対の響

(伍)



絢乃が死んでから、時代は目まぐるしく移り変わっていった。
いや、それまでにも変わりつつあったのだろうが、総司の目にはそう映った。
絢乃が亡くなる前、伊東甲子太郎たちの一派が、新撰組を離れた。
分派をして薩長を探るという話だったが、それは表向きの話で、誰もそんな話しなど信じていなかった。
そして、その分派に、試衛館以来の同志である藤堂と斎藤も、同道していった。
表面上は、良好な関係が続いていた最中、次第に時代の波はうねりを高くし、両派を飲み込んでいった。
まずは昨年、十四代将軍家茂が逝去し、それに続いて孝明天皇までが崩御し、公武合体は脆くも崩れ去った。
これが、二人の弑されたと噂される要因であった。
そして、長州と薩摩の密約が、土佐の坂本竜馬の仲立ちで取り交わされ、後に『幼沖の』と言われる明治天皇が即位した。
だが、この天皇は薩長の傀儡であり、天皇を握った薩長の思惑通り会津を廃して、倒幕へと筋書きが進んでいった。


そんな中での大政奉還であったが、新撰組はその流れも見ずに、伊東の息の根を止めることに、情熱を燃やした。
それだけでなく、伊東一派の根絶やしを目論んで、凄惨な血を流した。
本来なら、新撰組随一の使い手として、また一番隊隊長として係わらなければならなかった出来事ではあったが、総司は既に床に着く日々が多くなっており、歳三から禁足を言い渡され、一人まんじりともせず床にあった。
間者として伊東の元に潜んだ斎藤はともかく、その死を誰も願わなかった藤堂も、己の節に殉じた。
だが、誰よりも死に近いと思っていた総司は、その後も何人もの死を見送った。
井上や、山崎の死を。
何よりも総司が辛かったのは、近藤の盾になれなかったことだ。
病み衰え、満足に剣も握れなくなりつつある自分が、怪我一つせずにいるのは、心苦しかった。
そして、近藤のいない歳三の支えになってやれないことが、悲しかった。


江戸へと向かう船の中、総司はだるい体を支えつつ、揺れる甲板へと上がった。
船室は息苦しく、外の空気を吸いたかったのだ。
外は真っ暗かと思っていた総司だったが、月明かりもあり、思ったよりも随分明るかった。
安静にしてろと、口を酸っぱくして歳三に言われている総司は、人目につかぬ船尾の暗がりへと歩いていったが、そこには先客がいて足を止めた。
それは、近藤の元にいてると思っていた歳三だった。
青白い月の光に照らされた歳三の顔も、その疲れからか、いつも以上に白く見えた。
一体何を考えているのだろうか。
死んでいった者達の事か。それとも、置き去りにした人間の事か。
総司は、この人の傍らにずっといたかった。
けれどそれができぬとわかった今、一体この人に何ができるだろうか。
まんじりともせず総司は、その感情の全く削ぎ落とされたかのような歳三の横顔を、凝視し続けた。
時折り、雲が月を隠し、また風が雲を追い払い、月が顔を覗かせ、幾度かそれを繰り返す中、甲板の上を冷たい風が総司を嬲り、弱っている肺に負担を掛けて、咳き込ませてしまった。
その咳き込む音に、歳三が振り向くと、総司が壁に凭れ掛かるように崩折れるところだった。
「総司っ」
ごほごほ、と咳き込み続ける総司だったが、大丈夫と言うように、駆け寄ってきた歳三に手振りをした。
「馬鹿っ。あれほど大人しく寝てろと言ったのに」
心配して総司の背を摩りながら、総司の咳がましになると、歳三はついお小言を言ってしまった。
血を吐くのでは、と気を揉んだ分、総司が落ち着くと安堵から、そうなってしまった。
「だって、あそこは空気が悪くて……」
「…………」
確かに、船室は換気がよくないため、空気が悪い。
だからといって、潮風は総司の体には、酷過ぎるというものだろう。
「だが、夜の空気は冷たすぎる。お前はもっと自分の体を考えないと……」
「じゃぁ、昼なら良いでしょう?」
総司に上目遣いに願い事をされて、歳三は言葉に詰まったが、自分の目に付かぬところでされるよりも、目の届くところに置いておいた方が、安心できるというものだと、渋々同意した。
「その代わり、俺と必ず一緒に、だぞ」
「ええ、いいですよ。ありがとうございます」
にっこりと、笑う総司の顔を見て、俺も総司にはつくづく甘いと、歳三は思った。
「部屋に戻るぞ」
総司の肩に自分の上着を羽織らせてやりながら、歳三が促すと、
「もう少しだけ。もう少しだけ、月を見させてください」
土方さんと一緒に、との言葉を内に秘めて、総司は笑みを刻んだ。
「総司……」
先程とは打って変わった総司の静かな微笑みに、歳三は何も言えなくなって、総司が欄干に身を凭せ掛けるその背を眺めて立ち尽くした。
船体にぶつかる波の音だけが、二人の間を奏でてゆき、天高く輝く月が、遥か京の地とを結んでいるかのようだった。





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