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隊士募集の江戸から戻り、歳三が、報告のため久し振りに屯所に来た山崎と話している最中、珍しくも斎藤が副長室を訪れた。 「斎藤です。お話しがあります」 巡察の報告でもないときに、しかも呼んでもないのに、訪れた斎藤を訝しく思いながらも、 「ちょっと待て。山崎との話がまだだ」 そう言って、出直せと言ったつもりだが、斎藤は座り込んでしまった。 「大事な話です」 いつもにこりともしない斎藤だが、何故か静かな怒りがその全身から漂っていた。 その気配を察した山崎は、 「急を要する報告は済みましたので、他の話はまた後で致します」 と、そそくさと立ち去ろうとする。 歳三も敢えて止めもせず、山崎のその背を見送った。 二人っきりになった歳三と斎藤だが、歳三は斎藤の気配の根源に訝んで首を捻った。 話があるといって来た斎藤だが、じっと歳三を睨んだままである。 いい加減痺れを切らした歳三が、問い掛けようとしたら、 「一体、土方さんは何を言ったんです?」 斎藤の心底不機嫌な声が、歳三を詰った。 「何って、何だ?」 急に脈絡もなく言われても、歳三には何の事だかさっぱりだ。 「だから、沖田に一体、何を言ったんですか?」 「総司に?」 怪訝な表情で、土方は斎藤に問い直す。 「顔色が悪いから、巡察を変わるから休めと言ったら、『そんなことをしたら、無駄飯食いになるでしょう?』と笑って、巡察に行きましたよ」 先刻の総司との遣り取りを思い出して、斎藤は忌々しげに舌打ちしそうだ。 「無駄飯食い?」 斎藤の言葉を、繰り返す歳三は、とても鬼の副長には見えない。 試衛館にいた頃の歳三の、素のままの顔だった。 それほど、総司のことは、歳三の根本なのだろうとは思うのだが、斎藤は手厳しい。 「ええ、そうです。土方さんが江戸に行っている間も、体調は随分思わしくないようで、無理をするなと皆が言ってたそうですが、聞き入れては貰えなかったそうですよ」 歳三のいないひと月近くの間、総司は相当無理を重ねたのか。 斎藤の話に、歳三の眉が曇る。 「ですけど、沖田は普段そんな物言いをする奴じゃない。となると、土方さんが何か言ったんでしょう?」 歳三が諸悪の根源でもあるかのような、斎藤の物言いに、自然歳三の機嫌も下降してくる。 「俺が総司に、そんなことを言うわけが、ないだろうが」 「そりゃ、そうでしょう。ですが、間接的にしろ、土方さんが何か言ったんでしょう?」 斎藤の眼から見ても、歳三の総司に対する情の掛け方は、目を見張るものがある。 小言を言いながらも、何くれと世話を焼き、可愛がる様は、口さがない者も出ようというほど。 「でなければ、沖田があんなことを言うはずがない」 しかし、総司は己を卑下するような、そんな男ではなかった。 まして、『無駄飯食い』などと、言う男ではないし、新撰組の中で沖田に対し、そんなことを言う度胸のあるものなど、一人としてある筈がなかった。 だから、斎藤の言い方は、豪く断定的になる。 「沖田に良くも悪くも、影響を及ぼせる人間など、土方さんしかいないでしょう」 後は、局長の近藤ぐらいのものだ。 沖田にとって、この二人以外の人間は、斎藤も含め十把一絡げだろう。 試衛館以来の仲間だから、他よりは多少抜きんでているにせよ。 「思い出してくださいよ。きっと、そんなに前の話じゃない筈ですよ」 斎藤に言われて、歳三は考え込んだ。 歳三が江戸に行く前は、そんな変わった素振りはなかった。 何かあったと言えば、そのひと月くらい前の山南の死、ぐらいのものだ。 そこまで、遡って思い出した歳三は、 「あっ」 と声をあげて、真っ青になった。 思い当たることを、思い出したのだろうが、その顔色の蒼白さを気にも掛けずに、斎藤は歳三を詰問した。 「思い出しました? 一体、沖田になんと言ったんです?」 「…………」 「土方さん」 言葉もなく、黙り込んだままの歳三を促すように、斎藤は名を呼んだ。 「山南のことで……」 「山南さん?」 歳三の口から出た名に、斎藤は眉間に皺を刻んだ。 「山南が、大津に引っ込んだきり、屯所へ出て来いといくら言っても埒が明かなくて、その時に山南を罵って、『役立たずは、いらねぇ。無駄飯食いは置いとけねぇ』と、確か言った気が……」 「土方さん」 斎藤は呆れて、思わず歳三の名を呟いた。 「それを、沖田が聞いたと?」 「というより、総司と二人でいるときに……」 盛大な溜息を斎藤に吐かれて、歳三は弁明をする。 「だが、それは山南に対してであって、総司にじゃねぇ」 「そうでしょう。けど、それが通じますか? 全く、沖田の病を知りながら、不用意すぎる言葉でしょう?」 斎藤の言葉に、歳三はぐうの音も出ない。 「それだけ、土方さんが沖田に、気を許してる証拠でしょうがね」 心底呆れ果てたと言わんばかりの、斎藤である。 「沖田は勁い。それこそ、隊内一でしょう。いや、京洛一かな?」 総司は本当に、新撰組一強いと斎藤は思う。 何故なら、この目の前の鬼といわれる副長の歳三や、泣く子も黙ると言われる局長の近藤の、総司に対する甘さはいかばかりか。 どうも、二人には子供の頃の印象が、強すぎる所為ではあろうが。 「勿論、それは剣だけでなく、心のありようですが」 総司の剣の冴えには、誰も叶わなかった。 その上、斎藤も含めた試衛館にいたことのある面々も、総司には剣だけでなく滅法弱かった。 ついあの天真爛漫な笑顔を、曇られたくないと思ってしまうのだ。 「あれほど、情に厚い人もいないでしょう。それ故に勁い。だが、それ故に脆くもなり得ますよ」 局長と副長の寵愛にも驕ることなく、平隊士にも分け隔てなく接する総司は、彼らからも慕われていて、その所為か隊内のことで、総司の耳に入らぬことは何一つないというような様であった。 あの笑顔が人の警戒心を、取り払ってしまうのだろうか。 だが、総司の奥底には、誰にも動かされぬものが、しっかりとある。 そして、それを唯一融けさせることのできる人物が、歳三であった。 それを、歳三はもっと自覚してもらわねばならぬと、斎藤の語調がきつくなる。 「沖田は、土方さんの掌中の珠であり、かつ逆鱗でしょう? それを自分で壊して、如何するつもりですか」 全くその通で歳三には、斎藤に返す言葉がなかった。 あれほど、大事に愛しく愛でている相手を、思いもかけぬ言葉で、不本意にも傷つけるとは、反論の余地すらなかった。 すっかりと項垂れてしまった歳三に、斎藤は溜飲を下げて、腰を上げた。 「おい、斎藤」 部屋を出ようとする斎藤を、歳三は慌てて呼び止めた。 「何ですか?」 「何処へ……」 「戻ります」 当然だろうとばかりに、斎藤は言ったが、歳三はなんとも情けない顔で、 「それで、放っていくのか?」 「原因がわかったんですから、後はご自身で何とかしてください」 斎藤が言い切れば、歳三はなんとも言えぬ顔をした。 「自業自得です。そこまで、面倒見切れませんよ」 「斎藤……」 「まぁ、頑張って、沖田の心を覆い始めた氷を、溶かしてください」 そう言って、斎藤はにやりと意地悪く哂い、歳三を置き去りにした。 |
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『発句集』の『山の南』の話が、(1)と(2)の間に入ります。 それから、山南さんの脱走に関してですが、山南さんが屯所を脱走して、大津で総司に捕まるというのが一般的です。 しかし、ある方の説で、山南さんは以前負った怪我、もしくは病気のために隊を離れ、大津で療養をしていたのではないか。 総司は帰隊命令を聞かない山南さんを、連れ戻しに行ったのではないか。というものがあり、敢えてそれを採用させていただきました。 (2)は書いてるうちに、支離滅裂になってきました。いつものことか? それにしても、土方さんがどうやって総司の氷を溶かすかは、ご想像におまかせしま〜す。 |
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