227様作■「姫君の憂鬱と王様の杞憂」環ハル // 3

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 月曜日の放課後―――。
 ハルヒは授業が終わると急いで第三音楽室に向かい、意を決してドアを開けた。
 まだ誰も来ていない部室は、部活中の喧騒が嘘のようにシンと静まりかえっている。
 彼女は今日、重大な決意を胸に秘めていた。
 今日の部活が終わったら、環に自分の気持ちを伝えようと思う。
 彼がそれにどう答えるかは分からないが、吉と出ても凶と出ても確実に二人の関係は変わる。
 もっとも、良い結果になればそれにこしたことはないが……。


 やがて、二番目にやって来たのは他ならぬ環だった。
 彼の姿を確認した瞬間、ハルヒの胸の鼓動が急激に速度を増す。
 見慣れたはずの彼が、何とも新鮮に映る。
 色素の薄い柔らかなくせのある髪も、整った顔立ちや均整のとれた長身も。
 元々目立つ人だとは思っていたが、こんなに格好良いと思ったのは初めてのことで、
 彼への気持ちを自覚する前の自分は一体何を見てきたのかと一瞬考えたほどだ。
 「…や、やあハルヒ。どうしたんだ、今日は早いな」
 ハルヒの姿を確認した環は、嬉しそうに近付いてきた。
 距離が縮まる度に、緊張が高まる。
 「…あの、環先輩!お話ししたいことが……」
 ハルヒは、準備室での一件から初めて環に声をかけた。
 「…何かな?可愛いハルヒの話だったら、お父さんは何でも嬉しいぞ!」
 久しぶりにハルヒと話が出来ることが余程嬉しいのか、彼は瞳をキラキラさせる。
 「はい、実は……」
 そこで、廊下の方から足音が聞こえてきたので、ハルヒは小声で囁いて環から離れた。
 「部活が終わったら話しますので、準備室に来てください。あ、勿論一人きりで……」


 そしてその日の部活が終わり、帰宅したふりをしてこっそり準備室で待っていると、
 しばらくして環がやって来た。
 その表情から、異様にワクワクしているらしいことが分かる。
 「さてハルヒ、お父さんに何でも話してごらん」
 ハルヒの傍まで来ると、環は上機嫌で促した。
 「…ハア。…あの、先ずはこの数日間、環先輩を避けてごめんなさい。
  それと、先輩が自分のお父さんだと言ってるのを否定した件ですが……」
 「ああ、それか。どうだ?やはり、これからも俺はハルヒのお父さんだろう?」
 そう言ってニコニコしている彼を見ていると、少し辛い。
 何しろ、これから自分はあの時以上にそれを否定するのだ。
 「それなんですけど、もう金輪際自分のことを娘だと思うのは、やめてください。
  やっぱり、どうしても先輩をお父さんとは思えないです!」
 「………はあぁっ?!!」
 一瞬にして有頂天から奈落の底に突き落とされた環は、驚愕の表情のまま硬直した。
 だが、こうなるのは想定の範囲内だ。


 更にしばらく待っていると、何とか自力で復活した彼は、ハルヒの両肩を掴んで揺さぶりだした。
 必死すぎる形相が、惚れている相手だということを念頭に置いても非常に怖い。
 「うわあぁぁっ!な…何故だ、ハルヒィィィッ!?
  何故、俺がお父さんではダメなんだァァァ?!!…ハルヒはこの前、男だからと言ったが、
  普通はお父さんは男だろう?そうだろうっ?!…それとも、なにか?実は俺以外に、
  ハルヒのお父さんになりたいという男がいるとかっ?!だ、誰だ?もしそうなら、
  俺はそいつを倒してでも、ハルヒのお父さんになるつもりだぞっっっ!!!」
 動揺している環がひととおり言い終わるのを待って、ハルヒは告げた。
 「…そんなんじゃありません。…好きだからです」
 「す、好きだとっ?いったい、誰が好きなんだ?!
  誰が相手でも、お父さんとして簡単に認めるわけには―――!!」
 恐らく彼の頭の中では今頃、大事な娘のハルヒがろくでもない恋人を家に連れてきて、
 憤慨した父親の自分が卓袱台をひっくり返す三流ホームドラマの世界が、
 渦巻いているのだろうということは容易に見てとれる。
 「あのー、いい加減に落ち着いてください」
 「こ、これが落ち着いていられるかっ!!!」
 ―――ああ、うざい。好きだということは置いといて、本当にこの人のこういう所って、
 一生このままなのかな?
 「…とにかく、環先輩はだまって聞いててください!」
 流石にこのままでは埒があかないと思い、以前彼に怖がられた般若の表情でピシャリと言う。
 すると、漸く彼は静かになった。


 ハルヒは、軽く深呼吸した後で告げる。
 「…自分は、環先輩のことが好きなんです。だから、お父さんと娘じゃなくて、
  その…出来れば、女の子として好きになってほしいんです」
 ……ああ、やっと言えたと思い、ハルヒは胸を撫で下ろした。
 恐る恐る環を見れば、彼は何も言わずに口を半開きにしてただこちらを見ている。
 「…あ、別に直ぐに返事をしてくれなくて、いいですよ。先輩の答えがどんな形でも、
  ずっと待ってますから」
 「………」
 「もし、いつか先輩が自分を好きになってくれたら、その時は改めてキスしてください。
 この前された時は突き放してしまったけど、その時が来たら、
 自分は先輩のことを全て受け入れるつもりですから……」
 「………」
 余程びっくりしているのか、始終環は無言のままだった。
 でも、彼に自分の気持ちを告白したことで胸のつかえが取れたハルヒは、
 また明日学校で会いましょうと告げると、清々しい気持ちで準備室を後にした―――。




 ハルヒが帰ってから、約一時間後―――。
 部室に残ってデータの打ち込みをしていた鏡夜は、ひととおり作業を終えて廊下に出た。
 ふと見ると、隣の準備室の明かりが点いている。
 「誰かが消し忘れたのか?……全く、しょうがないな」
 溜息混じりにドアを開けると、部屋の中央に大分前に帰宅したはずの環が立っていた。
 「オイ、環。そんなところで何をしている?帰らないのか?」
 「………」
 声をかけても全く反応がないので後ろから肩を叩くと、そのまま彼はこちら側に倒れてくる。
 咄嗟に受け止めて顔を覗き込むと、……環は、目を開けたまま気絶していた。


 携帯で橘を呼び出して、動かない環を車まで運び、自分の隣の席に座らせて鳳家に向かう。
 準備室で立ったまま気絶していたからには何かしらの事情があるのかと思い、
 須王の第二邸ではなく、あえて自分の家にした。


 「…そろそろ起きろ、環!」
 鏡夜の部屋のソファーに横たわったままいっこうに目を覚まさない環に、
 いい加減痺れを切らして蹴りを入れると、漸く彼は覚醒した。
 「…あれ?準備室に居たはずなのだが、ここは……?」
 「俺の部屋だが。…何だって、あんな所で気絶していたんだ?」
 突然、環は弾かれたように起きあがり、酷く狼狽して支離滅裂に捲したて始めた。
 「…聞いてくれ、お母さん!!ハルヒが、俺をお父さんじゃないと言うんだよおぉぉぅ!!
  俺は男だからちゅーしたらダメで、でも光と馨は良くって、ハルヒが怒って俺を避けていて、
  だけど話があるからって呼ばれてみれば、やっぱりお父さんじゃない、金輪際やめろって、
  ハルヒが、手塩にかけて育てたハルヒが金髪で長髪の無職の男と結婚したいから認めてって、
  嫌だぁぁ!そいつ、鼻と耳のピアスが鎖で繋がってたから卓袱台ひっくり返して反対したら、
  ハルヒがハンニャになって、こ、怖かったよぉぉぅ!!それで、ハルヒが娘じゃなくて、
  女の子として好きならちゅーしていいから待ってるqあdgjせk@ふじこ……」


 話の途中でどうも違う話が入っている気がしたが、何とかだいたいのことを理解した。
 環が落ち着いてくるのを待って、その間に考えを纏める。
 やがて頃合いを見計らって、鏡夜は彼に話しかけた。
 「…つまり、こういう事か?ハルヒとの喧嘩の原因は、おまえのくだらん家族ごっこで、
  父の立場を主張するおまえに対して、ハルヒは男としておまえが好きだと気付いたから、
  もうお父さんでも娘でもないと言ってきた、と」
 「そう、そうだとも。流石は鏡夜だな!」
 ―――……バカにしているのか、ちっとも嬉しくない。
 自分を褒め称える環を横目で睨みつつ、鏡夜は話を続ける。
 「それで、おまえはどうなんだ?」
 「………どうって?」 
 苛立ちを堪えつつ、環への質問を続けていく。
 いつも近くで彼を見てきた鏡夜からすれば、環がハルヒをどう思っているかなんて、
 分かり切ったことだ。
 鈍感すぎる二人を見ていると、正直歯痒くてしかたがない。
 やっとハルヒが自覚したかと思えば、親友のほうは相変わらずで、
 こちらが助け船を出しても、この有様とはどういうことだ。
 ―――くそっ!上手くいったあかつきには、しばらく環をこき使ってやる……!


 「おまえはハルヒをどう思っているのかと聞いている。好きなのか嫌いなのか、
  はっきりしないおまえが悪い!」
 「俺がハルヒを嫌いなわけがないだろう?寧ろ好きだ、大好きだ!可愛いと思うあまり、
  ハルヒが出てくる夢を見た後で夢精していたり、妄想が膨らみすぎて、
  ハルヒをネタにして何度も自慰に耽った後、
  お父さんなのに娘をネタにするなんて、俺は変態なのかと……」
 「…何でおまえの下半身事情を聞かなければならないんだ。だいたい、そんなに好きなら、
  さっさとハルヒに言えばいいだろう?」
 それに対して、環は大げさに溜息をつく。
 「でも、お父さんが娘と付き合ってもいいのか?あの時薄れゆく意識の中で、ハルヒが、
  俺がハルヒを好きになったら俺の全てを受け入れたいとか言うのを聞いたんだが……」
 そこで、環は頭を抱えた。苦悶の表情を浮かべている。
 「それに、何か不都合でも?」
 「俺が以前読んだ小説では、そう言うのは相手に…
  だ、抱かれてもいいという意味だと書いてあったのだが……!
  近親相姦じゃないのか、俺とハルヒがするというのはっ!!?
  いくらなんでも人の道に外れた事は、どうかと思うんだが!!」
 真面目に葛藤する環の姿に堪えきれなくなった鏡夜は、盛大に吹き出した。
 一度決壊した笑いのツボはなかなか治まらず、しばらく笑いが止まらなかった。


 それでも何とか自制心を働かせ、肩を震わせつつ話す。
 「前からバカだバカだと思っていたが、まさかこれ程だったとは……」
 「ひ、人が真剣に悩んでいるのに、酷いだろうっ?!!」
 「血が繋がっているわけでもないのに、何が近親相姦だ。それに、おまえはまさか、
  一生ハルヒ相手に父だの娘だのと言って過ごすつもりか?」
 「た、確かに血の繋がりはないが。…いけないのか?」
 本当に、どうしてこの友は自分自身の事だとこれ程までに鈍感なのか。
 鼻先だけで小さく嗤った鏡夜は、あえて彼に意地悪を言いたくなった。
 「…おまえがどう過ごすかは自由だが、娘というのはいつか父の元を離れていくものだ。
  いつかハルヒが他の男と結婚しても、お父さんでいる限りは祝福しなければならないんだ。
  例えばそうだな…俺がハルヒの相手だとしたら、許せるか?」
 「ダ、ダメだ!ハルヒが鏡夜となんて、父として許すものか!
  …勿論、他の男もイカン!可愛い娘を手放すなんて、考えられん!!」」
 この期に及んで父親気取りのくせに、この独占欲の強さはどうだ。
 なまじ環の表情が真剣なだけに、非常に滑稽に映る。
 「嫌なら、お父さんをやめるしか手はないな。…この際はっきり言わせてもらうが、
  傍から見ればおまえがハルヒを好きで堪らないのは丸わかりだ」
 「そりゃ、可愛い娘だし……」
 「違う!自分の感情に疎いおまえが、勝手に家族愛だと勘違いしているだけだ。
  いい加減、自覚したらどうだ?…まさか、誰かに遠慮したり、何らかの理由があって、
  恋をしてはいけないと自分を戒めているわけでもないだろう?!」


「……鏡夜」
 しばらくの沈黙の後、顔を上げた環は、おもむろに鏡夜の両腕を強く握ってきた。
 彼の双眸は、涙で潤んでいる。
 「…ありがとう、鏡夜!ありがとう、我が友よ!!おかげで、やっと目が覚めたぞ!!
  そうとも、俺はハルヒが大好きだ!!これが、恋だったのかっ!!
  今日を限りに、俺はお父さんをやめるぞ、鏡夜ァァァァァァァァッ!!!」
 「…そ、そうか。それは良かったな……」
 環の友人になって二年以上経つが、このテンションの高さと切り替えの早さには、
 今でも時々付いていけないことがある。
 …ともあれ、やっと彼が自覚出来たのは良いことだ。
 根気よく説き伏せた甲斐があったというものである。
 苦労した腹癒せに一発ぐらい殴ってやろうかとも思ったが、
 幸せそうな彼に水を差すのもどうかと、思いとどまった。


 「何度も言うが、本当にありがとう鏡夜!おまえは最高の友だ!!」
 「勘違いするな、おまえの為じゃない。
  ただ、日頃からおまえとハルヒの自覚のなさを見て苛立っていたから、助け舟を出してやっただけだ!」
 その日何度目になるか分からない感謝の言葉を軽く受け流し、
 鏡夜は、帰り際の環に小さな箱を投げ渡した。
 「…ああ、そうだ。ハルヒと上手くいったら、こういう物も必要になるだろう。
  俺からの餞別だ、持って行け」
 それを確認した環は、俄に慌てふためく。
 「きょ、鏡夜!こ、これ、コココココ、コ……!!」
 「いらないのか?」
 「い、いや、貰っておこう!」
 送迎の車の準備が出来るまで、環は赤面しながらもそのパッケージを見ていたが、
 突然それを突っ返し、真顔で言った。
 「これ、もう少し大きいサイズと換えてくれないか?これだと多分小さい……」
 「知るか、バカ!自分で買えっっ!!!」
 今度こそ、我慢せずに鏡夜は環を張り倒した―――。


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