千慮の一失


(弐)

近藤が二度目の芸州(広島)出張より戻ってきて、屯所が落ち着きを取り戻した頃、ようやく伊東が遅れて帰京した。
その遅れは半月にも及ぶ。
その間、芸州で伊東が何をやってきたのか、甚だ不可解と言うほかはない。
しかし歳三が猜疑に満ちた目で見るのもそ知らぬふりで、伊東は出迎えた所謂シンパの者たちと、遅咲きの桜も散り始めたこの時期に、その名残の梅を愛でながら歓談していた。
「沖田君、ちょうど良い所へ」
屯所の一角での歓談中の伊東の部屋の前を総司が通り、それを目敏く見つけた伊東が声を掛けた。
「はい? なんでしょう?」
聞き返しながら総司が見渡せば、部屋の中には伊東について新撰組に入った者たちだけでなく、新顔に分類されるような隊士や、中堅と目される隊士たちの顔も見えた。
その中に藤堂の顔も見えるのが見慣れつつあるとはいえ、総司には違和感が拭えないことだった。
「河合君のことを聞いたのだが、残念なことだったね」
伊東の言葉は見かけは河合の死を悼むものだったが、それが伝わってこない白々しさを総司は感じた。
「局長がいらっしゃれば、随分と違った処断になったと思うのだが……」
伊東の言い方は、暗に歳三一人の独善での処断だと言っているのも同じで、それに頷く新入隊士の姿も見える。
さすがに伊東が伴ってきた人間たちは、軽々しく頷くことはしなかったが、総司の動向に注意を払っているのがありありと感じられた。
「そうですか? 私は変わりないと思いますが?」
それを意に解さずといった風情で、総司は応えた。
総司は歳三や試衛館以来の者や、親しくなった者には「俺」という一人称を使うが、それ以外の者や公の場では「私」と言う言葉を使う。
この言葉の違いが、総司が気を許した相手かどうかの、判断基準でもあった。
果たして伊東がそれに気付いているのかどうかは、判る術はないが、
「ほう? 局長のご判断でも、切腹に変わりがないと?」
総司の答えに、伊東は驚いた風情を見せた。
「ええ」
歳三との関わりからすれば、総司が非難するはずもないが、総司の人となりからすれば冷淡な物言いに伊東には思えたのだ。
「何故かな? 沖田君がそう思う、理由を聞きたいものだ」
だが、それとは裏腹に伊東は、総司を追及した。
河合は歳三とはなんとなく馬が合わなかったようだが、それでも能力は買われていたし、近藤には気に入られてもいた。
尚且つ河合の公金紛失の露見が近藤の私的な流用から端を発したのだとすれば、歳三の独断による河合の処断には、近藤も異論を挟むはずだとの確信があったのだ。
二人の齟齬は、伊東にその間に入り込む隙間を与えることになるからだ。
「金を預かる勘定方の職務を全うできなかったからですよ。その責めは負わなければいけないでしょう?」
長引きそうだし立ったまま話す事柄でもないと、総司は仕方がなくその場に座った。
なにより、目上の者に対する礼を失する行為だろう。
「だから、たかだか五十両の金で、切腹かね?」
「たかだか、とおっしゃいますが、五十両はけっこうな大金だと思いますよ? 商家では大罪でしょう?」
この時代、十両でも首が飛ぶのだ。五十両をたかがと言ってしまうのは、驕り以外の何者でもないだろう。
「ここは、商家ではないだろう?」
武士でない者たちの多い新撰組に対する皮肉を込めて伊東が言うが、
「もちろん、違いますよ。武士だからこそ、その責を負っての切腹でしょう」
総司は平然と受け流す。
「いや、だからその切腹が重いと言っているのだ」
「そうですか?」
「そうだろう? 責と言っても、五十両を紛失しただけだよ? しかも、河合君は実家から穴埋めすると言っていたそうじゃないか」
伊東は河合の処断を聞き、歳三を批判する絶好の機会と捕らえ、そのまず手始めに総司に矛先を選んだ。
その返答如何では、歳三を批判しやすくなる、と。
「でもその期間内に届かなかったのだから、仕方がないでしょう?」
普段人当たりの良い総司の言葉とは思えぬそれに、その場に居た隊士たちは息を呑んだ。
「それに本来なら穴埋めしたからといって済む問題じゃないと思います。そりゃあ、発覚した元が近藤先生の個人的なことではあっても、それは偶々でしょう?」
皆の不満が公金紛失の露見の仕方にあると、重々承知しての総司の発言だ。
「沖田君はそれを仕方がないと?」
「ええ。仕方がない、と思いますよ。ちゃんと猶予があったのだし。それだけでも随分温情だったと思いますが……」
今まで処断された隊士で、そんな猶予を貰えた隊士など居はしなかった、と続けられれば、伊東にも反論の余地はない。
確かに破格の処置だろう。定められた期限内に金子が届かなかった河合の不幸というほかはない。
「まぁ、それは……」
「私も含め巡察に出る隊士は、時によっては斬り合いになることもありますし、その命を危険に晒しています。その時に敵に背を向けては処罰の対象ですよ。ましてや、その際の後ろ傷は……」
切腹でしょう、と言葉を濁しながらも、そんな隊士の死に様を見てきた総司は言った。
「河合さんは勘定方で、金銭を扱うのが職務でしょう? それが、使い込みではないとはいえ、金銭の不足と言うのは監督不行き届きで、切腹は妥当だと思いますけど、皆の考えは違うのかな?」
実戦に立ったことのない伊東を揶揄するかのようだったが、総司はその伊東から視線を流して、居並ぶ隊士たちを見遣った。
ちらほらと見える同じ修羅場を潜った隊士たちは、河合と自分たちを別な存在と認識していたのかと、そんな思いで。
「それとも、勘定方には職責が全くないのでしょうか? だったら外で任務に励んでいる我々と、随分待遇が違うなぁ。我々は金子で自分の命は買えないですからね」
明るく軽い口調で総司は言ったが、言われた隊士たちは身を小さくして縮こまるしかない。
なぜなら我が身を顧みず、河合だけが可哀想だと主張していたのだから。
伊東ですら反論の余地を見出せぬまま、押し黙ってしまった。
「さて、体が鈍らないように、稽古してきます。藤堂、久し振りに一緒にしよう」
正座をしていたから足が痛くなったと、と総司は告げて立ち上がった。
躊躇っている藤堂は動かなでいたが、そうすると総司も梃子でも動きそうにないのを見て取って、藤堂は重い腰をおずおずと上げた。
伊東を振り返りながらも、藤堂が促されて出て行くと、総司の後を追うように伊東の側近以外の隊士はそそくさと出て行った。
人が少なくなった室内に居るのは、所謂伊東一派と人括りにされる人たちのみだ。
「論破されましたな」
その中で、揶揄するように言ったのは、服部武雄だ。
武に優れた服部は、その武でもって伊東の腹心の地位にいる。
「ああ……。しかし、ああ弁が立つとは思わなかった」
言われた伊東は、自分の読みと外れた思い掛けない展開に、しばし茫然自失と言った様だ。
「弁が立つと言うよりは、信念、でしょうな」
武をもって伊東の傍近くに居る自負のある服部は、総司の心の持ち所が手にとるようにわかるような気がする。
実際、後方支援とも言うべき勘定方などの事務の人間と、実戦部隊の人間の処罰のされ方に差があるようでは、片手落ちとなって今後に差し支えると言うものだろう。
実戦部隊の隊士たちがそれで不満を抱えては元も子もあるまい。
「一枚岩は生半なことでは、崩れませんようで……」
知で伊東の懐刀を自任する篠原泰之進は、苦笑をもってして言った。
新撰組の中枢である試衛館出身の者たちの中でも、近藤・歳三・総司と言う天然理心流というさらに狭い流派のその確固たる結束は、そう容易くは崩れないということだろう。
その一枚岩が崩れれば、新撰組を乗っ取るのも容易かったのだが、どうにも難しいようだ。
となれば、その方策を変えていかねばなるまい、と篠原が思ったのはこの時だった。
そんなそれぞれの物思いに沈む中、
「欲しい」
呟かれた伊東の言葉に、また悪癖が、と思ったのは服部だったか、篠原だったか。
「は?」
だが口を開いたのは、以外にも伊東の弟・三樹三郎だ。
「兄上?」
恐る恐る伊東の顔を覗き込めば、
「あの剣の冴え。それに筋の通った信念。尚且つ人望。なぁ、欲しいと思わぬか?」
同意を求めるように周囲を伊東は見渡した。
伊東には気に入れば、相手の思惑など考慮せず、強引に手に入れようとするところがある。
藤堂は巧くいったが、総司でそれが成功するとは、誰の目にも思えないのだが。
「兄上、いくらなんでも、それは……」
思い込みの激しい兄を諌めようとしたが、口下手な三樹には言葉が続かない。
近藤・歳三・総司の三人の結びつきを考えれば、到底無理難題である。
太陽が西から昇ることを願うほどの、無謀さだろう。
「沖田は近藤や土方の一番のお気に入りだぞ」
本当は、お気に入りと言う言葉で言い表せないほどだ。
だから暗に諦めろと、服部は言ったのだが、それを聞く伊東ではない。
「だからこそ、だよ。それに沖田君を引き入れられれば、大半の隊士も靡いてくるだろう」
その様を思い浮かべているのか、伊東はどこかうっとりとした表情で呟いた。
「手に入れば、それはたいしたものだが、そう簡単にはいくまい?」
総司の剣の技量や、その人柄から慕う隊士も多い。その総司を取り込めば、藤堂の比ではない隊士たちが伊東の下へ集うことになるだろう。
だが、事はそう簡単にいくまいと、篠原らは思うのだが。
「その過程も楽しみではないか」
総司を惹き付けるだけの自信があるのか、伊東のその自意識過剰なところが、美点でもあり欠点でもあるだろう。
不逞に哂う伊東を見ながら、せいぜい頑張ってくれと、心の中で応援の旗を振る面々だった。




単に、河合切腹に関する、総司の見解みたいなものを書こうと思って書き始めたんですが、どうも途中から方向が変わって、伊東が出張ることに……。
こんな筈じゃなかった、というのはいつものことですけどねぇ。



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