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気を失うように眠りに落ちた歳三だが、ふと目を覚ませば空が赤く染まっていた。 時間の感覚が全く掴めず、朝かと錯覚した歳三だが、よくよく見れば辺りを染めるほどの夕焼けだった。 起き上がろうとしたが、ほんの少し身動ぎするだけで、下肢から脳天まで突き抜ける痛みが歳三を襲った。 その痛みが歳三の上に起こった出来事を、如実に思い出させた。 しかし、見れば身なりは整えられていて、しかも覚えのない布団の中にいた。 体の節々が痛みさえしなければ、何事もなかったかのようだ。 けれど悲鳴を上げる体が、夢ではないと告げていた。 それでも、このまま寝付くわけにはいかぬと身支度をしようとして、ふと目をやった刀掛けに今朝方使ったぼろ刀ではなく、質に入れたはずの用恵国包が掛けられているのが目に留まった。 「なんで、これが……」 歳三が呟いた時、障子がすっと開けられ、総司がそこに立っていた。 逆光で総司の顔は良く見えない。 「大先生に頭を下げたんだ」 「大先生に……」 歳三はまだ頭がぼんやりとしたままなのか、鸚鵡返しに呟くだけだ。 「『まったく、どいつもこいつも、しょうもない』ってぼやきながら、掻き集めてくれたよ」 愛弟子である総司に甘い周斎のことだ。 頭を下げられてまで強請られれば、総司の覚悟のほども分かり、認めざるを得なかったのだろう。 「さっきのことは謝らないよ、俺」 総司は淡々と言う。 「だって、歳さんは俺の知らないとこで、勝手に危ない目にあって……。そんなの許せないもの」 歳三には言い返すだけのものは何もない。 歳三は逆行で見えぬ総司の表情を見極めようと見上げていたが、それよりもまず謝らねばならぬと、痛む体を正して歳三は頭を下げた。 「悪かった。この通りだ」 総司の言うように歳三が総司の知らぬところで危ない目にあったことに対してと、もう一つその原因になったことに対する謝罪だ。 「――――」 頭を下げ続けた歳三だったが、無言のままの総司に我慢できなくて、その顔を見るために再び上げた。 「本当にそう思う?」 総司の声は、静かだった。 何の感情も抱いていないかの如く。 「じゃあ、なんで俺から離れようとしたの?」 しかし、鋭く核心をつかれた。 その真意を言うのを恐れていた歳三だったが、言わねば問題は解決しないだろう。 「怖かったんだ」 「怖かった?」 歳三の言葉をからくりのように繰り返す総司に、 「ああ、怖かった。だから俺は……」 歳三は言葉を継ごうとしたが、 「やっぱり――」 総司がぽつりと洩らした言葉にいぶかしみ、 「え?」 と、聞き返した。 やっぱりとはどういう意味か。 総司は歳三が総司を避けた真意を、知っていたのだろうか。 だがそれにしては、総司の様子が変である。 「だって、歳さんが俺を避けたのは、俺が人を斬ったからでしょう? 人を容易く斬った俺が怖くなったんでしょう?」 総司のとんでもない誤解に、歳三は首を振った。 「違う。そうじゃない」 「違うの? だったら、何が怖いの?」 総司には歳三の感じた怖さが分からない。 人を斬った自分を怖かったと言うならともかく、それ以外の何を怖がることがあるのだろうか。 「俺が怖かったのは、総司じゃなく、俺の感情だ」 「歳さんの感情?」 総司は首を傾げて、歳三の先を促した。 「ああ。お前が人を斬って、それが俺の所為で。なのに、それを喜んだ自分の感情が怖かったんだ」 「喜んだ――」 「そうだ。俺はお前が俺のために、何の躊躇もなく人を斬ったのが、嬉しくて喜んだんだ」 あの時を思い出せば、やはり歳三の心は喜びに震える。 「だから、あの時興奮してたのは、その所為だ」 自分を助けるために躊躇なく刀を振るった総司の姿は、鬼神もかくやと言うほどに冷たく美しく、歳三の心を射抜き捉えていた。 「お前が、俺のために人を斬ったのが嬉しくて、そして怖くなったんだ。そう思ったことに対して……」 尻すぼみに小さくなる歳三の言葉の意味を、総司は押し図るようにしばし考え込んでいたが、 「俺が逆の立場になったら、きっと嬉しく思うだけだと思う。だって、歳さんが俺のためにしてくれたことだから」 やがて自分の感情を整理して歳三に告げた。 「そんな風に嬉しく思うだろう俺は変なのかな。それに実際斬り殺したことをなんとも思わないし、俺はどこか可笑しいのかもしれないね」 人を斬ってもなんの手応えもなく、また感情の乱れもなく、血が滾ることもなく。 ただ、血に塗れ興奮した歳三の姿にのみ昂ぶった。 「あの時の歳さんは、俺だけの物って感じで、とっても綺麗だった」 そう言う総司の言葉は、おそらく掛け値のない本心だろう。 その証拠に、どこかうっとりとした表情を浮かべていた。 「でも、俺が歳さんを血塗れにしたから。だから、人を斬った俺を嫌って離れていくんだと、そう思って……」 その総司の顔が表情をなくし、無機質なものへと徐々に変わっていく。 「人を斬ったことより、それで人が死んだことよりも、歳さんが俺を避けるほうが、俺は怖かったよ?」 淡々と総司は感じたことを述べているだけだったが、聞いている歳三の心の臓に響くほど痛かった。 「歳さんが女の人のところに通っても、一時だけだって思いたかった。けど、待っても待っても、歳さんは戻ってきてくれなくて……」 いつもは明るく表情豊かな総司が、人形のように一切の感情をなくし、総司を凝視する歳三を見下ろしてきた。 「だから、刀を請け出して渡せば、戻ってきてくれるかと思って」 総司から逃げ出そうとした歳三のために刀を質受けして、歳三が自分の腕に帰るのを待っていてみれば、妓の取り合いで刃傷沙汰を起こし危ない目にあったのだから、総司が怒り心頭に達するのも当然のことで、また当然の権利でもある。 総司の情に、歳三の目頭が自然に熱くなる。 「なのに、歳さんが女の人の事で刃傷沙汰を起こすから。だから、俺は……」 犯したのだと、だから謝らないのだと、声にならない声が聞こえた気がした。 もともと自分が悪いのだと自覚のある歳三は、そこまで言われて総司を責めることなどできよう筈もない。 いや、むしろ許しを請うのは、他でもない歳三のほうだろう。 歳三は痛む体を宥めつつ膝でにじり寄って、立ったままの総司の手を掴んだ。 総司は歳三に引き寄せられるままに膝をついた。 「でも、どこか可笑しい俺は、歳さんのそばに居ちゃいけないのかも、しれない」 ぽつりと零れ落ちた総司の言葉は、総司の心の苦鳴だったろうか。 夕闇に溶け込んだ総司の頬に手をやると、冷たいものが歳三の手を濡らした。 「いいや、そんなことはない」 歳三は総司の頭を、自分の胸元に大事そうに抱き包んだ。 「俺にはお前が必要なんだ。俺が俺らしくあるためには」 とめどなく流れる総司の涙が、歳三の胸を濡らしていく。 が、それが歳三の恐怖を溶かし、闇を払っていくようだ。 「これからは何があっても、お前から逃げない」 一頻り抱きかかえた総司の頭をゆっくりと離して、瞬きもせずに見詰めただ静かに涙を流す総司の眦に唇を寄せて、宥めるように慰めるよう歳三は唇で涙を拭ってやった。 「歳、さん……」 頬に添えた手で総司をやさしく捕らえ、柔らかく唇を啄ばんだ。 「もしも逃げ出そうとしたら、掴まえろ。掴まえて絶対に離すな」 総司が初めて歳三に出会ったときに見た、強い意思の光を湛えた綺麗な目が、総司をその中に映し出して、新たな決意を総司に告げていた。 「その代わり、お前のことも、お前が嫌だといっても二度と離さない。それでいいな?」 「うん、歳さん」 総司は歳三の首に腕を絡みつかせ、その首元に顔を埋めて頷いた。 その総司を促し顔をあげさせて、その目から涙が零れていないのを確かめて、歳三はほっと一息安堵をつき、華の綻ぶような笑みを見せた。 総司の歯列を割り歳三から絡めた舌は、いつしか総司の口腔から歳三へと移り、激しさを増していった。 「んっ……、ぅん――」 どちらのものともつかぬ甘い吐息が洩れ、夕闇から夜の帳へと移りゆく刻の中、ゆっくりと融けていった。 |
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