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歳三に鈴を渡し、手を引っ込めた総司は、幾度と無く数えた天井の羽目板を眺めながら、寝物語に語った。 「その鈴、前に『比翼の鈴』といいましたよね?」 「あ、ああ……」 確かにそう聞いた。 連理比翼にあやかって、仲睦まじくあるようにとの願いを籠め、比翼の図案を刻まれた鈴であると。 「絢乃はね、これを私に渡すときに、言ったんですよ」 総司の穏やかな声が、時折りそよぐ風のように、歳三の元へと届く。 「貴方の一番大事な人に、いずれ渡してください、と」 「一番大事な人?」 半身を起こして歳三は、つい鸚鵡返しに聞いた。 綾乃こそがその大事な人だろうに、と歳三は思ったのだ。 だから、何故絢乃という女は、死に際に総司にそんなことを告げたのか、歳三には分からなかった。 「ええ、そうです。一番大事な人に、って」 けれど、総司はまるで違うというように、同じ言葉を繰り返した。 「綾乃は、私にとって確かに大事な人だった。でも一番ではなかったし、彼女と私は二世を契ったことはなかったから」 総司の言葉に、歳三は混乱した。 二世を契っていない、とはどういうことか。 総司と綾乃は、夫婦の約束をした、男女の仲ではなかったのか。 だからこそ、総司は絢乃を、沖田氏縁者として、弔ったのではなかったのか。 「絢乃は、私の秘めた想いを、知っていた。知っていて、私が何より隠したかったことの、共犯者になってくれたんです」 鳴らない筈の鈴が、ちりちりと手の中で鳴っている音が聞こえる様な気が、歳三にはした。 「土方さんには迷惑だろうけど、悔いを残したくないから……」 月明かりだけでは、総司の表情は判然としない。 聞いてはいけないことを聞くようで、歳三は耳を塞ぎたかったが、実際は微塵も動けず、ただ黙って続きを聞くしかなかった。 「絢乃とは、本当になんでもなかった。私の病を隠すための、隠れ蓑でしかなかったんです」 総司は、ただ淡々と語る。 「もちろん、嫌いではなかったけれど。私には彼女を女性として、愛してはやれませんでした。彼女より大事な人が、私にはいたから。己より大事な人だから」 感情の起伏も感じさせず、ただ淡々と。 「そんな人を持つ私が、彼女を幸せにしてやれる筈が、ないでしょう? だから、彼女と情を交わすことなど、できなかった」 思いの丈を昇華させたかのように。 「その人の傍から、離れたくなくて。病を隠して、それ以上にその人への想いを隠したくて……」 だから、彼女を利用したと、総司は言う。 「私の想いも、何もかもを承知で、彼女は甘んじて受け入れてくれた」 総司の秘密の片棒を担いだ、絢乃は総司をどういった目で捉えいたのか。 絢乃にはそんな総司を、それでもよいと受け入れ受け止めるだけの恋心が、一片もなかったのだろうか。 「その彼女が、最後のときに言ったんです。貴方の一番大事な人に、あげてくれと。その鈴は、人の想いが、籠められる鈴だから、そうして想いを託す鈴だからと」 勁い、と歳三は思った。総司を想う絢乃は、勁いと。 己を顧みない男を、そこまで、許せるものなのかと。 「私が、その時受け取ったのは、彼女の想いを受け取って、ただ彼女を安らかに逝かせたかったから。それだけだった筈なんです。想いを告げるべきではないと思っていた。ずっと隠し通すのだと思っていた。だからこその、彼女だった筈だった」 総司がそこまで言う人物は誰なのか、既に問い質さなくても、歳三には分かってしまった。 「でも……。やっぱり私は、弱いね。その想いを抱えたまま、黙って逝けないんだから……」 総司は自嘲するように、哂った。 それは歳三の知る、総司らしくない哂いだった。 そんな顔は見たくないと、歳三に思わせるような。 そんな顔をさせる奴を、許せないと思わせるような。 「総司」 「だから……。土方さんに、その鈴をあげます」 けれど、次に見せた顔は、清々しい一転の曇りもない笑顔で。 歳三は、手の中の鈴を、きつく握り締めるだけだった。 比翼の鈴。 総司は、これに己の想いを託した。 だが、歳三は応える術を知らず。 ただ無言で、受け取った。 総司はその土方に、満足そうに笑みを浮かべて。 その顔を思い出しながら、聞こえぬ鈴の音を一人、歳三は最果ての地で聞く。 総司の想いと己の想いを、胸に閉じ込めて。 |
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終幕 |
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長いこと、お付き合いくださいまして、ありがとうございました。 結局こんな話になってしまいましたが、楽しく書けましたv |
対の響(陸)<< | |
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