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(弐) |
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斎藤が師範代理を努める道場で、厳かな雰囲気が立ち込めていた。 何故なら、対峙する二人の技量が、他とは並外れて違う。 試合を始める前には二、三人いた門弟たちにも、それは伝わったのだろう。 始めてしばらくして、恐れを感じたのか、皆逃げ出してしまった。 互いの技量は、ほぼ互角。 そして、その技の冴えを、互いによく知るからこそ、すぐには決着がつかない。 汗が飛び散り、呼吸が乱れ始めて、漸く沖田の剣が斎藤の胴を打ち、勝った。 もっとも、斎藤も沖田に小手を入れたのだが、これは打ちが浅かった。 互いに息が荒いが、鍛えられた躯だ。すぐに息も整っていく。 「相変わらず、いい腕だ」 「ふふっ。斎藤さんこそ、腕を上げたなぁ」 道具を片付けつつ、沖田の明るい声が道場に響く。 「負けるかと思って、ひやひやしましたよ」 「それが、勝った人間の言い草か?」 言外に、嫌味だな、との意味合いを、斎藤が含ませれば、沖田はぺろりと舌を出した。 そういう仕草を平気でして、また嫌味にならないのが、沖田だった。 道場の裏手の井戸で、二人諸肌脱ぎになり、水を浴び、滴る汗を拭う。 斎藤は沖田の躯を、つい目を細めて眺めてしまう自分に、内心苦笑しながら、先日別れてから気になっていたことを聞いた。 「そう言えば……」 「何ですか?」 「前のとき、その辺に居た男に、試衛館の近藤さんと言って、宿泊先を聞いたら、すぐに思い当たっていた」 斎藤は、先日の光景を思い出しながら、言葉を繋いだ。 「私も、近藤さんたちのことだから、すぐに知れると高を括っていたんだが。だが、よく考えてみると、二百人からの人間が居る中で、名が知れているというのは中々ないだろう?」 「まぁ、それはそうですけど」 「何かあったのか?」 「う〜ん。あったと言えば、あったし。なかったと言えば、なかったし」 言葉を濁す沖田に、斎藤は興味をそそられた。 沖田は普段、そういった誤魔化しをしない男だった。 「沖田?」 「大した事じゃないのですけど、ね」 そう前置きしながら、沖田は話し始めた。 そう、本庄宿での芹沢の篝火と、近藤の一件を。 「それで、芹沢と言う男、宿のど真ん中で、大篝火を焚いたのか?」 「ええ、宿がないと一悶着してね」 先生たちの手配漏れの落ち度はあったにせよねと、苦笑しつつ、沖田は斎藤に告げた。 「だけど、それを満座の中で、土下座までして治めた先生を見て、先生の株が上がったんです」 今は、さらっと言う沖田だが、その時はどんな思いを抱えたことだろう。 沖田の近藤に対する思いの寄せ方は、一方ならぬものがある。 それは、斎藤が沖田に寄せる類のものではなかったが、いやだからこそ、もっと純粋で崇高なものだろう。 「きっと、その男の人も、その時の先生を見ていたのじゃないかな」 「そうか。なるほどな」 確かに、そんな出来事があれば、近藤の名が知れ渡るのも、無理はなかろう。 「ところで、江戸へ戻るとか言う話を、聞いたんだが……」 斎藤は、何よりも今日会って、一番聴きたかったことを、尋ねた。 「ああ、清河さんは、そう言っていますね」 「清河は? では、沖田たちは違うのか?」 「ええ、まぁ……」 それは、一躯どういうことなのか、斎藤は是が非でも聞きたかった。 斎藤にとっては、何より大事なことなのだ。 沖田が京へ来て、まだ十日ほどしか経っていない。 斎藤も、沖田と再会して今日で三度目。 まだまだ、別れがたかった。 「えっと、ここだけの話ですよ」 誰も聞いているものなどいる筈もないのに、沖田は声を小さくして、斎藤の耳に打ち明けた。 「先生と、芹沢さんたちは、清河さんたちと離れて、京へ残る心積もりです」 「京へ?」 「ええ。そりゃ、先生も清河さんの言う、攘夷には賛成ですよ。だけど、私たちは将軍警護をするために、わざわざ京へ上ってきた。それを果たしもせぬうちに、帰れないでしょう?」 「そうだな」 「だから、先生は清河さんと袂を別って、京へ残る決心をしたのです」 「芹沢とか? 仲がよくないんじゃないのか?」 先程、聞いた本庄宿の一件は、しこりになっていないのだろうか? 「それ程では、ありませんよ」 沖田はそう言ったが、それが皆の本心とは思えなかった。 沖田は、芹沢の豪快さを、気に入っているようだったが。 その怪訝そうな思いが顔に出たのだろう、沖田はくすくす笑った。 「土方さんなんかは、今だけ手を組むだけだ、と言っていますけど」 土方か。それにしても、何度かその名を聞いたが、呼び名を変えたのか。 試衛館の頃は、『歳さん』と言っていたはずだが。 沖田の口から、『土方』と聞くと、変な感じがする。 だが、それよりももっと気になることを、斎藤は聞いた。 「当てはあるのか?」 当てもなしに、京へ残っても、幕府から離れ、ただの浪人になってしまう。 食い扶持にも困るだろう。 「今、それで、先生や土方さん、芹沢さんたちが、走り回っていますよ」 ごろりと、沖田は縁台に寝転んだ。 「だから、この間も会えなかったでしょう?」 それで、二度目に会ったとき、沖田は近藤たちのことを、何も言わなかったのか。 最初に会ったとき、次に会うときは皆に挨拶をといっていた沖田が、何も言わないのを良い事に、忘れた振りをしていた斎藤だったのだが。 「私は、居ても居なくても同じだから、こうして斎藤さんと遊べるけど」 そうだっ、そう言って沖田は、急に跳ね起きた。 「ねぇ、斎藤さん。私たちが京へ正式に残れるようになったら、斎藤さんも一緒に行動しませんか?」 「え?」 掴みかからんばかりに沖田に詰め寄られて、斎藤は思わず身を引いた。 「ねぇ、そうしましょうよ。今京へ残るのは、試衛館で八人、芹沢さんたちが五人」 指を折り、人数を数えて、沖田は溜息を吐いた。 「これだけなのです。少ないでしょう? だから、斎藤さんもこれに加わってくれたら、凄く心強いのだけどな」 きらきらと、眼を輝かせて、有無を言わせぬ瞳で見詰められて、斎藤はそんな場合ではないのにも拘らず、どぎまぎしてしまった。 沖田のこの瞳に抗えるものが、一躯何人居るだろう。 「腕は確かだし、気心は知れているし。きっと先生たちも歓迎しますよ。ねっ、斎藤さん」 「考えておく」 沖田に誘われて、考えるまでもないことだったが、斎藤はもったいぶって返事を保留してしまった。 「いい返事くださいね、きっとですよ」 もっとも、沖田は斎藤に断られることなど、思っても見ないようで、再びごろりと寝転がると、運動をした心地よさから、すうすうと無造作に眠り込んでしまった。 その寝つきのよさに呆れながら、斎藤は沖田の寝顔を見詰めた。 この一年で、随分大人びたように思う。 年は、斎藤と同じだが、一緒に居て、いつも沖田の方が、二、三幼く見られていた。 それが、今でも幼い言動はあるにせよ、どこかそれだけではないものを、感じさせるのだ。 躯つきも、格段に肉付きがよくなって、引き締まっていた。 こうして、大きく開いた襟の合間から見える陽に焼けた肌が、斎藤の眼に眩しく、漸う眼を逸らすと、うっすら開いている沖田の薄い唇に、眼が引き寄せられてしまった。 そして、斎藤は我慢できずに、無防備なその唇に、そっと自分の口を寄せた。 |
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やっと、それらしくなってきました、斎藤→沖田。 ですが、まだまだ、これからです。 |
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