バーナビーの取り付く島もない態度に、ようやく虎徹が反応したのは、あの夜から数えて十日ほどたってからだった。
「俺、バニーちゃんに何かしたか?」
等と言い出しした虎徹に、バーナビーは正直、何を今更という気持ちになってしまう。虎徹の台詞は明らかにタイミングを外していた。
これがあと五日ほども早かったら、バーナビーの反応もまた違っただろう。
だが、今はもう遅すぎた。
あの夜のことを今更バーナビーは口には出来なかったし、未だにちっとも整理がついていない自分の内面を彼に悟られるのも嫌だった。
「おじさんは、僕に、何かしたと思ってるんですか。心当たりでも?」
冷たく問い返せば、虎徹は困った顔をする。
虎徹の表情は読みやすいので、彼が相変わらずちっともわかっていないことは明白だった。
「心当たりもないのに、適当なことを言わないでください」
視線を逸らし、バーナビーは突き放すように言うと、目の前のディスプレイに視線を戻した。ディスプレイには、ヒーロースーツの詳細についての資料が映し出されていた。斉藤から送られてきたもので、新しくつけたされた機能について読んでおくように言われていた。
ちなみに同じものが虎徹にも送られているはずだったが、虎徹がそれに目を通した気配はなかった。
虎徹の視線を感じた。これほどじっと見られることは、あまりない。虎徹は少し移り気なところがあるので、いつだって彼の視線は色んなものに向けられることが多かった。
意地になって前のディスプレイを睨んでいると、虎徹が溜息を吐く音が聞こえた。
「……だって、バニーちゃん、最近ずっと機嫌悪ぃだろ」
それには気づいていたのか、と思うバーナビーである。虎徹のことだから、それにすら気づいていないのかと思っていた。
暫く黙ってから、虎徹が言った。
「そうやって黙られても、オジサンには何が原因なのか、わかんねぇんだよ」
いつもの煩いだけの声ではなく、もっと落ち着いた疲れの滲んだ声だった。
だからバーナビーは、虎徹を見ないではいられなかった。琥珀色の目が、バーナビーをじっと映していた。
時折こうやって、虎徹は歳相応の大人の顔をする。それがバーナビーは苦手だった。
バーナビーは語調を弱めて言った。
「……してませんよ、あなたは何も」
むしろしたのは、自分のほうだろう。
酒に酔った彼を押し倒して、犯したのだ。本来ならば怒るのは虎徹のほうであって、バーナビーが怒るのはお門違いだった。
それくらいは、自覚していた。
虎徹の無反応が許せないと思うのは、単なるバーナビーのわがままなのだ。
虎徹は何も言わない。
ただ静かに、バーナビーを見るだけだ。
もし、虎徹に聞けるものなら、とバーナビーは内心歯噛みした。どうしてそんなふうに平然としているのか、バーナビーに接することが出来るのか、どうしてバーナビーを心配するのか。
聞けるものなら、いろんなことが変わる気がした。
けれどもやはりバーナビーには、そうすることは出来ないのだった。
バーナビーの言葉を信じたのか信じていないのか、虎徹は、そっかと頷いた。
子どもの駄々を聞き流す大人のような顔だ、と思う。
「なんか最近お前、調子悪いからさ」
心配になっちゃって、と虎徹は言い首を傾げる。
「……大丈夫か?」
手を差し伸べられているのだ、と錯覚しそうになる。その手に縋って、何もかもを預けたくなる。彼と一緒にいれば大丈夫なのだと思わせられる。
虎徹はそういう男だった。
バーナビーは視線を逸らして、頷いた。
「大丈夫です」
そうか、と虎徹が頷いた。
虎徹の視線が外れるのを感じた。
あっさりとした引き際だった。
ともすれば傍若無人に見える虎徹だが、線引きは驚くほどはっきりしている。バーナビーが本当に触れられたくないことには虎徹は決して触れないし、尋ねもしない。
自分と他人の境界線を、彼はきっちりと守っている。
−−要するに相手は、自分よりもはるかに大人なのだ、とバーナビーは思い何とも言えない悔しさを味わった。
確かに虎徹はバーナビーよりも遥かに年上で、大人なのかもしれない。
だがしかし同時に彼はどうしようもない大人でもある。
「酒飲みいくけど、バニーちゃんも来るか?」
という虎徹の誘いに今回もつい頷いてしまった理由など、前回と同じくバーナビー自身説明できない。
飲み会に参加したのは、総勢五名。
虎徹とバーナビー、それにアントニオ、ネイサン、キース。要するにヒーロー成人組全員である。
虎徹とアントニオが行きつけだという居酒屋に連れて行かれた。個室は、男五人がゆったり座れるだけの広さが十分にあった。
ずらりと並んだ酒のリストは圧巻で、だからここによく通っているのだとアントニオが言った。
最初はよかった。いつものわいわいとしたノリで、各自好きな酒や料理を頼んで飲み食いした。バーナビーは自分から話すことはなかったが、話しかけられれば普通に受け答えしたし、他のヒーローたちとの会話はそれなりに楽しかった。
だがしかし、飲み会が始まって二時間もたつと虎徹の様子がおかしくなった。
目がとろんとして、呂律が回らず、突拍子もないことを言い出す。誰がどう見ても酔っ払いの完成だったが、虎徹だけがそれを認めなかった。
「んもう、あんたはちょっと休んで水でも飲みなさい!」
ネイサンが冷水を頼んで虎徹に飲ませようとするのだが、彼は頑としてそれを受け取らず、ひたすら酒に手を伸ばした。
酔っ払った虎徹は、いつも以上に陽気だった。
日頃は、騒がしく人懐っこいと言っても他人との距離はしっかり守る虎徹である。だがしかし酒が入った途端、そういったものはすっかりと吹き飛ぶらしかった。
近くにいる人間に、誰彼かまわずくっつく。腕に触れ、肩を抱き、笑顔を振りまく。
バーナビーは自分の機嫌がどんどん下降していくのを感じた。
−−要するに、このオジサンは信じられないほど酒癖が悪いのだ。
酒に弱いわけではないのだろう。飲んでいる量からして、かなり強いほうだと思う。だがしかし、その量が半端ない。
その歳でいまだに自分の限界を理解していないんですか、あなたは。と怒鳴りたいのをぐっと堪える。
その間にも虎徹は、べたべたとキースに絡んでいる。
周囲も周囲で、そんな中年がくっついてくるのなんか振り払えばいいのに誰もそうしない。むしろにこにこして、虎徹の好きにさせている。
要するに彼らにとってこれは「いつものこと」なのだろう。
胃がむかむかするのは、別に酔っ払ったせいではない。バーナビーのほうは前回のことがあっただけに、今回はかなりセーブしながら飲んでいたためほとんど酔っていなかった。
これほどむかむかするのは、目の前のオジサンのせいである。
何を考えているのかと思った。
いい歳した大人の男が、同じ男にべたべたとくっついて何が楽しいのか。相手が女ならともかく、柔らかくもないし、いい匂いもしない男である。ふざけるな、と言いたい。
「な〜、それ何飲んでんだ?」
虎徹がおぼつかない口調で、キースが飲んでいるグラスに興味を示す。透明な酒だ。
「ジンだよ」
度数の高いアルコールの名前を告げて、キースはにこりと笑う。
「うまいのか?」
頷いて、キースはにこりと笑う。爽やかそのものの笑みである。けれども爽やか過ぎてバーナビーにはどうにも居心地が悪い。
「ワイルド君も飲んでみるかい?」
飲む、と言って虎徹は、躊躇いなくキースが持っているグラスを手に取った。
「新しいのを注文するよ?」
「これでいー」
構わずグラスに口をつけようとした虎徹を見た瞬間、 バーナビーは持っていたグラスをばんっと机に叩きつけていた。
突然の音に、虎徹以外の三人が驚いた顔でこちらを見ていたが、今はどうでもよかった。
無言のまますっくと立ち上がると、バーナビーは虎徹のところへ歩いていった。
その腕を取る。
「先輩、帰りますよ」
無表情にそう言うと、虎徹は首を振る。
「やだ」
何歳だ、とつっこみたい。
「やだじゃありません」
「帰るなら、バニーちゃんひとりで帰ればいーだろ。俺はまだのむのー」
言いながら手にもったグラスからジンを飲もうとするので、それを取り上げる。
「あ、かえせよ!」
「駄目です」
「俺のさけっ!」
「違うでしょ」
グラスを元の持ち主に返して、バーナビーは言った。
「これ以上この人に飲ませないでください。潰れたら困ります」
キースは手の中に戻されたグラスとバーナビーの顔を見比べている。
その間に新しいグラスを手に取ろうとしている虎徹から、バーナビーはそれを遠ざけた。
「駄目です」
途端に虎徹の顔がひどく悲しげに歪み、バーナビーは一瞬固まったが、何とか耐えた。
ようやく周囲から横槍が入る。
「なあ、バーナビー。そいつのことなら、置いていっていいぞ。いつものことだからな」
アントニオである。いつものこと、という台詞にバーナビーはいらっとする。
「そうよ〜、そいつの面倒なんかあなたがみなくてもいいのよ、ハンサム。放っておいても平気なんだから」
というネイサンが、虎徹をそのあたりに放り出すとは考えられない。何だかんだいって、この男もまた世話焼きなのだ。
「一応これでも僕のパートナーですから」
「だが、そいつを運ぶのは大変だろう?」
アントニオならば、能力を使わずとも虎徹の体を運ぶことができるのだろうな、とふと思った。
思った途端、虎徹の腕を掴む手に力が入る。
「大丈夫です、ご心配なく」
ぐいと強引に立たせる。……最悪、能力を使ってでも、連れ帰る気満々だった。
「ほら、行きますよ、先輩」
「う〜……おれのさけ〜……」
「さっさと歩いて」
失礼します、と三人に軽く会釈をして、バーナビーは虎徹を外へ連れ出した。
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