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目の前を覆った血の霧が晴れ、総司の心配そうな声に我に返った歳三は、足元がずぶずぶと底なし沼に絡め取られていくような感覚を覚えた。 剣を学びそれを使いたいという欲求に素直に従った歳三ではあっても、総司が同じ行為をするなどとは、頭の片隅にでも考え付きもしなかった。 だから辻斬り退治などという行いに、原田を誘うことはあっても。総司を伴うことはなかったのだ。 それが、総司の剣が歳三ゆえに血に塗れることなど、あってはならないことだった。 それなのに、歳三を庇って総司が人を斬ったことに、歳三はまず昏い喜びを感じてしまった。 嬉しさとでも言おうか。 それに顕著に体も反応していた。 総司が斬った血に塗れ、興奮して総司を求めるしかなかった。 だが、その求めた代償は、興奮が収まると歳三を苛んだ。 己が元で総司を血に穢しておきながら、と。 歳三にとって総司は、日輪だった。 天空にあって、人の歩む道を間違いなく指し示すもの。 それが、血に穢れて翳るのではないかと、恐怖に慄いた。 そして、己が総司に与える影響にも怖くなった。 総司と契りを交わしたその時に、それはある程度覚悟はしていたはずだった。 それほど、互いの存在なしには生きていけぬと思えるほど、歳三と総司の交わりは深かったから。 しかし、総司は人を斬ったことに、感情の一つも揺らすこともなく、歳三を優しく気遣いすらした。 その上で、人を斬ったことに対し罪悪感も抱かず後悔もせず、小波すら立っていない風情の総司に、歳三は怯えた。 いずれ己が総司の中で総司が斬った男のように切り捨てられ、何の感情も抱かせず顧みられなくなることがあるのでは、と。 永遠を望みながら、終わりがいつか来ることもあると、承知していたはずなのに。 それら諸々を厳しく突きつけられ、受け止める覚悟が全くの絵空事だったことに気付き、歳三は逃げ出したのだ、総司から。 そう。女の肌に。 総司に対する手酷い裏切りだと分かってはいたが、総司が何も言わぬのを良い事に逃げた。 彦五郎から貰った刀・用恵国包すら質にいれ、足繁く郭に通って、妓に溺れた。 いや、溺れたように見えたはずだ。 だが実際は、溺れれば溺れるほど、総司を狂おしく想い、歳三を苛んだ。 まるで血の闇に堕ちたかのようだった。 そんな状況にも、ある日唐突に終止符が打たれた。 歳三が入れ揚げていた妓が元で、歳三は侍の一団に襲われたのだ。 同じ妓に熱を上げていた男が邪険に扱われたのに腹を立て、それならばいっそと歳三を亡き者にしようとした結果だ。 その結果、吉原田圃で大立ち回りを演じる破目に歳三は相成った。 自慢の刀を質に入れていたこともあって、この時歳三が差していたのは、二束三文のぼろ刀で。 いくら斬りつけてもまともに斬れず、それどころかすぐに刃毀れを起こす始末。 田圃の畦道で男が仕掛けた大人数の侍を、一度に相手せずに済むのが幸いだった。 今日が門人の神文帳への起請の日だったこともあって、近藤が歳三を迎えに来てくれなければどうなっていたことか。 歳三の刀は、すでにぼろぼろで遠目に見ても無残な有様。 歳三の悪戦苦闘を見て、近藤は相手を大喝し牽制した上で、歳三に自分の佩刀を渡し、見届け人となった。 武士の矜持を刺激された相手は、近藤の言葉を受け入れ一対一の勝負を受けた。 その相手を殺しはしなかったが大層な傷を負わせて、辛くも歳三は勝利して、近藤とともに無事試衛館に帰ることが出来たわけである。 歳三が試衛館に帰りつくと、周斎に大喝されて懇々と説教を受けた。 ようやく解放されたのは、夜も明け白み始める頃。 そのまま潔斎して身を清め、門人が神文帳への起請を行う場に挑んだ。 そこに総司の姿を認めた歳三は、どういう顔をすればいいのか分からずに、決められた場所に座ったが、総司はちらりとも歳三を見返ることはなかった。 いつになく、固い総司の横顔に、自業自得とは言え歳三は溜息をついた。 歳三の身に起こったことは、周斎や近藤から総司は聞いているはずだ。 それが、この固さ。取り付く島もないようだ。 滞りなく儀式は済んだが、それで解放されるわけもなく、渋々付き合っていた歳三だったが、どうにか近藤に断りをいれ、部屋へと戻ることができた。 昨夜からの歳三の行動は、心身を疲れさせただろうとの、近藤の配慮であった。 己の手を僅かとはいえ血に染めたが、先の血を浴びた時のような興奮は一切なく。 ただただ、錘を飲んだように体が重かった。 部屋へと辿り着いたのは、昼もだいぶ回った申の刻になろうかと言う時分だった。 総司とどんな顔をして会えばよいのか分からず、足音を忍ばせ部屋へと入ると、急に視界が反転し歳三は畳に叩きつけられた。 |
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