結局指輪は見つからないまま、一週間がすぎた。それだけでも憂鬱になるには十分すぎるというのに、バーナビーとの関係も相変わらずぎくしゃくしたままで、気分はへこむ一方だった。
虎徹が話しかけてもバーナビーからかえってくるのはそっけない返事ばかり。出会ったばかりの頃を彷彿とさせる、バーナビーのけんもほろろな対応は虎徹を傷つけはしなかったが、滅入らせるのには十分だった。
これがもう少し元気なときであったのならば、虎徹は粘っただろう。バーナビーとの関係を、どうにかしようと働きかけたに違いない。
そしてバーナビーの態度も、もう少しは寛容に受け入れられたに違いなかった。
だが今の精神状態では、大目に見るのも限界があった。
失くした結婚指輪に、機嫌がよくない相棒。
放り出したくなるのを、虎徹は我慢した。虎徹がもしバーナビーと同年代であれば、そうしていたかもしれない。
いつものようにPDAに緊急の呼び出しが入り、会社にいた虎徹とバーナビーはすぐにヒーロースーツに着替えて出動した。
バーナビーとの関係は相変わらず冷えたものだったが、いざ仕事になると二人の息はぴたりとあった。
犯人確保こそブルーローズに奪われたが、互いに救助ポイントをとることができた。
事件が終わった後に表示されたランキングを見て、虎徹はバーナビーがKOHまで後一歩というところまできていることを知った。
バーナビーとは特に会話もないまま会社に戻り、スーツを脱ぐ。更衣室でシャワーを浴び、虎徹は濡れた髪を拭きながら、黙々と着替えているバーナビーの背中を眺めた。
綺麗に鍛えられた背中である。バーナビーが腕を動かすたびに、筋肉が動くのが見えた。
相変わらずバーナビーは、虎徹のことを一瞥もしなかった。今日バーナビーの声を聞いたのだって数えるくらいだ。
内心溜息を吐く。
勝手にしろと、もうお前なんて知らないと言うことができれば簡単だった。けれどそう言い放つことができる虎徹ではなかった。
虎徹にとってバーナビーは、大事な相棒であり、かわりのいない存在だった。
だから、思う。
……こういうのは嫌だ。
こんなふうに、壁を作って、拒絶されるのに、虎徹はうんざりしていた。どうにかしなくてはならなかった。
何を怒っているのか知らないが、言葉にしてもらわないと虎徹にはわからないのだ。
先日だって、いきなり「最低」呼ばわりである。首筋に歯形をつけられていたことを、揶揄された日だ。
あれは一体何が気に入らなかったのだろう。虎徹にはさっぱりわからなかった。歯形が何だ、という話である。
そのうち態度も軟化するだろうと思っていた頃が懐かしかった。一週間たっても、その気配はまるでない。よく考えると、バーナビーはしつこい男だった。黙ったままだと、この先何ヶ月もこの態度ということも考えられる。
虎徹はベンチの上で、腰にタオルを巻いたままの格好で胡坐をかき、バーナビーに呼びかける。
「なあバニー」
バーナビーは振り返らない。
「バニー」
無言の背中に、虎徹は繰り返し呼びかける。
「バニーちゃん」
十回ほど呼んだところで、バーナビーが我慢できなくなったように勢いよくこちらを向いた。
棘のある視線で睨まれる。
「何度も呼ばなくても聞こえてます。何ですか、一体」
なら返事しろよ、と思いながら虎徹はバーナビーを見上げる。
相変わらず綺麗な顔だ、と思う。作り物めいて見えるほど。
「お前さあ、俺に何か、言いたいことがあるんじゃねぇの?」
不満があるのなら、言って欲しかった。
黙って、怒っているのだと態度でアピールされても困ってしまう。虎徹はバーナビーの心を読めるわけではないのだ。
「あるなら、言えよ。そうやって黙られても、オジサンにはわかんないよ、お前の気持ちなんて」
バーナビーは一瞬沈黙した。
緑の目に、何とも形容しがたい光が浮かんで消えた。それは苛立ちや怒り、憎しみのようなものでもあり、全く違うもののようでもあった。
虎徹が掴む前に、バーナビーがゆっくり言った。
「……言いたいことなんて、何もない」
言葉とは裏腹に、辛そうで苦しそうな声だった。
虎徹は意表をつかれて、バーナビーを見た。彼が何かに苦しんでいるのだということに、虎徹は初めて気がついた。
バーナビーは虎徹から目を逸らし、ロッカーを閉めて更衣室を出て行った。
引き止めることも忘れて、虎徹はそれを見送った。
扉が閉じ、バーナビーの背中が見えなくなり、虎徹は更衣室に一人残される。
虎徹は深い溜息を落とすと、そのままばたりとベンチに横たわった。
「逃げられた……」
濡れた髪がすっかり冷たくなっていた。
驚いた顔をしていた、と思った。虎徹がバーナビーから何を読み取ったのかはわからなかった。虎徹が何を考えているのか、本当のところはバーナビーにもよくわからないのだった。
バーナビーは、早足になりそうになるのを堪えて、廊下を規則正しい歩調で歩いた。そうすることで、身のうちに湧き上がる感情を、平静に戻そうと努力した。
言いたいことなんて。
そんなもの沢山あるに決まっている。
今すぐにでも、言葉はいくつも思い浮かんだ。
あの日、誰と寝たのか。相手は男だったのか女だったのか。その人と今もつきあっているのか。それとも一夜限りの相手だったのか――言いたくて言えない言葉で、息がつまりそうだった。
虎徹は簡単に「言え」とバーナビーに迫ったが、言えるはずがなかった。
バーナビーは唇を歪めるようにして、自嘲した。
自分には、その資格がない。もちろん虎徹と寝ていたあの頃ですら、バーナビーに資格があったことなど一度もなかった。
バーナビーは虎徹の相棒に過ぎなかった。なのにどうして、こんなふうに責めるようなことを虎徹に聞けるだろうか。
虎徹が誰と寝ようが、誰とつきあおうが虎徹の自由なのだ。
この一週間というもの、バーナビーは半ば呪文のように、自分にそう言い聞かせていた。そうしなくては、
虎徹を問い詰めてしまいそうだったからだ。
虎徹はバーナビーがどんな気持ちでいるのか、まるでわかっていないのだ。
聞きたいことなら他にもたくさんあった。
虎徹の左薬指。男らしく骨ばったあの手に、いつも嵌っていた指輪がなくなっていた。
一体どこにやってしまったのだろう。虎徹がそれをひどく大事にしていたことを、バーナビーはよく知っている。
なくしたのか、修理にでもだしたのか、それとも指輪をはずそうと思えるような、心境の変化があったのか。
最後の想像は、バーナビーをぞっとさせた。
虎徹は、新しい誰かを見つけたのかもしれない。その誰かのために、指輪を外したのかもしれない。
指輪、どうしたんですか、と聞くのは簡単だった。
それを口に出来なかったのは、新しい恋人の存在を虎徹から告白されることが怖かったからだ。相棒として、祝福しなくてはならない。虎徹はまだ若く、残りの人生を一人で生きていく必要はどこにもない。おめでとうと言うべきなのだ、と考えてすぐにバーナビーはそれを否定した。
そんなことが、できるはずがない。
虎徹とまともに口をきかなくなって一週間。
バーナビーにとっては、つらくて苦しい一週間だった。その結果、バーナビーはとうとう認めるしかないところまで追い詰められていた。
――相棒として隣にいられたらそれでいい、なんて大嘘だ。
バーナビーは自分の欺瞞を、はっきりと突きつけられているのだった。誰かに虎徹をとられることを思うと、怒りでどうにかなりそうになる。そんなことを認めるわけにはいかないと、今にも叫びだしそうな自分がいる。
虎徹の隣に、プライベートだろうが何だろうが自分以外の人間が立つのは許せなかった。
バーナビーは、唐突に立ち止まると、ゆるゆると息を吐き出した。思考はいつもここに行き着くのだった。
……けれども、それを口に出してどうなる?
虎徹はきっと困るだろう。困惑した顔で、首を傾げる。それだけならいいかもしれないが、バーナビーを面倒に思うかもしれない。
虎徹に、疎まれたくなかった。ほんの僅かでも失望されることには耐えられなかった。
虎徹がそんな人間ではないとわかっているのに、虎徹が離れていくかもしれないと思うと、怖くてたまらない。
一年前、どうやって虎徹を抱いていたのかバーナビーには思い出すことができなかった。少なくともあの時のバーナビーは、虎徹に嫌われるかもしれないなんて思ったことはなかった。
このままでいいわけがなかったが、バーナビーにはもうどうしたらいいのかよくわからなくなっていた。
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