対の響

(陸)



江戸で総司は、皆と離れて一人静かに過ごしていた。
ここを訪れる人間は殆どなく、今まで人の輪の中にいた総司には淋しい限りだった。
しかし、もうじきそれも終わりを告げるだろうとの、自覚がある。


今宵、闇に紛れて一人の男が、総司の元を訪れていた。
歳三である。
髪を短く切り、洋装に身を包んだその姿は、とても新撰組の副長には見えなかった。
「髪、切ったんだ」
総司はまじまじと、雰囲気の変わった歳三を見詰めた。
「ああ、この格好には、髷は似合わんからな」
「土方さんは、洒落者だから」
そう言って総司は笑ったが、未だ前を向いて歩もうとする歳三の姿は、目に眩かった。
共に歩むことができなくなったのが、総司の唯一の心残りだ。
「それで、今は江戸の郊外に居るんでしょう? わざわざ、見舞いに来てくれたの?」
「ああ。だが明日、江戸を離れて、会津へ向かう」
歳三が総司の元を訪れたのは、見舞いではなく別れのためだった。
総司には言っていないが、近藤が囚われ、その釈放のために昨日から、江戸に入っていたのだ。
だが、近藤の釈放がままならぬまま、歳三は江戸を離れ、幕府軍が集まりつつあるという鴻の台へ向かい、会津へと先発した隊士たちを追っていく。
「会津へ? そう……」
覚悟していたことだ。
江戸城が無血開城されると聞いたときから、歳三が江戸を離れることは。
徹底抗戦を主張していた歳三が、一戦も交えることなく、大人しく武装解除するわけがないのだ。
「戦に勝ったら、戻ってくる。それまでお前は、ここでゆっくり養生しろ」
歳三の言葉に合わせるように、
「うん。それまで大人しくしてるよ」
総司は応えた。
しかし二人とも、分かっているのだ。
きっと、これが今生の別れだろうということは。
「ねぇ、土方さん。今夜は……」
言い掛けて、総司の言葉が途切れた。
察するように、歳三は総司の言葉に続けて、
「今日は随分遅くなった。泊めてくれ」
にかりと笑うと、さっさと総司の行李を開け、手頃な寝巻きを引っ張り出した。
その様に、総司はしばし呆然としつつも、
「布団は、余分にないよ。母屋で借りてこないと」
言葉を掛ければ、
「ああ、そうだな。頼んでこよう」
歳三はそう言って、さっさと出て行った。


歳三が布団を借りに行っている間、総司は刀掛けに置かれている、自分の刀を見ていた。
いや、実際は刀ではなく、そこに付けられている対の鈴を見ていた。


二つの布団を並べて寝る。
試衛館の頃は、狭い所為もあってよくそうして寝ていたが、京へ上ってからは、とんと無かった。
だから、どこかこそばゆいような、不思議な感覚であった。
行灯の火を消し、細い月の明かりだけが、部屋を照らしている中で、二人は取りとめのない話をしていた。
「こうやって一緒に寝るのは、久し振りだねぇ」
「そうだな。お前が小さいときは、一つの布団で寝たこともあったが……」
試衛館に来た当初、総司は淋しくて、しかし近藤にそれを打ち明けられず、歳三が来ると何故か甘えていたのだ。
「うん。土方さんが来るたびに、一緒に寝たっけ」
総司が横を向くと、歳三も笑ってこちらを見ていた。
互いの顔がほんの僅か分かる程度だから、総司は思い切って手を差し出した。
「なんだ?」
差し出された総司の拳を、歳三は訝しげに見て。
「いいものあげる。手を出して」
催促するように総司の手が振られ、歳三は一体なんだと思いつつも、掌を広げて伸ばした。
そこへ総司の手から落とされた物が重なり合って、ちりんと軽やかな音を立てた。
その音に、歳三は思わず竦んだ。
「そう、じ……」
歳三の声も、喉の奥でひりついたように、渇いていた。
「それ、あげるよ」
けれど、総司の声は、屈託ない明るい声音で。
「これは、お前の、大事なものだろう?」
歳三は、漸うそれだけを言った。
今歳三が手にした鈴は、総司がずっと身に付けていた鈴ではないか。
どれ程大事にしていたか、歳三は誰よりも知っている。
「その鈴を、どうして」
との思いが、歳三の内を駆け巡った。





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