『Bonjour、ヒーロー。今日も張り切っていくわよ』
 アニエスの声が、回線を通して虎徹の耳に届く。艶っぽい、女を前面に押し出したような声なのに、まるでそそられないのは彼女の性格を知っているからだろう。視聴率至上の女は、今日もいつも通りパワフルだ。
 全身をヒーロースーツに包み、バイクのサイドカーに乗り込む。その間に、アニエスから犯人の情報が次々に送り込まれてくる。
『今日の犯人は、銀行強盗三人。現在犯人達はゴールドステージからシルバーステージへ移動して、メダイユ地区の高速道路を逃走中。今、犯人達のポイントを送るわ』
 送られてきたデータを見て、最短の道を選ぶのは運転をするバーナビーの役目だ。
 虎徹はじっと座って、犯人が見えるのを待つ。
 馴染みの緊張感と、高揚感に肌がぴりぴりする。もちろん動き出せば、そういったものもすぐに忘れてしまう。
 犯人の車が視界に捕らえられるようになると、バーナビーがバイクの速度を上げた。頭上には既にヒーローTVのヘリが飛んでいるのが見える。こちらには届かないが、マリオが調子よく実況をしているに違いなかった。
 周囲に他のヒーローの姿はまだ見えない。どうやら二人が一番のりのようだった。
 以前であれば、すぐに能力を発動させ犯人を追いかけたところだ。五分間あれば、強引にでも犯人を取り押さえることはできる。けれども今はもう、そんなことはできない。
 能力を発動させるタイミングを見誤れば、虎徹はバーナビーの足手まといになる。だからじっと我慢して、状況を見極める。
 ――面倒だ、と思うし、不便だと思う。もどかしさを感じることもあるが、それでも何も出来ないよりも遥かにマシだ。
 バーナビーのバイクが、犯人のすぐ側まで迫る。
『いきますよ、虎徹さん』
 回線を通じて聞こえるバーナビーのいつもの台詞に、虎徹はおうと応えた。


 バーのドアを開けると、カウンター席で既に酒を飲み始めている友人達が見えた。目立つ二人なので、背中だけでもすぐにわかる。
「悪ぃ、遅くなった」
 言いながら、ネイサンの隣に座る。バーテンに焼酎の水割りをひとつ注文した。
「仕事が終わらなかったのか?」
 問うてくるのは、アントニオだ。今日は久しぶりに三人で飲む約束をしていた。
「いや、渋滞に巻き込まれて」
「車できたのか?」
「まさか。タクシーだよ」
「そんなに急がなくてもよかったのに」
 ネイサンから呆れたように言われ、虎徹は苦笑する。
「お前らと飲むのも久しぶりだからな。急いできたんだろうが」
 昔は月に数度は必ず三人で飲んだものだったが、虎徹がヒーローに復帰してからは、初めてのことだ。互いに忙しかったせいもある。
 注文した焼酎の水割りが、虎徹の前にすっと差し出される。それを受け取って持ち上げ、二人のグラスを軽くあわせれば涼しげな音が小さく鳴った。
「お疲れ」
 お互いを労った後、焼酎を一口だけ飲む。香りと味に癖がある芋焼酎は、虎徹のお気に入りだ。
「久しぶりの一部リーグは、どうだ? 勘は取り戻せたか」
 アントニオの言葉に、虎徹は胸を張って答える。
「あったり前だろ。そんなのとっくだよ」
「流石ねえ」
 ひやかすようにネイサンが言う。
「伊達に長くヒーローやってるわけじゃねぇからな」
「経歴だけは長いものね、あんた」
「だけって何だよ、だけって」
 軽口を叩きあいながら飲む酒は、一人で飲む酒よりもずっと美味しい。変わらない空気に、虎徹はほっとする。
「能力のほうはどうだ?」
「相変わらずだよ」
 減退を続けている虎徹の能力の制限時間は現在一分。ここ数ヶ月は、そこから増えることもなければ減ることもない。
「その……困ることとか、ないのか?」
 言い難そうに問うアントニオの人のよさは相変わらずで、虎徹は笑ってしまう。
「ねぇよ。心配すんな」
 虎徹の能力についての話はそこで終わり、後は互いの近況などを中心に盛り上がる。
 この一年のヒーロー達の様子は、虎徹には初耳のことばかりでいくら聞いても飽きることはなかった。イワンが相撲に凝りはじめたきっかけの話や、カリーナの新しいCDの話、新聞を騒がせたキースの恋愛話の真相など――あっという間に時間は過ぎていく。
 もちろん酒もどんどん進み、途中でアントニオが潰れ、虎徹も酔いを感じ始めた頃、ネイサンが言った。不意打ちだった。
「で、どうなってるのよ、あんたたち」
 ネイサンの顔色は特に変わっているようには見えない。三人の中で一番強いのが、この男だ。
 意味がわからないとネイサンを見れば、ネイサンは表情を変えもせずに言う。
「あんたとハンサムよ。うまくいってるの?」
 これはアントニオが潰れるのを待っていたな、と虎徹は何となく察した。アントニオの前では、したくない話だということだ。
 反対に聞き返す。
「いってないように見えるか?」
 ネイサンはじっと虎徹を見た後、頷いた。
「見てて苛々するくらい、仲良しコンビよね」
「苛々って何だよ」
「鬱陶しいってこと」
 手の中のグラスを揺らし、くいっと残っていた酒を飲み干した後、ネイサンは頬杖をついて虎徹を流し見た。
「あんたたち、昔、つきあってたでしょ」
 直球だ。
 気づかれている、とは思っていたが、明確に言葉にされるのはこれが初めてだった。呻きたくなるのを何とか堪える。
「……つきあってねぇよ」
 酔っていてよかった、と思った。素面ではとても話す気にはなれない。ネイサンもそれはわかっているのだろう。だからこその、タイミングだ。
「嘘つくんじゃないわよ。見てればわかるのよ、それくらい。ハンサム、あんたにわかりやすく夢中だったじゃないの」
 女の勘をなめないで、とまで言われてしまい、虎徹は溜息を吐く。
「夢中……なあ」
 そうだっただろうか、と思い返してみても虎徹にはよくわからなかった。一年もたつと、いろんなことが曖昧になる。
 虎徹は既に何杯目かもわからない焼酎をぐっと飲んだ。喉を落ちたアルコールが、じわりと胃を焼く。それが落ち着くのを待って、虎徹はぼそぼそと言った。
「つきあってねぇよ」
「嘘」
「確かに寝てた……けど、そういうんじゃなかったし」
 何で自分はこんな話をこいつにしているのかと思う。我に返ったら負けなのだろう。
 ネイサンの眉が寄った。
「セフレだったってこと?」
 あけすけな台詞に、虎徹は苦笑する。確かにこれは、アントニオには聞かせたくない。
「んー、……そんな、たいしたもんでもなかったなあ」
 成り行きだったのだ、と虎徹は当時のことを考える。酒を飲み、何となくそういう雰囲気になって何度か肌をあわせた。要するに、タイミングの問題だ。幸い体の相性は悪くなく、互いに満足できた、と思う。
「流れで、何度か寝ただけだし」
 けれどもそれも虎徹がヒーローを引退すると同時に自然消滅した。
 約束も言葉も、二人を繋ぐものは何一つなかったのだから当然である。一年間、虎徹はバーナビー連絡ひとつとらなかったくらいだ。
「要するに、今はそういう関係じゃないってこと?」
「ねぇよ」
 虎徹は呆れてネイサンを見る。何を期待しているのかと思う。
「こんなオジサン、相手にする理由がねぇだろ。あいつは十分もてるんだ」
 大体あの当時だって、どうしてバーナビーが虎徹に興味を示すのか不思議だったのだ。女なんて選り取りみどりだっただろうに。
 要するに、手近なところですませたかったのかもしれない。
 ネイサンは納得してない顔をする。
 黙っていると、やがてネイサンは小さく溜息を吐いて、
「……意外だったわ」
 と呟いた。



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