「幕末レンジョウ」
-前篇-








―――ん…」



 隣の布団から何やら蠢く気配を感じて、沖田はモソッと肩を突いて起き上がる。


「はじめ――さん…?」


 そこには、薄暗い闇の中、身を起こし今まで横臥していた床をたたみ始めている相方の姿が。
 声を掛けられたことに驚いているのか、やや目を丸くしてこっちを見返していた。


「あ――すまん…起こしたか。」
「いえ…それはいいんですけど―――何?一さん、今夜巡察はないって昼間言ってなかった?」
「あ、ああ、」


 その事か―――、と斎藤は手を止めずに受け答える。


「実は二番隊の中に風邪引いて巡察に出れない隊士が結構いてな。永倉さんから人数合わせに上番頼まれたんだ。」


 夕飯を食べ上げた後に、と斎藤はこともなげにそう言い放つ。

 確かに。
 最近季節変わり目のせいか新撰組屯所内には風邪が流行している。
 中にはひどく長引く者もいて、この新撰組の慢性的な人手不足に輪を掛けてもいた。


 そういうことなら新入隊士でも入れれば―――と簡単に人員を補充したくとも、大所帯となってしまった今現状の屯所ではその新入隊士を迎え入れる施設も整わず、仮に迎え入れたとしてもすぐに実践で使える程度に仕込み上げるには日数が掛かり、とてもじゃないけどそんな輩を指南するための人数を今の新撰組は割ける余裕はない。

 とにかく――即実践力――を組織は欲していた。

 それ故、使える者はたとえ勘定方でも引っ張り出せ、との鬼副長の命でいまや屯所内はてんやわんやしているのだが、誰しも「いくら使えても、箸にも棒にも引っ掛からない腕っぷし」にこの命、預けたくはない。
 そうなると一人で三人分の働きをしてくれそうな者を獲得しようとするのは―――必然のことで。
 もちろん永倉もそう考えて、斎藤に声を掛けたのだろう。

 それは一個隊を任されている沖田にもよく分かることだ。


 分かるが…。


「一さん…。あんた確か、昨日もその前の晩もそう言って夜中抜け出さなかった?」
「…」


 ”抜け出す”とはどういう料簡だ、と半ば呆れながら斎藤は否定はしない。


 そう斎藤は永倉が隊長を務める二番隊の前は原田が隊長を務める十番隊、その前の日は藤堂がいる…と連日引っ張り出されていた。


「あんたちょっとお人好し過ぎますよ。」
「だが人手不足で皆、困っているんだ。動けるやつが動かないとしょうがないだろう。」
「…」


 確かに斎藤の言うことも尤もなのだが、自分が”何に”拘っているのか―――沖田は”それ”に気付いて欲しかった。


 だが元から人の気持ちに聡い方ではない斎藤は、やはりそんな気付く素振りは見せず布団をきれいにたたみ上げるとさっさと着替えに取り掛かる。

 寝着の腰紐を緩めて一気に引き抜き、バサッと肩から着物を落とすと衣紋掛けに掛けてあった紺地の着物に袖を通す。
 そして慣れた手付きで腰帯を巻き上げると同時に、ふ、とうしろを振り返った…。


「…なんだ。」

「♪」


 そこには一連の動作を不気味に黙って見ていた沖田が。
 その顔に浮かんでいる何とも楽しそうな表情を見つけて、斎藤はげんなりと肩を落とす。


―――あんた…ぼおっと見てないでもう一眠りしちゃあどうだ?巡察には当たってないんだろう?まだ朝までだいぶ間がある、ゆっくり寝てろよ。」


 そう言って斎藤は沖田の枕元に近寄ると、ぐいっ、とその頭を軽く布団の中へと押しやる。
 それには―――着替えの様子をじっと見られていた、という照れ隠しの意味合いも半分、紛れ込んでいた。

 沖田はそんな斎藤の”可愛らしい”心情を察しながら、頭に置かれている手を咄嗟に取った。


――っわ!」


 そして素早く手首を握り締めると思いっきり自分の胸元へと引っ張り寄せた。


「お、沖田さんっ!?」


 真夜中であるためあまり大声は出せないが、それでも威嚇するような厳しい声を斎藤は発する。


「そう怒鳴んなさんなよ一さん。」


 だがしっかり斎藤を腕の中へと抱き込んだ沖田は意を介さず、飄々とそんなことを言ってのける。

 誰よりも近い場所で、誰よりも長い時間―――この男を傍で見てきた沖田にとっては、これくらいの斎藤の激怒には何ら慌てることはない。
 却って調子が出て来るのか、いよいよ本格的に抱き込み態勢に入ってしまう。


「ちょ、ちょっと沖田さん!俺には時間がっ。」
「あんな色っぽい格好見せる一さんが悪いんですよ。」
「なっ!」


 なんのことかまったく見当がつかず、斎藤が腕の中で暴れ出す。
 それを難ともせずに沖田はさらに顔を近づけて言い募る。



「あんた―――気付いてないと思うけど、あんたの背中…すっごく色っぽい。」

「!」

「も、むしゃぶりつきたいぐらい、にね。」




(…そんなのっ!)



 鏡でも見ない限り自分で自分の背中なんて見えやしないし、それに見えたってそれを「色っぽい」などと思うわけないだろう!!と斎藤は沖田の言葉に尽く翻弄される。
 しかも沖田は器用にも手も使わずに唇だけで斎藤の襟口を広げ、現れたしっとりとした肌に、そっ、と接吻を施し始めた。


「それを寝起き様に見せつけられて…そっちの方が罪作りじゃないですか?」
「馬、馬鹿言ってないでさっさと――あ!」
「ん。離して上げますけど…今度の非番たっぷりその背中、拝ませてくださいね。」
――っ!このッ。」


 どうして布団の上に寝転がっているこの男の腕を振り解けられないんだ―――と今更ながら沖田の執着ぶりを実感する。


「い、いまそんな事言うこと…ない、だ・ろ…んっ!離せっ。」
「約束してくれないと離しませんよ。」
「沖――ッ!」
「今度の非番、空けといてくれますか。」
「…っ……わ、わかった―――わかった、からっ!」


 腕の中の斎藤の肌を擽るように唇を満遍なく這わせていた沖田はようやっとその行為に終止符を打ってくれた。

 布団の上の斎藤は、折角折り目正しく着付けた着物はすでに乱れてぐちゃぐちゃで。
 特に沖田によって肌蹴させられた胸元は、普段の彼を知っている者であれば驚愕するほど淫らに乱れている…。
 沖田は床の上からそんな斎藤を見上げ、その乱れた胸元に視線を集中させる。



――っ、何っ!?」



 喉許に突然走った痛みに斎藤は思わず顔を顰める。


「お、沖田さん!?」


 そして肌に散った紅の痕を見つけて、白い顔を一気に染め上げた。


「いい加減にしろっ!」


 もうこれ以上は耐えられない、と乱暴に沖田の腕から逃れると斎藤は急いで襟元を正し袴を身につけ、巡察に就くために部屋を後にした。






―――…」



 部屋には何故か、先ほどまで斎藤に触れていた唇を何度も撫で上げる沖田が。
 いつになく神妙な顔つきで斎藤が出て行った先をじっと見つめていた。


 







「すまん、遅くなった。」
「お、斎藤遅えじゃねえか。」
「すまない。ちょっと準備に手間取って、」
「まあた沖田に茶々入れられたのか?」
「!」
「ったくあいつ、いっつもおまえさんを借り出すといい顔しねえよなあ。」
「あ、あのな永倉さん…」
「おめえもいつまでも沖田に甘い顔見せてっからなめられるんだぜ?」
「…」


 たまにはビシッと言ってやれ、と鼻息を荒くして永倉はそう忠告する。


 しかもさっきまでの一連の押し問答を見ていたのか―――と思うほど永倉の言い分は実にタイムリーで…。
 それ故、斎藤は何も言い返せずにその場に固まってしまう。


「ほらとっとと出発するぜ。今夜も何もなければいいがな。な斎藤。」
「あ、ああ…」



 複雑な心境に陥りながら斎藤はようやっと返事を返す。

 人手不足の歯抜けの二番隊が屯所を後にする頃、空に上った三日月に静かに黒い雲の先が怪しく忍び寄っていた―――






















 ポツ・ポツ・ポツ…




 ザァーーーー…







(…雨――?)



 閉じた襖の向こうから雨の音がする…。


 あれから布団に横になっていた沖田がうっすらとその意識を覚醒させる。
 どうやらつるっと自分は寝ていたらしい…。斎藤が帰ってくるまで起きて待っていようと思っていたが、思いほのか身体は休息を必要としてたみたいだ。
 自身のことながら、なんとも正直な本能に苦笑せずにはいられない。

 だいぶしっかりと意識を持つにつれ、こちらに近寄る足音を沖田は感じ始めた。
 その気配はピタリ、と沖田のいる部屋の前で止まった。


 静かに襖が引かれる。




「…起きてたのか…」


「お帰り、一さん。」



 そこには一刻ほど前にこの部屋から巡察に向かっていった斎藤の姿が。
 沖田は予想と違っていない事実に思わずほくそ笑む。


「もしかして…起こしてしまったか?」
「え?」


 だが斎藤は、そんな嬉しそうな沖田の様子に気づくことなく、自分が睡眠の妨害をしたと思っているらしく、どこか申し訳なさそうに軽く首を落とす。
 そう。殊更、剣士というものは近づく気配には敏感で。
 それが戦場の場であれば多いに役に立つものではあるが、寝ている間もその能力が働いてしまうのには玉に瑕なところがある。
 自分が帰ってきたことで沖田の、その鋭敏な神経を起き覚ましたんじゃないのか、と斎藤は恐縮する様子を見せていた。

 沖田はそんなこちらを気遣う斎藤に、「違いますよ、さっき雨音で目が覚めちゃいましてね」と弁解してみせる。


(だってそれは本当のことだから…)


 だが雨音が耳に届いたと同時に、その雨の下で巡察に就いている斎藤の姿が思い浮かび自然、意識が浮上したことは黙っておく。


「雨、結構本降りになってんですね。」
「あ、ああ…帰営する途中ぐらいからな。」
「一さん、びしょ濡れじゃないですか。」
「ああ、そうだな。」
「早く着替えた方がいいんじゃないですか?」
「ん。」


 そう言って、沖田はさりげなく斎藤に着替えを促せる。
 そうでもしないと入口に突っ立ったままそんな素振りを見せないのだ。ようやくのそっと着替えをし始めたその背中に、沖田は少し声を落として声を掛ける。



「大丈夫、一さん…?」

「え?」



 そう声を掛けられた斎藤は、何のことを言われているのか分からず暫しきょとんとする。
 だがすぐに濡れた身体のことを言ってくれてるんだと気づき、少し表情を和らげ軽く笑みを見せ、


「ああ大丈夫だ、これぐらい。」


 あれしきの雨で、と口を添える―――が。




「…」



「沖田さん?」




 何やら沖田の表情は険しくなるばかり…。

 斎藤はますますわけがわからなくなり、着替えもそのまま困惑に立ち尽くす。
 いくら待てども沖田の表情は晴れる事はなく、それが自分のせいだ、とはわかるものの―――この状況を打開すべく原因が斎藤には思い付かない。
 ようよう困り果てていると、沖田が常にない声音と共に口を開いた…。



―――何、やせ我慢してるんですか。」
「…え…」
「本当は大丈夫なんかじゃないんでしょ?」


 それは先ほど自分が口にしたことを指しているのか、と斎藤は首を僅かに傾げる。


「こんなに雨が降るって分かってたら無理にでもあんたを行かせたりしなかったのに…」


 すると沖田はそう吐き捨てるように口を開いた。
 そのいつにない口調に、斎藤は訝しげる。

「沖田さん?」
「本当は普通の顔、してるのも辛いんでしょ?」
「!」
「何ともないようなふりして――あんた私を馬鹿にしてるんですか?」
「沖…、」
「平気な顔して…ばれてないとでも、思ってるんですか。」
「…」


 あの時、触れた斎藤の肌はいつも以上に熱く熱を発していた。

 どう考えても尋常じゃない体温。
 普通の輩なら立っている事さえもきついほど。
 なのに斎藤は沖田にそれを最後まで押し隠し、さらに雨が降りそうな京の町へと巡察に出掛け降り出した雨にびっしょりと濡れて戻ってきた。


 そうこの季節変わりで体調を崩していたのは他ならない斎藤であり。
 なのに「人手不足だから」と言って無理をして隊務にいままで就いていたのだ。

 決して沖田にも告げず、誰にも頼らず。
 自分ひとりでどうにかしようと――これまでずっと気を張り詰めていた…。
 だがそんな事情もすっかりばれたこともあって、今まで我慢していた斎藤の顔に徐々に苦悶の色が浮かび始める。

 自分の前で立ち尽くす斎藤の、その手を沖田は咄嗟に取った。


「ほら、こんなに身体に熱が篭って。」
「!」
「これでよく平気だって言えますね。」
「おき、た…さん。」


 厳しく己を糾弾する声。


(怒ってる…)


 斎藤はそう思い、きつく瞼を綴じた。


「…」


 こっちの気も知らずそんな態度を取る斎藤に、沖田はぐっと唇を噛み締める。
 越えそうになる感情を握りこぶしに力を込めることで何とか抑え付ける。


「何…してんですか…」
「…?」


 尚も冷たい声音が沖田から降り注ぐ。
 斎藤は少し憔悴しきった顔を上げる。


「ぼやっとしてないで着替えたんなら早く布団に横になったらどうです。もっと悪化させたいんですか。」
「あ、ああ…」


 熱のせいか緩慢に動く斎藤の様子を沖田はじっと見つめ続ける。
 その何とも居た堪れない視線を感じながら斎藤は大人しく己の布団へとその身を沈める。
 横になったのを見届けると沖田は徐に立ち上がり部屋を出て行った、かと思ったら手に水桶を持って戻ってきた。
 水に晒しきつく絞った手拭いを斎藤の額へと乗っける。

 その一連の動作の間中、沖田からの言葉はない。

 多分それはあまりにも自分が愚かなことを仕出かすからだ―――とそう斎藤は信じて疑わなかった。
 だから一言でも侘びを入れようと口を開け掛けた時…。



「あ、あの沖田さ―――

「ちょっと…出てきます。」

「え・・」



 当の本人である沖田はそう言って静かに部屋から出て行ってしまった…。
 その時、まるで見捨てられたかのような胸を抉る感覚が斎藤を襲った。












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