S-21 ガーベルシュタイン邸 庭園


大人が屋敷の広間で会議を続ける間、少年たちは庭にいた。
高く上った汗ばむ日差しの下、アンディとジークベルト、レオニーが噴水の周りを走りまわっている。
蝶が満開の花々の上を舞っていた。
横溢するいのちに囲まれたベンチで、クルトとエリクが並んで座っている。

「動植物は生存のために戦うが、人間は支配のために戦う…」

話しているのはクルトだ。

「ルネサンス以来、近代ヨーロッパ発展の基礎となった『西欧合理主義』。
 その理性の力こそ政治、経済、文化、科学技術……人類に進歩をもたらし、幸福へと導いてきたはずだった。
 ところが今回の戦争。ふたを開けてみればユダヤの迫害、一般市民の虐殺。科学が数え切れない野蛮に使われた。
 これまで築き上げてきたヨーロッパの価値観、善の財産を吹き飛ばしてしまったんだ。ショックだよ」

細面に頬杖をつきながら、クルトが肩を落とす。

「ぼくには良く分からないけど…」

隣で足を組んで座っていたエリクが口を開いた。

「今回の魔道書回収も戦争の敵味方関係なく、多くの人たちの協力があってこそ成し遂げられた。
 ぼくはまだ、人間の理性を信じるのをやめられるほど絶望しちゃいない。それは根拠のない楽観だろうか?」

焦点の合わない目で、ふふっと口もとに笑みを浮かべた。
そのとき背後に魔力を感じ、クルトが振り返る。

「何者だ?」

現れたのは、背が高く、横とうしろの髪をさっぱり刈り込んだ青年だった。
茶色いロングコートに身を包んでいる。

「これは失礼。魔女同盟のエグゼキューター、フェリクスと申します」

「…迎えに来たのか」

すっと立ち上がるエリク。
その日かげの動きに寄り添うように、芝生の上を群がって飛んでいた細かな虫の群れが移動していく。

「迎えって、何を…」

ジークベルトが駆け寄ってくる。

「お兄ちゃん! どこかへ行くの!?」
「ジークベルト、話があるんだ」

エリクは話した。ハンブルク空襲の夜、撃墜された死の直前、偶然にも魔女同盟に捕らえられていたことを。
落下していく中、フェリクスの魔法の糸で縛られて空中に吊るされた。

エリクは魔法を戦争に使った罪で捕まったのだ。
だが、ひと段落着くまで待って欲しいと言うと、フェリクスはむしろ陰でエリクに協力してくれた。
魔族退治や、魔道書回収の支援など。

「フェリクスは約束を守ってくれた。今度はぼくが約束を守らなきゃ」
「そのルールだったら、ぼくらだって…」

言いかけたジークベルトを、フェリクスが遮った。

「キミたち3人の件のことは、イグナートから話を聞いている。
 ナチに強いられ、戦争で魔法を使いかけたが、危険を冒して人々をドラゴンから救ったと聞いた」

「ジークベルト。ぼくはこれから罪を償わなきゃならない。
 国を守るためとはいえ、自らの意志で魔法を戦争に用い、殺傷した罪をね。しばらくお別れだ」

「そんな…兄ちゃんがいなかったら、ぼく…これからどうして生きていけば…」

やっと巡り会えたと思った。
そして今日、大きな使命が一つ終わった。
でも別れの日も今日だったなんて、思いもしなかった…

「魔法協会はみんな、ジークベルトの味方だ。アンディも、クルトも…友達がいるだろう? それに魔法使いの仲間もね」

抱きついた弟の髪を左手で、ふさっと撫でてやる。

「いつか落ち着いたら、ドイツの魔法協会を復興するんだぞ」
「そんな…やだよ!!お兄ちゃんと一緒に…兄ちゃんのほうが魔法もずっと上手いし」
「それはできないんだ。後の世代に続く魔法使いのためにも、まずはぼくが範を示さなきゃ。それが魔法協会を蘇らせる一歩になると信じる」

今まで浮かべたことのない、鮮やかな笑顔だった。

「ジークベルト、お前にならやれる」

しばらくジークベルトは黙り込んでいたが、やがて同じ顔が残念そうな笑みを浮かべた。

「……そっか、またお別れなんだね。せっかく会えたのに。お兄ちゃん」

ジークベルトの目から涙が溢れる。

「せめて僕の焼いたケーキ、味わってから行って欲しかった! 練習したんだよ?」

エリクの懐に飛び込んできた弟を、そっと抱きしめた。

「しばらくすれば、また会えると思うから…」

左手が、ピョコンと跳ね上がった癖毛に触れた。

「いつか必ず、食べに戻るからね。もっともっと、腕を磨いておいで」

その約束は、エリクが唯一守れなかった弟との約束になった。
最後に、こう付け加えた。

「父さんを頼んだよ、ジークベルト」



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