千慮の一失


(壱)

河合耆三郎が預かっていた隊の金の紛失が、発覚してから既に五日。
紛失に気付いてからは、優に七日は経っていた。
河合は刀を取り上げられ、屯所の一室に閉じ込められていた。
牢屋ではない。座敷の一室で、外に見張りの隊士がいて、容易に面会ができないと言うだけだ。
普段、不祥事をした隊士がすぐさま切腹を言い渡されるのに比べ、悠長な感じがしないでもない。
だがそれも河合が金の弁済を申し立て、歳三がそれを了承したからに他ならない。
猶予を持って十日のうちに金子が届けば、河合の過失は相殺され除隊処分のみ。
だが、もしも届かなければその責を負って切腹と決まった。
極めて異例のことだが、副長である歳三が判断したことに誰も異を唱えなかった。
河合がそれほど皆の信頼を集めていたと言うことだろうし、また河合自身に金を盗む要素が皆無だったことも大きかっただろう。
だが、河合が発覚後に早飛脚を仕立てて実家に金の送金を依頼したにも拘らず、金が届く様子は微塵もなかった。
そうなれば、河合はやきもきし始めるし、周囲もはらはらと気を揉み始めていた。
気のいい原田もそんなうちの一人だった。
隊士に稽古をつけ終え、総司と共に道場を出て歩きながら、
「一体何してやんだか。河合の親父もさっさと金を送りゃあいいのによ。大事な大事な息子の命だぜ?」
そんな心の内を語ったのだが、
「ええ、早飛脚だったらもうとっくに着いていても可笑しくないけど、もう一度使いを出したんでしょう?」
総司はどこか気のない返事で。
「ああ、見るに見かねて、昨日河合にもう一度手紙を書かせた」
「だったら、明日にでも届くんじゃない?」
素っ気無い言葉に、ようやく気付いた原田は総司を見た。
「なんだ? らしくない言い方だな?」
「そう?」
ちらりと横目で原田を見遣る総司は、どこかいつもと違って変だ。
鈍いと言われる原田の琴線にすら、引っ掛かってくるものがある。
「だって河合さんも悠長すぎるよ。金がなくなったのに気付いてから、ばれるまで何の手も打っていないんだよ?」
隣を歩く原田に歩調を合わせることもなく、総司は進んでいく。
「いつ金が入用になるかもしれないのに……。迂闊と言えば迂闊でしょう?」
「そうは言っても、可哀想だと思わないのか? 河合の奴が金を使い込んだわけでもないのに……」
金がなくなったのは盗まれたと疑わない原田にしたら、
「でも、誰かが盗んだと決まったわけでもないでしょ」
続いた総司の言葉は許しがたい気がした。
「お前河合が盗んだと思ってるのか?」
無意識に声が低くなる原田に対し、
「可能性としては否定できないしねぇ」
総司は飄々と応える。
その態度に短気な原田は総司の胸倉を掴んだ。
「馬鹿言え。奴が金を盗む必要がどこにある。奴の家は金がゴロゴロしてるってのに」
河合の家は、明石でも指折りの米問屋だ。
蔵には原田などが見たこともないような大金が積まれているはずなのだ。
「だけど、河合さん自身が常に大金を持ってたわけじゃないでしょ。持ってたら今回だってすぐに穴埋めできたんだから」
激昂しそうになってる原田の手を、総司はやんわりと押さえた。
「金が入用なら家に用立ててもらえば済む話だろ」
それほど力を入れていないようでも、そこは武術に優れた者のすること、原田の手が外された。
「簡単に用立てて貰えない理由かもしれないじゃないですか? 訳もなくお家だってお金を送らないだろうし」
総司の理由付けに、原田は唸り声に似た声を上げた。
「河合に妓とか、そんな言えない事情があったって言うのか」
「そういう可能性もあるってこと。河合さんの言い分しかないわけだし。金がなくなったのに気付いたって言う日にちも含めてね」
「土方さんも、それを疑ってるのか?」
二人の遣り取りを目にした一部の隊士たちが、恐る恐る遠巻きに眺めているのに気付いた原田は、しっしっと片手で追い払う振りをして、その場から歩き出した。
ここで止まっていれば、どうしたって人目を引く。
「その懸念が全く否定できない以上はね。監察の人がそういうのも含めて調べてはいるらしいけど」
「土方さんは河合とそれほど気が合わなかったから、だからそんな疑いをするんだよ」
歳三の人に対する好悪の波は激しい。
気に入られれば身内のようにとことん懐のうちに入れるが、そうでなければ鼻で括ったような態度しかとらぬこともある。
武士に憧れ商人になり損ねた歳三には、必要で尚且つ能力を認めながらも、武士になりたいと新撰組に入りながらも、嬉々として商人の才を発揮する河合が、自分の影を見るようで疎ましかったのかもしれない。
「まさか! 土方さんはそこまで狭量じゃない。そりゃ、山南さんと言う先例があるから、左之さんがそういうのも無理ないかもしれないけど……」
ちょっと哀しそうな総司の表情に、言い過ぎたと原田も反省をしたが、
「土方さんは副長としての職務で、疑わしき要素をなるだけ排除しようとしてるだけだよ」
あんまり土方を庇い立てするかのような総司に、不貞腐れたような気にもなってきた。
「もしも、土方さんが気に入らなかったとしたら、それは河合さんが紛失を黙っていたことだと思うけどな。気付いてすぐに報告をしなけりゃいけなかったのに、それを怠ったから」
迅速な報告は何より大事なことだ。
浪士の捕縛ともなればそれが何より優先される。
ほんの少しの遅れが命取りになる事だってありえるのだから。
それは判るのだが、やはり河合の処遇にも、また総司の態度にも納得もいかない原田だった。
なにせ、河合は池田屋事件にも参加した古参の隊士だ。
人数が増えて剣技よりも算盤勘定の腕を見込まれて、勘定方の役職につきはしたが。
それだけに、原田や総司との付き合いも、他の隊士たちと比べ長いのだ。
そんな表情を隠すほど器用でない原田に苦笑いながら、人気のない自室の前まで来たときに総司は一つ苦言を呈した。
「でもね、左之さん。河合さんのことを上手く利用しようとする人には気をつけて、その口車に容易に乗らないでね?」
「なに? どういう意味だ?」
聞いた原田は、眉を顰めて思い掛けない総司の言葉を問い返した。
「ん。だから河合さんの処分のことを、利用しようとする人が居るかもしれないってこと」
原田も勘の悪い方ではない、総司の意図する人物が誰だか、漠然とだが判ってしまった。
たとえ直接金を盗んだのではなくとも、河合に下された処分を利用しようとする輩が要るということに、真っ直ぐな性格の原田は怒りを覚えた。
黙り込んでしまった原田に、総司は先ほどまで露とも見せなかった、いつもどおり以上の笑みを見せて言い切った。
「ただね。人を陥れるような人間は新撰組には要らないから、判れば極秘裏にでも処分することになるだろうし、その時には俺がその役を買って出るけどね」
その言葉に、総司も隊内に金が盗んだ奴が要ることを疑っておらず、憤っているのだと知れて溜飲を下げた原田は、部屋へと入った総司の背をぼんやりと見送った。





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