薄ら氷



(2)


隊士募集の江戸から戻り、歳三が、報告のため久し振りに屯所に来た山崎と話している最中、珍しくも斎藤が副長室を訪れた。
「斎藤です。お話しがあります」
巡察の報告でもないときに、しかも呼んでもないのに、訪れた斎藤を訝しく思いながらも、
「ちょっと待て。山崎との話がまだだ」
そう言って、出直せと言ったつもりだが、斎藤は座り込んでしまった。
「大事な話です」
いつもにこりともしない斎藤だが、何故か静かな怒りがその全身から漂っていた。
その気配を察した山崎は、
「急を要する報告は済みましたので、他の話はまた後で致します」
と、そそくさと立ち去ろうとする。
歳三も敢えて止めもせず、山崎のその背を見送った。
二人っきりになった歳三と斎藤だが、歳三は斎藤の気配の根源に訝んで首を捻った。
話があるといって来た斎藤だが、じっと歳三を睨んだままである。
いい加減痺れを切らした歳三が、問い掛けようとしたら、
「一体、土方さんは何を言ったんです?」
斎藤の心底不機嫌な声が、歳三を詰った。
「何って、何だ?」
急に脈絡もなく言われても、歳三には何の事だかさっぱりだ。
「だから、沖田に一体、何を言ったんですか?」
「総司に?」
怪訝な表情で、土方は斎藤に問い直す。
「顔色が悪いから、巡察を変わるから休めと言ったら、『そんなことをしたら、無駄飯食いになるでしょう?』と笑って、巡察に行きましたよ」
先刻の総司との遣り取りを思い出して、斎藤は忌々しげに舌打ちしそうだ。
「無駄飯食い?」
斎藤の言葉を、繰り返す歳三は、とても鬼の副長には見えない。
試衛館にいた頃の歳三の、素のままの顔だった。
それほど、総司のことは、歳三の根本なのだろうとは思うのだが、斎藤は手厳しい。
「ええ、そうです。土方さんが江戸に行っている間も、体調は随分思わしくないようで、無理をするなと皆が言ってたそうですが、聞き入れては貰えなかったそうですよ」
歳三のいないひと月近くの間、総司は相当無理を重ねたのか。
斎藤の話に、歳三の眉が曇る。
「ですけど、沖田は普段そんな物言いをする奴じゃない。となると、土方さんが何か言ったんでしょう?」
歳三が諸悪の根源でもあるかのような、斎藤の物言いに、自然歳三の機嫌も下降してくる。
「俺が総司に、そんなことを言うわけが、ないだろうが」
「そりゃ、そうでしょう。ですが、間接的にしろ、土方さんが何か言ったんでしょう?」
斎藤の眼から見ても、歳三の総司に対する情の掛け方は、目を見張るものがある。
小言を言いながらも、何くれと世話を焼き、可愛がる様は、口さがない者も出ようというほど。
「でなければ、沖田があんなことを言うはずがない」
しかし、総司は己を卑下するような、そんな男ではなかった。
まして、『無駄飯食い』などと、言う男ではないし、新撰組の中で沖田に対し、そんなことを言う度胸のあるものなど、一人としてある筈がなかった。
だから、斎藤の言い方は、豪く断定的になる。
「沖田に良くも悪くも、影響を及ぼせる人間など、土方さんしかいないでしょう」
後は、局長の近藤ぐらいのものだ。
沖田にとって、この二人以外の人間は、斎藤も含め十把一絡げだろう。
試衛館以来の仲間だから、他よりは多少抜きんでているにせよ。
「思い出してくださいよ。きっと、そんなに前の話じゃない筈ですよ」
斎藤に言われて、歳三は考え込んだ。
歳三が江戸に行く前は、そんな変わった素振りはなかった。
何かあったと言えば、そのひと月くらい前の山南の死、ぐらいのものだ。
そこまで、遡って思い出した歳三は、
「あっ」
と声をあげて、真っ青になった。
思い当たることを、思い出したのだろうが、その顔色の蒼白さを気にも掛けずに、斎藤は歳三を詰問した。
「思い出しました? 一体、沖田になんと言ったんです?」
「…………」
「土方さん」
言葉もなく、黙り込んだままの歳三を促すように、斎藤は名を呼んだ。
「山南のことで……」
「山南さん?」
歳三の口から出た名に、斎藤は眉間に皺を刻んだ。
「山南が、大津に引っ込んだきり、屯所へ出て来いといくら言っても埒が明かなくて、その時に山南を罵って、『役立たずは、いらねぇ。無駄飯食いは置いとけねぇ』と、確か言った気が……」
「土方さん」
斎藤は呆れて、思わず歳三の名を呟いた。
「それを、沖田が聞いたと?」
「というより、総司と二人でいるときに……」
盛大な溜息を斎藤に吐かれて、歳三は弁明をする。
「だが、それは山南に対してであって、総司にじゃねぇ」
「そうでしょう。けど、それが通じますか? 全く、沖田の病を知りながら、不用意すぎる言葉でしょう?」
斎藤の言葉に、歳三はぐうの音も出ない。
「それだけ、土方さんが沖田に、気を許してる証拠でしょうがね」
心底呆れ果てたと言わんばかりの、斎藤である。
「沖田は勁い。それこそ、隊内一でしょう。いや、京洛一かな?」
総司は本当に、新撰組一強いと斎藤は思う。
何故なら、この目の前の鬼といわれる副長の歳三や、泣く子も黙ると言われる局長の近藤の、総司に対する甘さはいかばかりか。
どうも、二人には子供の頃の印象が、強すぎる所為ではあろうが。
「勿論、それは剣だけでなく、心のありようですが」
総司の剣の冴えには、誰も叶わなかった。
その上、斎藤も含めた試衛館にいたことのある面々も、総司には剣だけでなく滅法弱かった。
ついあの天真爛漫な笑顔を、曇られたくないと思ってしまうのだ。
「あれほど、情に厚い人もいないでしょう。それ故に勁い。だが、それ故に脆くもなり得ますよ」
局長と副長の寵愛にも驕ることなく、平隊士にも分け隔てなく接する総司は、彼らからも慕われていて、その所為か隊内のことで、総司の耳に入らぬことは何一つないというような様であった。
あの笑顔が人の警戒心を、取り払ってしまうのだろうか。
だが、総司の奥底には、誰にも動かされぬものが、しっかりとある。
そして、それを唯一融けさせることのできる人物が、歳三であった。
それを、歳三はもっと自覚してもらわねばならぬと、斎藤の語調がきつくなる。
「沖田は、土方さんの掌中の珠であり、かつ逆鱗でしょう? それを自分で壊して、如何するつもりですか」
全くその通で歳三には、斎藤に返す言葉がなかった。
あれほど、大事に愛しく愛でている相手を、思いもかけぬ言葉で、不本意にも傷つけるとは、反論の余地すらなかった。
すっかりと項垂れてしまった歳三に、斎藤は溜飲を下げて、腰を上げた。
「おい、斎藤」
部屋を出ようとする斎藤を、歳三は慌てて呼び止めた。
「何ですか?」
「何処へ……」
「戻ります」
当然だろうとばかりに、斎藤は言ったが、歳三はなんとも情けない顔で、
「それで、放っていくのか?」
「原因がわかったんですから、後はご自身で何とかしてください」
斎藤が言い切れば、歳三はなんとも言えぬ顔をした。
「自業自得です。そこまで、面倒見切れませんよ」
「斎藤……」
「まぁ、頑張って、沖田の心を覆い始めた氷を、溶かしてください」
そう言って、斎藤はにやりと意地悪く哂い、歳三を置き去りにした。




『発句集』の『山の南』の話が、(1)と(2)の間に入ります。
それから、山南さんの脱走に関してですが、山南さんが屯所を脱走して、大津で総司に捕まるというのが一般的です。
しかし、ある方の説で、山南さんは以前負った怪我、もしくは病気のために隊を離れ、大津で療養をしていたのではないか。
総司は帰隊命令を聞かない山南さんを、連れ戻しに行ったのではないか。というものがあり、敢えてそれを採用させていただきました。
(2)は書いてるうちに、支離滅裂になってきました。いつものことか?
それにしても、土方さんがどうやって総司の氷を溶かすかは、ご想像におまかせしま〜す。



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