氷点



(壱)


斎藤がその話を聞いたのは、師範の代理を務める京の町道場でのことだった。
京の町でも、町道場が流行り、町人たちが身を守るために、こぞって道場に通うようになっていた。
斎藤は、江戸で止むに止まれぬ事情から人を斬り、親の出である明石へと身を寄せていたが、昨年の夏頃から京へと上り、道場主が寝込んでいたこの道場へ転がり込み、代わりに師範として門弟に稽古をつけていた。
今日も、そういった日々の一つとして、終わる筈だったのだが。
夕刻、稽古も終わろうかという頃、のこのこと現れた門弟の一人が口さがなく言うのを、斎藤は聞いたのだった。
浪士組というものが、江戸から京へ上ると言うのは、既に噂で知っていたが、その浪士組が今日、入洛したと言うのだ。
この浪士組というのは、なんでも清河という元々尊攘派を自任する男で、その男が何を血迷ったか、幕府に建策し浪士を集め、将軍警護と称して、京へと上ってきたらしい。
しかも、昨日から三条に晒されていた、足利三代の木像の梟首を、横目に見ながら。
斎藤は、この浪士組が上ってくるのを、心待ちにしていた。
何故なら、きっとこの中には、斎藤が想いを寄せる男も、共に上ってきているに違いないと思うからだ。
斎藤が想いを寄せる男。
その名は、沖田総司。
年は、斎藤と同じ二十歳。
剣の腕も、ほぼ互角。
ただ、正確が陽と陰ほど、違う。
だから、惹かれた。
もっとも、斎藤が自分の想いを、本当に自覚したのは、離れてからだ。
江戸を去り、沖田の元を離れてから、自分はあの男を恋うていたと、自覚したのだ。
その度に、何度江戸へ戻ろうと思ったか知れない。
それを思い留まったのは、偏に沖田に迷惑を掛けたくない一心だった。
その沖田が、京へと上ってくる。
なんの確信もある話ではなかったが、斎藤はそう思った。
あの試衛館の連中なら、きっと京へ上ってくる。
道場主の近藤も、土方も、武士に憧れ、真の武士足らんとする場を欲していた。
また、そこに集っていた食客たちも、世に出る機会を欲していた。
ならば、浪士組という話を聞いて、あの連中が動かぬわけがない。
そして、連中が動けば、沖田もきっと。
聞き耳を立てて聞いた門弟の話では、浪士組の塒は壬生だと言う。
さすがに、今日はこれから訪なうには、遅かろう。
到着したところで、疲れてもいるだろう。
斎藤は、明日朝、早速壬生に行こうと決めた。


昨夜、好きな酒も飲まず、朝着ていく着物を調えて、そそくさと寝付いた自分を思い出し、斎藤は壬生への道すがら、苦笑った。
まるで、恋する女そのものの行動である。
しかし、沖田に会える。
そう思うだけで、うきうきと心が浮き立ち、なかなか寝付かれずにいた斎藤だったが、朝は随分早く目が覚めてしまった。
あまりに早い訪問は相手の迷惑になるかもと、じりじりしながら待って、家を出た。
壬生までは、斎藤の足なら、それほどの距離ではない。
壬生の近くまで来たときは、ちょうど巳の刻前だった。
二百名からの大所帯だと知ってはいたが、探せばすぐに居所は分かるだろうと、常にない楽観的な感覚で斎藤は、そこらかしこをうろうろとしている、普段は壬生では見かけぬ胡乱な男たちの一人に声を掛けた。
「済まぬが、人を探しているのだが……」
「人ぉ?」
元は武士かどうかも分からぬ風体の男は、斎藤を値踏みするように、見返した。
「試衛館道場の、近藤勇という男だ」
近藤に用はないが、沖田の名よりは道場主として名が通っているだろうと、近藤の名を出した斎藤だった。
「近藤?」
男は、考え込んでいたようだが、ふと思い出したのか、
「ああ、あの男か」
ぽんっと、手を打った。
やはり、斎藤の読みどおり、試衛館一統は、京へ上ってきていた。
それを知っただけで、高揚する自分がいた。
「確か、あの男の泊まり先は……」
思い出すように考え込んでいた男だが、見上げた先のでっぷりと太った男を指差した。
「そうそう、あの男、芹沢と言うが。あの男と同宿のはずだ」
芹沢。
でっぷりとしたいい体格をしている。
膂力がありそうだ。
いい腕だろう。
だが、酒癖が悪そうだ。
この時間にもかかわらず、いかにも酒を呑んでいるといった風情だ。
「ああ、そうか」
男に軽く頭を下げ、斎藤は足早に消えていく芹沢を追った。
数歩前を行く芹沢たちが、とある門の中に消えると、中から聞き知った声が、斎藤の耳に聞こえてきた。
「芹沢さん、お帰りなさい」
「おお、沖田君か。今から出掛けるのかね?」
「ええ、ここがどんな所か、全く知りませんから、ちょっと見てこようと思って」
「はっはっはっ、だったら、昨夜儂らと一緒すれば、よかったものを……」
「昨日は疲れて、それどころではなかったので」
「若いもんが、そんなことではいかんなぁ」
「では、次の機会によろしくお願いします」
「そうか、そうか。今度は是非誘うとしよう」
芹沢とか言う男の、豪快な笑い声が最後に聞こえ、斎藤が誰よりも会いたかった男が、姿を現した。
まだ、寒々しい日和だというのに、その男、沖田の姿が、斎藤の眼に入った途端、まるで暖かな春の日差しが差し込んできたかのようだった。
斎藤の視線に気付いた沖田が振り向いて、立ち尽くしている斎藤を見て、その眼が驚きに見開かれた。
「斎藤、さん」
沖田に声を掛けられて、斎藤の時が、再び動き出した。
「沖田」
沖田の名を呼び、ほんの少しの距離を足早に近づく。
「斎藤さん、どうして……?」
「浪士組の中に、きっと居ると思った」
「え、ええ……」
「久し振りだ。ゆっくり話がしたい」
斎藤が、京に居ることすら知らなかったのだろう沖田の驚きは、なかなか去らないようだったが、斎藤はそんなものに構って入られず、沖田を誘った。
「はい、いいですよ。私も、斎藤さんの話が聞きたいな」
でも、京へは来たばかりで、何も知らない、と言う沖田に斎藤は、時間があるなら京の町を案内すると申し出た。


四条の通りを東に歩きながら、京の町は碁盤の目になっていること、通りに名前があり町名よりもそれで場所を指すこと、御所を中心に上ル下ルと言うこと、などを道々斎藤は沖田に教えた。
烏丸付近の茶屋へ二人上がり、茶と菓子を頼んで、向かい合った。
「斎藤さん、あれから、京に来ていたんですか?」
「いや、父の縁続きの明石にしばらく居た。京へ上ったのは昨年の夏だ」
「そうだったんですか。行き先を知らないから、すごく心配していたんです。如何してるかな? って」
沖田に心配を掛けたすまなさと、心配してもらえた喜びが、相反して斎藤に存在する。
「でも、よく私たちが、京へ来ていることが分かりましたね」
「そりゃ、試衛館に出入りしていた頃は、しょっちゅう言っていたじゃないか。いづれ、世に出て大きなことをしてやるって、皆が」
「ええ、言ってましたね」
「だろう? だったら、きっと浪士組に、皆が参加してる筈だと思ってな。で、皆が参加するなら、当然沖田も参加しないわけがない」
斎藤が断言すると、
「読まれてるなぁ、斎藤さんには……」
沖田は苦笑った。
「それで、昨日浪士組が入京したと聞いたので、矢も盾も堪らずに会いに来た」
「ええ、来てくれて嬉しいですよ。斎藤さんに会えただけでも、浪士組に参加した甲斐があったというものです」
「沖田こそ、嬉しいことを言ってくれる」
斎藤は、結構無口なほうだが、沖田相手だとよく喋る。
自分でも呆れるぐらいだ。
「そうだ。折角だから、皆にも会えばよかったのに……」
沖田はそう言ったが、斎藤の会いたかった相手は、目の前に居る沖田のみだ。
他の人間などどうでもいい。
「いや、また挨拶に来るよ」
だが、さすがにそう言う訳にはいかず、次と言って誤魔化した。
「そうですか?」
「ああ。また、沖田も会ってくれるだろう?」
「勿論ですよ」
にっこりと、太陽のような笑顔を沖田は見せた。
「また、久し振りに剣も交えたいし」
「ああ、そうだな。また稽古しよう」
「約束ですよ」
この笑顔を、再び見れただけで、斎藤は至極満足だった。




斎藤→沖田でございます。
さてさて、これがどうなるかは、今後のお楽しみということで。



>>氷点(弐)
>>Menu >>小説 >>珠簾 >>氷点(壱)