馴初め <弐>

 

 

 

 

 

「これからも廊下を這って来い」

 

と、昼間、唐突に妙なことを言った歳三を思い出して、総司はぷっと笑った。

 

(這って来いって。)

 

何度考えてみても、全くもって変な命令である。

 

やはり、ちょっと暑さでやられてたんじゃないか、と考えてみるほうが良さげだ。

 

 

それにしても普段しっかりし通しな歳三だが、どうも昔から総司の前では気が緩むのか、妙にぼけた言動をすることが多い。・・本人がそうと気づいてるのかは疑わしいが。

 

(可愛い人だよなあ、全く)

 

可愛い。いつから仮にも年上の歳三のことを、そんなふうに感想するようになったのかは覚えていない。

 

いつだったかに歳三が持ち上げるのに難儀していた荷物の運搬を助けてやった時に、とても拗ねたような顔をしたことがある。

 

その時の顔は今でも思い出せる。そして可愛いと思ったのも覚えている。ということは、もうかれこれ七年以上前から、ということになる。

 

 

総司はそこまで考えてから、のそり上体を起こした。

 

なんだか、今の歳三の様子を見にいってみたくなっていた。

 

(だがまさか、まだ仕事してるわけは・・)

 

もしそうならば。邪魔したいわけではない。

 

どうしようか、と考えて総司は、せめて、と近くにあった豆菓子の袋をとりあげた。

 

 

あれから。二人屯所に帰り、歳三は仕事に戻り、総司は稽古で一汗かいて非番の夕方を過ごし。

 

そのまま同じく非番だった永倉、井上と、酒膳を永倉の部屋に運び込んで夕餉をたいらげ、その後ものんびり会話に花咲かせ。そんなこんなで歳三には、あれからずっと会っていなかったのだ。

 

 

(しかし這って来い・・・だよな)

 

が、今は手土産がある。

 

従ってやるわけにもいかないか、と総司はあっさり諦めると立ち上がって廊下へ出た。

 

 

「土方さん」

 

中の明かりに声をかけると、入れ、と一言。

 

からり、と開けた先、歳三の視線が己の脚の辺りから、ぐぐっと上がってきた。

 

「・・・」

 

這ってこいと言っただろ、とでも言いたげだ。

 

どこまで本気だったのかは知らないが、まさかそんなことで歳三が文句を口に出すはずがないと総司は分かっているから、

 

何食わぬ顔で今なにしてるんです、と後ろ手に障子を閉めつつ尋ねた。

 

「義兄さんに手紙を書いてる」

 

歳三は、ぶっきらぼうに答えると机に向き直った。

 

「彦五郎さんか。俺もひとこと添えていい」

 

「・・かまわねえが。何添えるんだ」

 

「そうだな、・・歳サンは今日も、あいかわらず歳サンだ。とか」

 

「・・・」

 

なんだよそれ。と歳三はきょとんと、近づいてくる総司を見上げた。

 

「あの人なら、わかるよ」

 

歳三の傍らまで来て、その場に座り。総司は、よく歳三のことで彼と色々話をしたものだと微笑った。

 

歳三の義兄佐藤彦五郎と総司はやはり仲がいい。もっとも年上に常に礼をもって接する総司だ、仲の悪い年上など何処にも居ないのだが。

 

年上でも例外の関係といったら、歳三くらいである。

 

 

「おめえ、義兄さんとたまに俺のこと何、話してた」

 

歳三のほうも思い出したようで、むっとした顔を総司に向けた。

 

 

「何って・・たとえば、『歳さんは、』・・・」

 

 

可愛いなあ、

 

 

(あれは・・いつだったか?)

 

彦五郎義兄の前で、おもわずそんな言葉を口からうっかり滑らせたことがあった。

 

「そうか、可愛いか」

 

彦五郎が面白そうに総司を見上げ、微笑み。

 

「失礼しました」

 

歳三の義兄の前で言う言葉ではない、と口に滑らせたその台詞を詫びる総司に、

 

「失礼じゃないさ。私にもあれは可愛くてしかたない。」

 

彦五郎は返して、むしろ嬉しそうに微笑い。

 

総司の言う、可愛い、が敬愛から来る言葉であることを分かっていたからなのか。

 

 

「『歳さんは』、何だ」

 

何を義兄に言ったのかと、歳三が聞きなおすのへ。

 

「言いませんよ。言ったら怒る」

 

「怒らないから言え」

 

「怒るよ」

 

「怒らない」

 

不毛な押し問答が始まった。

 

(ほんとに、こんなとこも)

 

いつまでたっても大童なんだからな。

 

総司はおもわず目を瞬かせた。

 

だいたい、こうなると折れるのはいつも総司のほうだった。

 

「俺は、ただ」

 

総司は間に一呼吸置いて。

 

「歳さんは、俺の尊敬する兄で、そして敬愛する可愛い人だと言・・」

 

 

だが、言ってて言い切らず、おもわず押し黙っていた。

 

 

 

(これじゃ愛でも告白してるみたいじゃないか)

 

 

己で己の台詞の深さに驚いて詰る総司の前、

 

「な、なんで俺がおめえの可愛い人なんだよっ」

 

どうやら歳三のほうが数倍、面食らったようだった。

 

「いやべつに、」

 

歳三の白い頬に咲いた紅に、総司のほうも慌てて、

 

「俺の、ってのは・・だから、俺の尊敬する兄って意味で。なにも貴方を、」

 

俺の可愛い人だ

 

と直接言ったわけではない、と。・・・言いかけ、

 

だが考えてみれば歳三は、ずっと、確かに、総司にとって可愛い人だった・・と。

 

 

「・・・」

 

そのように言葉にしっかり直してみて、総司はすとんと心奥に落ちてゆく得心の感をおぼえ。

 

「・・・」

 

 

 

困惑してしまった。

 

 

歳三のほうもなんだか茫然としている。

 

 

 

「・・・」

 

 

ふたり。互いの複雑な表情を見ながら完全に押し黙ってしまい。

 

 

 

 

 

 

 

暫しのちの事。カサリ、と総司の手の内で、甘い手土産が鳴った。

 

「・・・食べます?コレ」

 

漸く会話を繋げた総司に、歳三が目を伏せ頷いた。

 

 

 

二人の間で。

 

 

何かが、

 

始まったばかりである。

 







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