氷点



(拾伍)


斎藤が伊東の元を脱したのが、六日前。
そのまま、土方の指示の元、紀州藩公用人・三浦休太郎の元へと身を潜めた。
伊東たちの仲間として、高台寺に身を置いたのは、数ヶ月に及ぶ。
その間、仲間として疑われないように、身を処してきた。
伊東の護衛役として、薩摩や勤皇方に顔を出して。
更に、金や女にだらしない男として振舞ってまで。
もっとも、古い付き合いの藤堂は、そんな斎藤の素振りを誤魔化しと断じているようであった。
また斎藤が伊東に付いてきたのは心酔した故ではないと、うすうす察していたようだが、結局何も言わなかった。
しかし、伊東も斎藤の剣の腕を頼りにしながら、どこかで信じきれなかったものか。
薩摩などの更なる信用を得ようとして近藤暗殺の計画を立て、その暗殺者として斎藤を指名した。
伊東に心酔しきっている連中の中には、そんな大事なことを斎藤に任すなど、と気色ばむ者もいたが、伊東はそんな連中を抑えて斎藤に命令を下した。
踏み絵を踏ますつもりだったのか、それともそれほど斎藤を買っていたのか。
それは斎藤自身にも分からなかったが、拒否する権利など斎藤にはなかった。
すれば、その場で殺されていただろうから。
とにかく斎藤は動揺の素振りも見せずその話を受けておきながら、土方に報告をしてそのまま姿を晦ましたのだった。



「伊東は、近藤を殺すことに下らしい。しかも、その討ち手に俺を指名した」
土方は顔色一つ変えることなく、淡々と受け止めた。
「そうか」
予想通りというところだろうか。
これで、近藤を説得しやすくなる、と思ったに違いない。
近藤は情に篤くお人好しのところがあり、いまだ伊東を信じようと思っているらしいのは、土方の言葉の端々を繋ぎ合わせれば容易に分かる。
いろいろと考えを巡らしているに違いない土方の手を、斎藤は掴み自分の元へと引っ張った。
「おい」
土方は抗議の声を上げ抗ったが、斎藤は土方の躯を躊躇なく組み伏せた。
「これが、最後だ」
襟元から強引に手を差し入れ、胸を露にさせる。
最後、との言葉に土方も諦めたのか、じき大人しくなった。
帯を解き、袴を脱がし、手馴れた手順で土方を陵辱していく。
土方を貪り貶める行為は、斎藤には必要だった。
自己の確立のためにも、また間者として伊東に潜り込んでいることを納得するためにも。
土方には屈辱でしかなかっただろうが、それでも斎藤を沖田の目の前から消し去るには、どうと言うこともなかっただろう。
第一土方にすれば、斎藤が間者だと見破られても、一向に構わなかったはずだ。
そうなれば、裏切り者として伊東が処分するだろうから。
いや、何よりもそれを望んでいたのではなかろうか。
あえてばらすわけには、いかなかったにせよ。
だが、無事に帰還した斎藤に、土方は落胆したことだろう。
斎藤が情報をもたらさなくとも、いずれ伊東を葬ることは、土方には動かし難いことだったろうから。
そう思えば、十分な意趣返しになっただろうと思いながら、斎藤は土方を貪った。



昨夜、坂本龍馬が襲われ死んだと知らせをもたらしたのは、吉村貫一郎だった。
一緒にいた陸援隊の隊長・中岡慎太郎は重傷を負いながらも、今は一命を取り留めているらしいが重傷で危ないらしかった。
だが、それよりも大事なのは、坂本の検死の場に居合わせた伊東が、その犯人を新撰組だと断じたことだ。
それを聞いて、伊東らしいやり口だと、斎藤は思った。
事実はどうでも、そう言われれば隊長である坂本を失った海援隊の連中も、奮い立たずにはいられないだろう。
近藤を襲う手筈だった斎藤が逐電した以上、海援隊を新撰組に宛がうのが、上策と判断したのだろう。
上手くいけば近藤や土方が死に、そうなれば大将を失って慌てふためいた隊士が転がり込むかも知れず、労なくして一隊を手にすることが出来る。
自分の手を自ら汚すことが嫌いな伊東らしい、と斎藤は一人哂いを噛み殺した。



伊東が粛清されるという夜、斎藤は新撰組の屯所へと夕闇に紛れるように帰ってきた。
土方からの使いとして、山崎が伝えに来たのだ。
今夜、伊東を近藤の醒ヶ井の休息所に呼び出し、その帰路に殺害するという。
こんな時期に近藤に呼び出されて、のこのこと伊東が出向くのも疑わしいが、自意識過剰で自信家の伊東のことだ、案外図に乗って出てくるかもしれなかった。
呼び出しの文句は、『伊東先生の勤皇のお志のご高説を承りたく』というものだったらしいから。
この期に及んで、近藤が佐幕より目覚め、勤皇に鞍替えすると思ったのだろうか。
とにかく屯所に戻るのは、斎藤の身の安全を図るためという名目だったが、それよりも沖田の監視役といった方が妥当だろう。暗に山崎もそれを斎藤に伝えた。
今夜の粛清を聞けば、その対象に藤堂がいる以上、沖田はその身を顧みず、出掛けようとするだろうから。
しかし、そんな沖田を止められる人間は、そうそう居る筈もなく、永倉や原田がいなければ、斎藤ぐらいしか適任者はいないのだ。
土方らが醒ヶ井に出掛けるのと前後して、斎藤は沖田の部屋へと足を進めた。
斎藤が新撰組を脱して以来、沖田に会うのは初めてである。
前の斎藤との同室の部屋ではなく、一人別に宛がわれているという沖田の部屋の前に辿り着いたとき、この中に沖田がいると思うと、斎藤の胸がいつになく高鳴ってきた。
「斎藤さん?」
障子に手を掛け開けるまでもなく、中から斎藤の名を呼ぶ沖田の声が聞こえた。
斎藤がさっと障子を開けると、床に寝たまま顔だけをこちらに向けた沖田が、以前と変わらずにこやかな笑みを見せた。
一人離れた部屋を宛がわれているのは、それほど病状が悪くなっているからかと斎藤が案じたとおり、沖田のかは面窶れして見えた。
だが、その笑みは本当に、屯所を出て行くときに見たものと、寸分も違いがなかった。
「お帰りなさい、斎藤さん」
ああ、この笑顔が見たかったのだ、と斎藤は思った。
この笑顔を守りたいがために、沖田の元を離れざるを得ず、その間のなんと長かったことか。
しかし、報われたと思った。
斎藤が名誉を捨てて、間者となった甲斐があったと。
「ああ、ただいま」
新撰組を私物化しようとした伊東は、今宵いなくなる。
そうなれば、沖田の居場所も安泰と言うものだった。
ただ、神ならぬ斎藤の身には、このあとの運命の変転は知る由もなかったが。




やっと終わりです。いかがだったでしょうか?
沖土で斎土だけど、斎沖でもある話なので、賛否両論はあるとは思いますが。
すこしでも、楽しんでいただけたなら幸いです。



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