「幕末レンジョウ」 -後篇- |
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具合の悪い斎藤をその場に残し沖田はとある人物がいる部屋へと向かう。 こんな夜更けにひょいと顔を出しても支障がない部屋―――それは。 「…どうした、いったい。」 この屯所内で一番多忙を極めているであろう土方歳三の部屋。 案の定、部屋には煌煌と明かりが灯っており、中には手に筆を持ち、少し呆れ顔した土方が沖田を出迎えてくれた。 沖田はとりあえず斎藤の体調が悪いことを報告する。 「――そうか…あいつはちぃっとばかり無理しすぎるんだよなあ。」 「そう思うんなら人員回して下さいよ。」 「それが出来たら苦労せんわ。」 土方もどうして斎藤の体調が悪くなったのか――正しく把握はしている。 だが今のこの現状、これ以上はどうすることも出来ないのだ。 もちろん沖田もそのことは重々承知している。 「この際、大人しく寝てくれている方があいつのためだな。」 「そう、ですね。一さん、すぐ無茶するし。」 「何だ?他に何かあるのか?」 そのちょっと拗ねるような態度に土方が目敏く問い返す。 「別に――なんでもありませんけど。」 「…」 ”なんでも”って顔か、それが…と土方は密かに嘆息する。 すでに何度かこうして真夜中にひょっこり顔を覗かせていた沖田の所業のおかげで、ここ最近では急に来訪されても驚かなくはなってきた。 だが、他の者に置き換えて見れば「何事かあった」かと思う刻。 なければこんな夜更けにわざわざ副長室に足を運ぶ事はないだろう。 目の前の男の本音を見抜こうと、土方はしばし躍起になるが完璧に感情を内へと内包した沖田の乱れひとつも読み取ることは出来なかった。 しかもここにきて急に、だんまりを始める始末。 これはもう放っておいた方が無難か、と土方もすぐに諦めた。 「土方さん。」 「ああ?」 どれほど沈黙が続いていただろうか…。 あれほど賑やかなこの男が黙っているのも気味が悪いが、こんな夜更けまで仕事を貯め込んだ土方には却ってその沈黙が有難かった…のだが。 どうやらそれもここまでのようらしい。 本人からこんな刻、「斎藤の容態」以外で部屋へとやって来た事の次第が聞けるようだ。 土方は徐に沖田の方へと身体を向けた。 「人の心が読めたら…」 「はあ?」 だが、あれほど黙り込んでいた沖田から発せられた台詞は―――何とも乙女ちっくなものだった。 それでも構わず、沖田は言葉を続ける。 「人の心が読めたら…どんなに楽でしょうかねえ。」 言い上げたと同時に、はあ…、と堪らない息を漏らす。 まるでそうなることを望んでいるかのような言い草。いや、こうして口にするぐらいだ。今の沖田は本気でそんなことを考えているのだろう。 「どうしたもんかね」、と土方は頭をぽりっと掻く。 「そりゃあ、あれか。何でも人の考えていることがわかっちまうっていう”覚”って妖怪のことか?」 「ふふ。原田さんあたりが聞き耳たててたら厄介ですよね。」 まあな、とそれを受けて土方は苦笑する。 原田のお化け嫌いは隊内でも有名である。 そんな原田が同席している場でそんな話しをしようものなら辺り構わず、時刻構わず叫びまくることだろう―――と…その光景を思い浮かべて思わず土方は眉間を指で抑える。 (あいつ、あんな図体でかいくせにヘンなものが苦手だからなあ…) それで何度迷惑被ったことか…と思い出したくもない昔話を思い出しげんなりとする。 沖田はそんな土方の内情を察しながら少し視線を伏せてさらに続けた。 「私が…いえ、あの人が”覚”だったらこんな気持ち、持て余さなくてもいいんでしょうけど…」 「…」 滅多に肩落ちしない沖田の肩が見事に下がっている。 土方はそんな様子を垣間見て、ホトと眉尻を下げた。 目の前の男がこういう態度を取る時は決まってある人物が関わっている。今宵も先に話題が上っているように、それは間違いではないらしい。 土方は急に阿呆らしくなって妙に張ってた気を緩めた。 「ばあか!」 「?」 ふいに聞こえた気の抜けた声に、沖田がゆるりと顔を上げる。 「人間ってのは何、考えてるのかわかんねえから面白いんじゃねえか。」 「土方さん。」 「人が皆、考えてる事がわかったら何したって意味ねえだろう。人が考えもしねえことをやることに意味はあるんだ。」 確かに、と沖田は始めは投げやり気味だった土方がいつのまにか熱弁を振るっている様子を苦笑気味にじっと見つめる。 土方の言う通り、すべて相手の考えていることがわかってしまうとつまらない事が多すぎる。 沖田は斎藤の寡黙な表情の下で何を考えているのか当てるのが好きだ。 伏せ目がちの目が物言いたげに何を訴えているのか、それを考えるのが好きだ。 怒っていながらも、実は親身になってこちらの事を考えてくれている斎藤を見ているのが好きだ。 だから端っから心が読めてたら、日常はつまらないことこの上ない。 「―――ようは、おめえがどれだけあいつの事を心配しているのか、それを覚って欲しいんだろ?」 「土方さんも―――かなり”覚”ですね…あ、もしかして本当は人間の皮被った妖怪だとか?」 「こら総司!」 一瞬、部屋に昔懐かしい空気が漂う。 剣の上達だけを喜びとしていた、あの多摩で過ごした日々と同じものが…。 だがそれも、本当にほんの一瞬だけのこと。 土方も沖田も、今、自分達がおかれている現状から目を背くことは出来ない。 「ったく、口だけは一丁前になりやがって。」 「土方さんのおかげですよ。」 「…おい。」 にっこりと腹の中で何考えているのか分からない質の悪い笑みを沖田は浮かべている。 土方はもう何度と見たその顔にげんなりと深い息を吐く。 「んなくだらねえことばっか言ってる暇あったら、あいつの看病についてってやれよ。」 「そうですね。そろそろ戻らないとあの人が本気で心配してしまいそうだ。」 「――総司。」 「はい?」 そう言って出て行こうとする沖田を、背中越しに土方が呼び止める。 「人が物をしゃべれるのは、思ったことを人に伝えるためだと俺は思っている。」 「土方さん…」 「黙っていたって相手にゃ何も伝わりゃしねえんだぞ?あいつは”覚”じゃあるまい。」 「ええ。本当、そうですね。」 最後に。 心の底から穏やかな笑みを土方に見せて沖田は部屋を後にした。 これまでいろんな顔を見てきたが、久し振りに見る沖田のその表情に土方は満足げに微笑み、 「頑張れよ。」 そう届かない声を贈った。 …んっ! 額にヒヤッとした感触がして…斎藤は重い瞼を開けた。 「沖――田さん…?」 そこには心配げにこちらを覗き込む、さっき部屋を出ていた沖田が。 その姿を見た途端、ふぅっと斎藤の身体から力が抜ける。 「一さん…気がつきました?気分はどうです。」 「あ、ああ…だいぶいい。」 「そうですか。」 どうやらさっきの冷たい感覚は沖田が熱で篭った手拭いを再び水に晒してくれたかららしい。 そのことに気付いた斎藤はふ、と男の顔を直視する。 「あ、あの、沖田さん…」 部屋を出るまで怒っていたんじゃないのか―――と、そんな不安に満ちた眼差しを浮かべて斎藤が見上げてくる。 やっぱり随分と心配させてたらしい、と気付くと沖田はふわりと笑って見せた。 早々に土方の元を後にして良かった、とそう思う。 この目の前の心許無そうな斎藤の姿を見ていたら…節に沖田はそう感じた。 ―――黙っていたって相手にゃ何も伝わりゃしねえんだぞ? (ほんと、ですね。) 再び土方の助言に納得する。 この胸の中に渦巻いている思いは、きっとこの斎藤には察することなんて出来ないだろう。 どんなに相手を大切に、愛しく思っているかなんて…。 (だって口にしたって素直に聞いてくれる人じゃないですからね。) 人から与えられる感情に殊更、臆病な斎藤は―――はっきり思いを口にしたとしても素直に聞き入れてはくれない。 そんな彼に小細工を使っても、こっちが痺れを切らすだけだ、と沖田は内心痛感する。 もうこれ以上、自分が”何を”思っていたのか黙っている事は出来なかった。 「あんた、私がどうして怒ってたのか…わかってんですか?」 「え?…あ、ああ…」 それは沖田が出ていた後、随分と考えた。 熱で痛む頭で、これ以上にない程、考えた。 「俺が―――こんな状況の時に体調を崩したことに怒っているんだろう?」 「…」 「ひとつの隊を任されている立場の俺が、不用意に熱を出した事が、」 「違いますよ。」 「え…」 斎藤には沖田が怒っている理由がそれしか考えられず、「違う」と言い張るこの男が怒っている他の理由なんてこの場に存在してないようにも思える。 「私はそんなことで怒ってるんじゃない。」 「え、でも…」 「私は、あんたが私の前でも平気そうな顔して見せるのに怒ってるんです。」 「え?」 「他の人と同じように、私の前でも同じ顔見せるあんたに腹立ててんですよ。」 ハッ!と斎藤の目が驚きに丸まる。 まさかそんなことを言われるとは思ってもいなかったのだろう。 「あんたが自分の弱い部分を晒すのが不得手なことは知ってます。私だって得手な方じゃない。でも私はいつだってあんたの前では素の自分を晒けてたつもりです。」 「!」 「あんただけには…飾らない素顔の沖田総司を見せてきたつもりです。」 「おき、た…さん。」 「なのに。」 辛いことも哀しいことも一切、晒けずに。 平気そうな顔をずっと斎藤は見せてきた。 それはみっともない姿を晒したくなかったから。 この沖田にだけは愛想をつかれたくなかったから…。 でもそんな思いとは反面に、そのことで目の前の男を深く傷つけていたことを―――この時斎藤は知る。 「きつい時はきついと。」 そう言って沖田は掌で斎藤の片頬を包み込む。 いまだ熱が篭ったその素肌。 それが痛々しい―――と沖田は感じた。 「辛い時は、辛いと―――そう言ってください。」 「…」 (―――言っても…いいのか…?) 本当に…辛いと…そう告げてもいいのか、と斎藤が当惑し始める。 そんなこと、今まで誰も教えてはくれなかった。 ただ強くあれ、と誰に対しても己自身にも強くあれとそれだけを教えられてきた。 強くある為に。 斎藤はこれまでいろんな感情を押し殺し。 泣くことも。笑うことも。 嬉しいことも。哀しいことも―――すべて我慢してきた。 誰に頼ることもせず、己の責任だけで生きてきた。 誰に頼ることも…出来ず…。 だが――。 「信頼、とはそういうものでしょ?」 「!」 こんなふうに言われたのは、いまだかつてなく―――。 斎藤の目に熱いものが込み上げる。 病気だから気弱になっているんじゃない。 この感情は…確かに「悦び」を感じている。感じているからこそ、胸がこんなにも熱くなっているのだ。 (頼っても…いいのか、俺は―――あんたに…) 弱い己を、すべてを晒しても―――いいのか、と。 目の前で沖田が穏やかな眼差しで頷く。 それを見つめ返す己の心内も凪が漂っているかの如く穏やかだ…。 初めて得る感情。 こんな気持ちになったのは初めてだった。 斎藤が―――「素」の斎藤がようやく目の前に姿を現そうとしている…。 すべて我慢してきた斎藤の――何の飾りっ気もない本当の姿が、ようやく。 「ああ、」 斎藤は震える声で沖田の想いに応える…。 「―――わかった。」 コロン、と一粒の眩しい滴を目尻から零す。 もう無理をしなくてもいいのだと。 この男の前では…ただの斎藤一という愚かな男でいていいのだ、とそう思える。 沖田は優しく目尻を袖で拭いてやる。 それを斎藤は照れ臭そうに見つめる。 「さ、もう少し寝ましょう。あんたは今日一日病人ってことで隊務には出られませんから。」 「…え…」 「土方さんに了解とってますから無理して出ても仕事なんてありませんよ?」 「!」 そう言って「くすり」と沖田は笑って見せる。 見事に先を越されて、斎藤は柄にもなく嬉しそうに笑い返して見せた。 土方に次ぐ仕事虫のあの斎藤らしからぬ、その微笑み。 「なぁ、沖田さん…」 「はい?」 気持ちいい雰囲気に呑まれて―――うとうととしかけた斎藤が徐に口を開いた。 沖田は何事か、と耳を近づける。 「その…、」 「何ですか。何でも言って下さい。」 「…」 本心から節にそれを望んでいる顔。 斎藤は安心し切ったように言葉を続ける。 「その…俺が寝るまで傍に―――いてくれるか…?」 初めて耳にする、斎藤の弱い「ことば」…。 沖田はそれが嬉しくて、愛しくて堪らなくなる。 「ええ。そのつもりですから安心して寝てください。」 「…ん。」 「それに、」 「ん?」 「私、あんたの寝顔も結構気に入ってるんですよ。」 「な!?」 「背中と同じくらい、ね。」 だからあんたが寝ている間、十分堪能させて頂きますよ―――と沖田はとかく嬉しそうにそう答える。 その日一日は、いつ目が覚めても沖田の顔がそこにあった…。 |
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