京の盆地は一足早い。
文久三年夏。
「そうじーーー〜」
じじじじじ。
水無月の晴れた空一面と、止まるを知らぬセミの声。
重なるように土方の声が壁ひとつ隔てた隣部屋へ響いた。
「そうじーーー」
「はいはいはい」
ひょいと総司が顔を出した。
歳三は、覘くであろう顔の位置を予想して見つめていた位置から、ぐぐっと下へと視線をおとした。
「・・・立って歩け」
「廊下、冷たくて気持ちいいんすよ」
と返す総司は四つんばいで隣の部屋から廊下を這ってきたらしい。
そう言うが、どうせ寝転がっていた姿勢から立ち上がるのが億劫でそのまま来たのだろう。
「・・・」
歳三は暑さでまいっている。時間をつぶすだけの余計なことは言うまい、と歳三は眉間にしわを寄せながら、立ち上がった。
「これから西会所へ行く。護衛を頼む」
「あーはい。刀とってきます」
そのまま廊下を這って帰る総司に、歳三はげっそりと、視界から消えてゆく尻を見やった。
・・・いくら気が置けない間とはいえ、副長の部屋に四つんばいで参上し、四つんばいで退出する筆頭助勤の図とはいかがなものか。
(・・・なにも言うまい)
土方は、今一度、己に言い聞かせ刀掛けから大刀を取り、腰に差した。
「土方さん、どっか納涼床にでも寄っていきましょうぜ」
会所の帰り。
風通しの良かった屋敷から出た二人は、数歩あゆんで早くも己らの周囲に甦った悪しき熱にぐったりしていた。
「このまま歩いてたら、屯所つく前にひからびますよ」
斜め前から照りつける太陽がぎらぎらしている。
「却下。おまえの非番につきあってる暇は無い」
言いつつ。背の高い総司を振り返り、歳三は数歩、総司の後ろに引いた。
何事だ?と立ち止まる総司に、歳三も、やや背後で立ち止まり。
「お天道さまが熱すぎだ。俺の庇になれ」
と総司の影に留まりながら、歳三は命じた。
「ひでえ・・」
ぼそ、と呟いた総司にかまわず、歳三は早く歩けと総司を促す。
諦めたように前を向いて歩き出す広い肩を見上げながら、歳三のほうはふと、
(そういや、今までこの位置で歩いたことがなかったな)
そんなふうに思って。斜め前の総司の背をまじまじと見つめた。
いつも、総司は歳三の斜め背後を歩いていた気がする、
ちょうど、今歳三が居る場の隣、左の位置。
「・・・」
そう、歳三はいつも右前に居たのだ。いや、総司が必ず左背後に自ずから来ていたのだ。
(こいつ・・)
先ほどの四つんばいも然り。
いつまでたっても大童だと思っていたのだが、
(だが、なんだ。)
外に出れば。しっかり、歳三を護っていたのだと。
今更のように気がついた。
「・・・」
なんだか、こそばゆくなって、歳三は歩きながらひとつ身震いした。
(総司・・)
遠い昔に、まだ少年だった総司の、てくてく己の前を行く姿が、いまも記憶のどこかに焼きついている。
不思議なものだ。
出逢った頃にはすでに、総司は早めの成長期に入っていて、一年もしないうちに歳三の肩まで伸び、二年もしないうちに歳三においつき、
ついには三年もしないうちに歳三や他のどの男たちの背さえ越してしまったというのに。
それに。そんな間に、総司は声変わりして、歳三を呼ぶ声は低く穏やかな響きへと変わっていて。
そしてその逞しい肉体が、まだ十の半ばに差し掛かったばかりにも関わらず、歳三には無理だった荷を軽々と持ち上げてしまったことも。
全部。
とっくの昔からのことなのに。
それなのに、どこかでまだ、あの頃の、前をてくてくとゆく総司が、歳三のなかに息づいている。
だからかもしれない。
体ばかりが大きくなっても、中身は昔のまんまだと、歳三は心のどこかでそう思って。
たとえば先ほどのような行動をみるたび、そうやって、
なんとなく、
昔のままの総司だと、そのまんま体ばかり大きくなったのだと。
どこかほっとする想いでいたものだが。
それさえも、本当は
(いつのまにか・・)
目の前の背が、不意に歳三を振り返った。
「冷や水、いる?」
「・・え?」
見れば、前方に屋台が出ている。
「ああ・・」
突然思考から引き戻されて、歳三は焦点の合わぬままぼんやりと頷いた。
「大丈夫?少し休もうか」
歳三の手に冷や水を握らせながら、気温にやられたのかと、心配そうに浅黒い顔が覗き込む。
「総司、」
「うん?」
応えて見下ろしてくる目が穏やかだった。
そういえばこんな目でいつも、どことなく、歳三を慈しむように見返してくるやつだった、と。
そんなことにも今更、気づいて。
・・・違和感をおぼえて。
「これからも廊下を這って来い」
おもわず、口をついていた。
「はあ・・?」
目を見開くなり笑い出した総司に、歳三はぷいと顔を背け。
(あの頃のままだと、思わせてくれ)
でなきゃ・・、なんだか
「言われなくても熱い日にゃ、肘歩きで参上しますよ」
歳三は顔を上げた。
「・・そこまでしなくてもいい。」
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