食事を取った後、家に帰るという虎徹に薬を飲ませ、暫くバーナビーの家で暮らすことを了承させる。もちろん虎徹は渋ったが、男を捜してやることと交換条件だと言えば、大人しくなった。
「傷口、濡らさないでくださいね」
 虎徹の腕の傷は、数針縫う程度の怪我で、虎徹にしてみればたいした怪我ではないということになるが、バーナビーから見ればとてもそうは思えなかった。
 水が入り込まないように上からシートを被せると、虎徹は嫌な顔をする。
「バニーちゃん、オジサン湯船に入りたいんだけど」
「ダメに決まってるでしょう」
「この手じゃ体とか洗いにくいし……」
 往生際の悪い虎徹に、バーナビーはにっこり微笑みかける。
「だったら僕が、洗ってあげましょうか?」
「自分でアライマス……」
 虎徹をバスルームに送り出してから、バーナビーは客室へ向かった。
 以前泊まるときは、バーナビーのベッドで一緒に眠った。客室のベッドを使わせたことは一度もない。胸の奥がちくりと痛み、けれどもバーナビーはそれに気づかないふりをした。
 シーツを新しいものにかえて、手早くベッドメイキングを済ませる。
 リビングに戻り、パソコンを立ち上げた。虎徹の言う男を本格的に探し出すのは明日になるだろうが、今日聞いた情報だけでも入力しておく。
 虎徹がその男について覚えていることは、それほど多くなかった。
 金髪で、緑の目で、白人であったこと。背は高く、年齢は虎徹よりも少し若いくらいであること。名前は聞かなかった、と言っていた。他に特徴は、と聞くと、いい声してた、となどと暢気に言った。
 他に特徴はないのかと問うたが、よく思い出せないようだった。
 そんな印象にも残らない相手とほいほい寝たのかと、途中で何度かぶち切れそうになったバーナビーだったが、何とか我慢した。
 あの買い物のとき、虎徹は道路の向かい側にその男らしき人物を見つけたらしい。つまりその男は確実に、シュテルンビルトの住人である、ということだ。しかも話からして、ある程度金銭的に余裕のある人物のようだ。
 探し出すのは、それほど難しいことではないように思えた。
 足音がして、虎徹がバスルームから戻ってきたことに気がつく。
 振り返ると、Tシャツと短パンという服装になった虎徹がいた。髪は濡れたままで、肩を濡らしている。
「髪、乾かしてこなかったんですか」
 バスルームにはドライヤーも置いてある。
「そのうち乾くだろ」
「風邪ひきますよ」
 咎めるように言ったバーナビーを無視して、虎徹は腕のシートをはがし始める。包帯まで一緒にとってしまいそうな勢いに、バーナビーは見ていられなくなって手を出した。
「僕がします。虎徹さんは、そこに座って」
 椅子に座らせて、バーナビーは虎徹の腕からシートを丁寧にはがした。包帯を確認したが、濡れてはいないようだった。
「痛みませんか」
 問うと、虎徹は「全然」と軽く言う。嘘か本当かはよくわからない。全く嘘が吐けない様に見える虎徹だが、時々ひどく自然にバーナビーを騙すからだ。
 虎徹の手からタオルを取り上げ、ついでに濡れた髪も拭いてやる。
「いいよ、自分でやる」
「怪我人は大人しくしておいてください」
 聞く気はないのだときっぱり言えば、虎徹は小さな溜息を落とす。
 タオルドライしたあとは、ドライヤーを持ってきて乾かしてやる。虎徹の髪は、しっかりとこしがあって硬い。
 艶が出るまでしっかり乾かして、ドライヤーを止めたときには、虎徹は大人しくなっていた。
「眠いならベッドへどうぞ。用意してます」
 半ば眠りかけている虎徹に、優しく声をかける。
「ん……ねむい……」
 素直に言った虎徹が、のろのろと椅子から立ち上がった。怪しい足取りで歩き出した虎徹に、こけやしないかとはらはらする。
「客室わかります?」
「……どっち?」
「こっちです」
 立ち上がって、虎徹を案内する。虎徹を客室へ通すのは、これが初めてだった。
 ベッドを見つけた虎徹は真っ直ぐに向かうと、横になった。よほど眠かったのだろう。毛布を被り、あっという間に寝てしまう。
 バーナビーはベッドに近寄ると、虎徹の肩に布団をかけなおした。
「おやすみなさい、虎徹さん」
 返事はない。それでも満足して、バーナビーは部屋の明かりを消すと外に出た。


 夜中にふっと目を覚ます。
 もともとバーナビーは眠りが浅い。一晩で二、三度目が覚めることもある。
 ああまたか、と思うのと同時に、バーナビーは何か温かなものが腕の中にあることに気がつく。どこか懐かしく、安心できる温もりだった。無意識にそれを引き寄せ、頬を寄せる。
 気持ちがよかった。
 何だろう、と思った。
 バーナビーうっすらと目を開く。そして見えたものに、思わず声を上げそうになった。
「!?」
 ――虎徹だった。
 バーナビーの腕の中で、横向きになって、軽く体を丸めるようにして眠っている。
 どうしてここに、と思う。
 一瞬、自分が虎徹のベッドへ移動したのかと思ったが、そうではないことはすぐにわかった。周囲の様子からして、ここはバーナビーのベッドルームである。
 ということは、虎徹がこちらのベッドにもぐりこんできたということになる。
「こてつ、さん?」
 小さな声で呼びかけても、目が覚める気配はない。すやすやと虎徹の寝息が、聞こえるばかりだ。
 少しずつ、思考が動き始める。
 ……夜中に、トイレか何かで目を覚ましたのかもしれない。そして間違って、バーナビーのベッドにもぐりこんできた。それが考えられる可能性の中では一番高かった。
 いつもバーナビーのベッドか、または床での雑魚寝ばかりだったから、虎徹が戻る場所を勘違いするのも無理はなかった。
 平和な寝顔を眺め、バーナビーは気が抜けるのを感じる。
 ――こちらの気も知らないで、と思う。
 至近距離で、虎徹の顔を眺めるのも随分久しぶりだった。虎徹の実年齢は知っているが、とてもそうは見えない幼い顔だ。顎鬚を剃れば、もっと若く見えるに違いなかった。アジア系特有のすべすべとした肌、軽く開いた口元。
 口づけたくなる衝動を、バーナビーはぐっと堪えた。
 虎徹を起こして客室に戻すか、またはバーナビーが客室へ移動したほうがいいことはわかっていたが、そうする気にはなれなかった。
 寒かったのか、バーナビーのほうに擦り寄ってくる。
 ――自分のせいではない。
 開き直った気持ちで、そう思う。
 バーナビーは虎徹の体を、起こさないように慎重に自分の方に引き寄せた。久しぶりに密着する虎徹の体は、相変わらず体温が高い。
 明日虎徹は、どんな反応をするのだろう、と思った。何にしても、この状況はバーナビーのせいではない。言い訳をすることは、簡単だった。
 目を閉じると、あっという間に眠気はやってきた。



[HOME][15←BACK][NEXT→17]