝。
もう砲声はなかった。静かな朝だ。
戦争は昨日の世界へと過ぎ去り、全く新しい世界が開けていた。

ケルン近郊のガーベルシュタイン家の庭に、魔法使い30人ほどが集まった。
顔ぶれは魔法協会プロイセン支部のオスカー支部長やフィリップだけでなく、外国人…連合国側…の魔法使いも何人かいた。

アメリカ人。英国人。イタリア人。フランス人の少女。オランダ人…
イグナートは来なかった。彼の部隊は今、ベルリン市内に駐留している。
魔法協会プロイセン支部のあるビアホール一帯を厳重に警備し、ドイツの魔法使いたちに危険が及ばないよう計らってくれているはずだ。


「へぇ、キミがあたいらを脅かした、【ルールの夜の魔女】かい」

英国空軍の女性パイロット、キャロルがエリクの肩に腕を伸ばした。

「あの狡猾なクレイグを仕留めるなんて、大したヤツだよ。あたいが取り逃がしたものだから、空軍に潜伏するのを許しちまった…」

少年のまだ頼りなさげな薄い胸に、自ら抱かれこむように身体を寄せる女。

「本国ではぼくのこと、何か噂してますか?」

フフっと苦笑いするエリク。

「いーや、『魔法使いなんているわけない』ってことで、『V1ロケットの実験機を見間違えただけだ』で片付けられてる。
 逆に『見た』と真顔で証言するパイロットはオカルトに嵌まった狂人扱いさ。かわいそうなもんだよ」

その口調に『きみの責任だからね』と聞こえない声を聞いた気がして、申し訳なさげに俯くエリク。

「でも【ウィンドウ】に負けたんだろ」
「うん…あれは魔法じゃない。ぼくは科学に負けたのさ」

キャロルが、こんどはジークベルトに歩み寄る。

「そして坊やが弟でナチのアイドルくんだったって…?」

瓜二つの、やや幼い少年の服の中に爪の長い指先を入れ、引き締まったお腹に触れる。

「やっ…」
「ドイツ人は腹黒いからおヘソが臭いって聞いたけど…キミのも臭いのかぁい…?」

マニキュアの爪がへそに食い込む。
今、攻撃魔法を発動されればはらわたをたやすく破られるような緊張が背筋を走る。
魔力を察知し、エリクの眉がけわしく引きつる。
が、女がかけたのは軽い回復魔法だった。すぐに手を取り出して肩を組んだ。

「あたいの男のコたち。離さないんだからネッ」

それを、アメリカの水兵が指差して笑った。

「ついてくと怖いぞ? 彼女はスピットファイア乗りだが、性根はヘルキャット(性悪女)だ」
「うるさい、おだまりッ! これが同盟国の言うことさ…ったく」

むくれるキャロルのまわりで一同、笑ったが、エリクだけは焦点の定まらない、赤い瞳で空を見上げた。
エリクだけが、キャロルはロンドン空襲で肉親を亡くしていたことを知っていたから。
憎しみの連鎖は何も生み出さず、何者も救わぬ。「ああ、これが英国淑女の振る舞いなのか」と思った。

「クルトの親父さんも、陰で動いてくれたんだってな」

とアンディ。
イグナートだけでなく、クルトの父もまた外交官の立場を利用し、密かに世界各国の魔法使いに連絡をとるため動いてくれたことは、アメリカの水兵から聞かされて初めて知った。
そのクルトはフランス人少女のレオニーと音楽談義に夢中になっている。

「ブロッケン山の上を飛んだとき、この四年間は【ヴァルプルギスの夜の夢】だったのかも知れないって思ったのさ」
「つまりヤク中みたいなもんだってこと?そりゃー確かに当たってるかもしれないわね」
「おいおい、エクトル・ベルリオーズがヤク中だったからって…」

クラリッサが、エリクに礼を言いにきた。

「いろいろ世話になったわね。弟を守ってくれて、ありがとう」
「いえ、ほとんど役立ったのはクルトです。ぼくはほんの少しお手伝いしただけですから…
 それにぼくは一度死んだ身です。たとえば故人の遺したモノが何かの役に立つこともある。それと同じだと思ってくだされば…って…あの…」

クラリッサの目が、恋する乙女になっている。

(ああっ、素敵な男性…! 凛々しい美しさの中にも翳があって、い〜感じだわねぇ)


「ぼちぼち、始めようか」

とりとめのない社交場を打ち切るように、フィリップが言った。
アンディは父から距離を置き、隅っこのほうでジークベルトと手をつないでいる。
最後の魔道書を封印するさい、現れた魔族にズボンの上から股間を揉まれ、魔法因子をパンツの中にぶちまけたところを父フィリップに助けられた。
魔族はフィリップ怒りの一撃で消散し、後で父はポンと息子の肩を叩き、言葉少なげに「立派なドイツ男子に成長したな」とだけ言った。
しかし精液はズボンにまで染み出すほど多く、性の恥じらいの芽吹いた年頃、以来父の顔をまともに直視できずにいる。

魔法使いたち数十人で、庭園の噴水を囲んだ。
この戦争で犠牲となった多くの魔法使い、そして国境を問わぬ多くの人々。鎮魂の祈りを込め、声を揃えて詠唱する。言葉は違えど、思いは同じ。

「我らが至高の主、英明なる神々、聖なる精霊たちよ。汝の祝福を、我らが願い事にもたらしたまえ…」

すると、木々の植え込みの上にウランガラスのような緑の光がぼうっと輝き、庭園に巨大な魔方陣が浮かび上がった。
地下のグリモワールが共鳴して魔力が増幅され、屋敷の敷地全体をやさしい光が包み込んだ。結界が張られたのだ。
書庫に収められたグリモワールと、ドイツ内外からかき集められた魔道書を、悪い人間たちから覆い隠してくれることだろう。

その後ガーベルシュタインの広間において、各国の魔法協会の建て直しと、魔法使いたちが今後どのように連携していくかが話し合われた。



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