「雪の夜-壱」




 「わー……!…雪ですよ!…ほら。」


 黒谷の山門をくぐったとき、雪のひとひらが舞い降りた。

 黒谷に呼ばれた土方の伴で、土方と二人、黒谷を辞したところだった。

 沖田が雪に手を差し伸べる。


 「―――あぁ。…どうりで冷えると思ったぜ。」


 土方がぶるりと身を震わせて肩をすくめた。


 「あれ?土方さんのところは暖かかったんじゃないんですか?」


 池田屋以降、新撰組に対する会津の扱いは格段に変わった。
 その副長たる土方に悪い待遇をするはずはなかった。


 「…いや、…広くてな。」


 ああも広くちゃそうそうあったまらねえ、と土方は小さく呟いて空を見上げた。


 さきほどまで鈍く銀色にたちこめていた空から白い綿毛のような雪があとからあとから舞い降りてくる。


 「…こりゃあ、…積もるな。」


 誰に言うともなく呟いて、土方は歩き始めた。

 
 黒谷から屯所までは歩いて一刻ほどだ。


 暮れ始めた空はもう、ほとんど暗い。

 このあたりには用がある者以外、ほとんど人も通らない。
 音もなく舞い落ちてくる雪があたりの静けさをいっそう際立たせるかのようだった。


 「…会津からはなんと?」


 別室で待機していた沖田には、会津の用向きは分からない。
 数歩先を歩く土方の背に声をかけた。


 「…よくやってくれたと。来年もたのむと。…そんなところだ。」


 振り返りもせずに、ぽつりぽつりと小さく土方が言って。

 ああ、それで。
 と沖田は得心がいった。

 土方は、嬉しいときに素直に喜びを面に出すのが恥ずかしいと思うのか、たまに、こういうことをする。

 今日も、さきほどから少し俯き加減で口元を引き締めて歩いている。
 不機嫌にも見えるその様子は、喜びを隠すためだったのか、と。


 子供みたいだ。


 「なんだよっ!」


 声を立てずに笑ったのに、笑ったと気付いたらしい。
 しかも振り返った顔が赤くなっているところを見ると、笑われた原因も分かっているらしい。


 「いいえ。べつに?」


 フン、と鼻を鳴らして、真っ赤になった顔が前へ向き直った。


 京に来て二度目の冬だ。

 一年目は何もかもが目まぐるしく、組の存在を京の地で確かなものとするために精一杯で、振り返る余裕などなかった。

 今も振り返るつもりなど土方はないだろう。

 だが、多摩から出てきて2年足らず。
 新撰組を作り上げ、その名を天下に知らしめ、
年の瀬に会津から褒詞を賜わるまでになったのだ。


 多少の感慨が胸を去来するのは本人が拒んでも拒みきれるものではないだろう。

 その証拠にいつもより歩みが遅い。
 俯き加減で、腕を組み、ゆっくり歩いてゆく。


 沖田に浸る感慨はない。

 幕府も新撰組もない。
 近藤と土方が決めた道をただついてゆくだけだ。
 これまでも。
 これからも。


 だから、褒詞を賜わったことが、近藤と土方のために嬉しかった。
 土方が喜んでいるから嬉しかった。

 でも、だから。

 ひとり土方を物思いに引きずり込んだ感慨に、少し、嫉妬した。


 「…土方さん、」

 「ん。」


 生返事しか帰ってこなかったが、沖田が立ち止まると、土方も立ち止まって振り返った。


 「なんだ?」


 「風邪、ひきますよ。」


 雪に濡れて帰ると。
 そう付け加えると、土方の表情が困惑した。

 黒谷に傘を借りに戻るほどの雪ではない。
 屯所まではまだ距離はあるものの、気軽に傘を借りられるような店はこの辺りにはまだない。

 唐突に何を言いたいのかと、頭をひねった。


 「寒いのか?」


 だが、己で発した問いはなんとも珍妙な気がして、言ったあとから今度は首をひねった。


 「寒いですよ。」

 「…そうか。もう少し、がまんしろ。」


 もう少し行けば傘が借りられる、と先を急ごうとして、不意に肩を抱き寄せられた。


 「―――おい!」


 誰に見咎められるとも限らない、と慌てて離れようとしたが、沖田の腕が離れることを許さなかった。


 「人に見られる。」

 「こんな所、誰も通らない。」


 ますます強く抱きこんでくる腕に不意に胸が高鳴った。

 そういえば、しばらく肌を合わせていない、と気が付いて顔が紅潮するのが分かった。
 だが、沖田が急に道端で抱きしめてきた意図が分からない。沖田は寒いと言った。


 「…総司、」

 とりあえず先を急がないと風邪をひく、と、

 「離せよ。急ごう。」

 背中を叩いた。


 だが、沖田は離さない。代わりに、


 「…ねえ、…泊まって行こう?」


 囁いた。




 沖田の声とともに、冷えた髪に沖田の息がかかった。

 どくん。

 心臓の音が聞こえたかと思った。

 帰らなければ、と言おうとして口が動かなかった。


 「ねえ…、いいでしょう?」


 黒谷に呼ばれたのだ。近藤さんも気にしているだろう。
 年の瀬で、いろいろと整理しなければならないことも山積みだ。


 「…総司、」


 そう言おうとして、なんとか口を開いたと思ったら、沖田の手が土方の頭を胸に押さえつけ、先を言わせなかった。


 「…もう、しばらくあなたを抱いていない。」


 いきなり臆面もなく言われて、びくりと体が跳ねた。


 「…帰ったら、………あんなに狭い所であなたを抱けない。
 年末年始はどうせ忙しくて、あらためて外になんて出かけられやしないんでしょう?」


 頭を押える手のぬくもりと、抱きしめられたまま囁かれる声の甘さに、もう土方は逆らえなかった。


 「屯所には、…使いを出せばいいでしょう?」


 答える代わりに、土方は、背に回した手で沖田の羽織を握り締めた。






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