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ざあざあと氷雨の降る中、道場から威勢のいい声が聞こえてくる。 その声を遠くに聞きながら、副長室にいるのは、その部屋の主・歳三と、出入り自由の総司である。 二人でいつものように茶を飲んでいる最中、小者が幾つか文を持ってきた内の一つを開けて、眼を通した途端、 「ちっ、なんで、あいつは帰ってこねぇ」 舌打ちしながら、歳三は罵るように吐き捨てた。 大津で療養をする山南に幾度となく、帰隊するようにとの文を送るが、返って来るのは『体調不良のため帰隊できず』との文面の文だけである。 「体調がやっぱり、本当に悪いんじゃないですか?」 のほほんと茶を啜りながら言う総司に、歳三の怒りは更に煽られる。 「そんな訳、あるかっ!」 その剣幕に、触らぬ神に祟りなしといった風情で、総司は首を竦めるだけだ。 山南は、以前浪士の捕縛の際に腕に怪我を負い、暫く療養をしていたことがある。 その後、ある時までは腕の傷は順調に回復していたのだが、折悪しく病に罹ってしまった。 病の名は知らぬが、腹部に激しい痛みがあり、手足も痺れ、剣を持つのもままならないらしい。 剣客としては、剣が持てぬというのは致命的である。 ましてや、新撰組であれば、尚のことであった。 総長であろうとも、事務だけをこなせば良いというものではなかった。 それが元で池田屋の際も、留守部隊に組み入れられ、他の隊士の華々しい活躍を、耳にするだけであった。 そうなると、参加していないだけに、次第に場に馴染まぬように、表に出なくなっていった。 その所為か、元々山南は勤皇の志が厚かったのだが、ますますその傾向が強くなっていた。 伊東が入隊して、誰より喜んだのは山南だろう。 伊東の勤皇の志の熱さは、江戸に居た頃から顕著だったらしいから、山南はその存在に勇気付けられたのだと思う。 池田屋の後、病のためもあり屯所の外に住まいを設けて遠ざかっていた山南が、伊東が江戸から上ってくると、屯所に頻繁に姿を見せるようになったのだ。 だが、伊東のその志が、自分と相容れぬものだと分かって、失望したのだろうか、山南は療養と称して、身請けした明里を連れ、大津へ引き篭もってしまった。 だから、山南の体調不良は、仮病だと、歳三は言うのだ。 「役立たずは、新撰組にいらねぇ!」 咄嗟に口に出た歳三の言葉。 「無駄飯食いを置いとく理由なんざねぇ」 はき捨てるように歳三は言い切った。 だが、その言葉に、さっと、総司の顔色が変わったのを、興奮している歳三は気づかなかった。 それを後悔することになろうとは、この時の歳三には知る術もなく。 叫んで立ち上がった歳三に、総司は変わった顔色を悟られなかったことに安堵して、穏やかに問い掛けた。 「何処に行くんです?」 「局長のとこだ。山南のことを、話してくる」 勢いよく障子を開けて、総司を一人残し、歳三は足音も高く部屋を後にした。 半月ほど後、総司は局長室に赴いた。 巡察を終えて屯所に戻ってくると、待ちかねたように、歳三の小者として従事している隊士から、局長の部屋まで来るようにとの、伝言があったのだ。 嫌な予感がしつつも、部屋へと行くと、案の定というか、歳三もいた。 ますます、総司の予感は悪いほうへと傾いていく。 「ただ今、戻りました」 部屋の外で一礼して、近藤から、 「おお、帰ったか。何してる、早くこっちへ入れ」 との言葉を貰ってから、総司は部屋に足を踏み入れて、末座に座った。 普段は、近藤に対しても、畏まった態度は取らないのだが、部屋の雰囲気が、いや歳三の雰囲気が、そうさせることを拒んでいた。 「巡察は滞りなく終わりました」 副長である歳三に向けて、総司は型どおりの報告をとりあえずした。 巡察を終えた組長の責務である。 「ご苦労」 歳三も、鷹揚に頷いた。 そして、そのまま沈黙が落ちそうになるのを、総司は遮るように近藤に問い掛けた。 「何か、ありましたか?」 多分、これからのことは、良い話ではないと判っているが、だが避けられないのなら、先延ばしにしても詮無いことだとの思いからである。 「いや、な……」 張り付いたようなにこやかな笑みを浮かべていた近藤は、言葉を濁したまま視線を歳三に移した。 その視線を感じた歳三は、ちらっと近藤を見遣り、その優柔不断な態度に、溜息を一つついてから、総司に向き直って言った。 「総司。山南を屯所まで連れて来い」 どこかで、そう言われることを、総司は覚悟していた。 「山南さんを?」 それでも、その後のことを考えると、問い返してしまう。 「そうだ。あいつが、病と称して大津へ引き篭もってから、一体どれ程経つ?」 「…………」 「しかも、再三再四の帰隊要請にも、首を立てに振らねぇ」 ばさりと、歳三が投げ捨てるように置いた文は、山南からのものだろうか。 歳三の言葉に、近藤も深く溜息を吐いた。 「病なら仕方がねぇ。除隊をすることもできるんだ、それを……」 「除隊させるんですか?」 「病ならな。それで、京を離れるなら、させる」 病なら。だが、山南が屯所に戻らぬ理由が、病だけでないなら、一体如何するつもりなのか。 総司の胸のうちを察したのか、 「が、そうでないなら、除隊はさせれん。皆の手前もある。幹部である以上、皆の模範になってもらわねばならん」 総司が近藤を伺い見ると、苦いものを飲み込んだような苦渋の表情であった。 それは、そうだろう。 歳三の言ったことは、病でなければ隊を脱することを許さず、山南が旧のように隊務に付くか、それが己の節によりできなければ、……という話だから。 確かに歳三の言うことには、一理ある。 新撰組の幹部が、隊を脱し敵方に走るようなことがあっては、一大事である。 隊の統率も何もあったことではない。 だが、そうはいっても、どうしても試衛館の頃からの仲間には、それだけでは割り切れないものを感じてしまうのだ。 これが、伊東であったなら、総司もなんの躊躇も感じられなくて済むのに。 「ひとつ聞いてもいいですか?」 「何だ?」 総司が瞑目していたその眼を開けて正面を見ると、白皙のといわれる鬼の顔をして、歳三は居た。 「もし、山南さんが拒めば如何します?」 「斬れ」 簡潔に何の情も感じさせぬ冷たい声音で、歳三は言い切った。 「歳っ!」 歳三の言葉に、近藤が思わず声をあげたが、総司はそれを意に介さず、 「判りました」 と頭を下げた。 「総司っ」 信じられぬといった態で、近藤は総司を見た。 その目には、お前はあれほど山南を慕っていたのに、という非難が見えるようだった。 近藤も甘いと思う。山南の処断を、歳三と図って決めたのだろうに。 だが、その非難を受け止め近藤に一礼して、出て行こうと腰を浮かした総司に、 「明日でいい」 と、歳三の声が掛けられた。 振り向くと、歳三の能面のような青白い顔が、総司の目に痛かった。 「では、明日。朝一番に、出立します」 この選択を辛いと感じているのは、感情を表に出すことを許されぬ副長である歳三であったろうか。 総司は一旦部屋に戻ったが、ある品を持って、賄いの立ち働く厨へと、その足を向けた。 夕餉の支度に忙しく幾人かが、動き回っていたが、その中の一人、儀助に総司は声を掛けた。 「儀助、ちょっといいかい?」 「沖田様。へぇ、少々お待ちを」 総司が厨に来るのは珍しくもなかったから、総司が新撰組の幹部であるといっても、誰もそこにいることに驚きはしない。 儀助も賄いをしていた手を止め、近くの者に煮込みの指示をしてから、勝手口を潜って外へ出てきた。 「なんぞ、御用でっか?」 「うん。頼みがあるんだが、いいかな?」 「へぇ、そりゃもう。沖田様のお頼みとあれば、何でも聞きまっせ」 儀助と総司は、江戸の頃からの知り合いである。 儀助は元掏摸であった。それが元で地回りに袋叩きにあっているところを、総司が助けたのである。 しかも、助けただけでなく、なにくれとなく世話を焼いた。 人に親切にしてもらった経験のない儀助は、最初は胡散臭いものと見るように総司に接していた。 何か裏でもあるのではと疑っていたようだ。 だが、次第に総司の表裏のない性質が判ってきたのだろう。 なにより、試衛館の連中が、総司を可愛がっている様を間近で見れば、それは疑いようもなく。 そうこうするうちに、総司は儀助が料理上手と知って、小料理屋での仕事の口も探してやったのである。 そんなことがあってから、儀助は総司に心酔し、「沖田様、沖田様」と下にも置かぬ扱いをしだした。 だから、総司が江戸を離れ京へ上がると知ったときは、人目も憚らず泣きじゃくったものだ。 池田屋での活躍で、総司の名が江戸に流れると、居ても立っても居られなくなったらしく、京へとやって来た。 ちょうど、総司の体調も思わしくない時で、江戸風の味付けのできる人間は、好都合とばかりに歳三は賄いとして、儀助を雇い入れた。 総司も儀助には、色々と用事を頼みやすいらしく、儀助は総司の専属の賄い人、兼小者といった感じだ。 俊敏で、目端が利く儀助は、総司にとってもすごく重宝な人間だった。 「山南さんに言伝を頼みたいんだ。今すぐ」 「山南さんに、でっか?」 「ああ」 「へぇ、何と?」 「『明日、沖田が迎えに上がります』と」 「へ?」 儀助は、思わず頓狂な声をあげた。 それもその筈だろう。明日、総司が山南の元へ行くなら、何も今日のこの夕暮れになってから、山南の元へ明日行く事を告げに行く必要など、ない様に思う。 しかし、それを敢えて告げに行けと言うからには、自分には考え付かぬほど大事なことなのだろうと、儀助は思い直した。 頓狂な声をあげたことを恥じるように、儀助は頭を下げた。 「では、すぐに行て参じます」 「済まないが、頼む。それと、これを渡してくれ」 総司は部屋から持ってきた、今度愛に行くときは手ずから山南に渡そうと思っていた筆を、手渡した。 儀助は、それを両手で、恭しく受け取った。 それから、くるくるっと前掛けを外し、ちょうど出てきた女に渡して、儀助は身軽に出て行った。 それは、暮れなずむ夕日が、空を茜色に染める頃合いの事だった。 山南は総司の意図を、判ってくれるだろうか。 |
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