虎徹のヒーローとしての能力は、ハンドレットパワー−−要するに、一時間に五分間だけ身体能力を百倍にする、というものとして知られているが、実際のところこれは正確な説明ではない。テレビの視聴者向けのデータである。
 確かに虎徹の能力は、身体能力の強化であることは確かだが、それが百倍かどうかなど本人である虎徹にもわからない。大体ネクストと呼ばれる能力者のほとんどが、自らの能力をすべてを把握しているわけではないのだ。
 様々な研究機関が、ネクスト達の能力について研究しているが、それも目立った成果は得られていない。
 そしてスカイハイことキースの能力は、風を操る、ということになっている。虎徹と同じほど単純明快な能力の説明だ。
 けれども虎徹の能力と違って、キースの能力には制限時間がない。そして何より、操った風によって彼は空を飛ぶのである。
 空を飛ぶスカイハイを見上げては、実はこっそり、いいなあと思っていた虎徹である。
 我ながら、子どもじみた感想だと思うが、それが一番近いのだからしょうがない。
 空を飛べるなんて、夢がある。本で読んだヒーローは、大抵空を飛んでいたものである。
「空を飛ぶってどんなかんじだ?」
 問うと、キースは不思議そうに虎徹を見た。
 最近、虎徹はキースと会話をする機会が一気に増えた。虎徹がキースに寄っていくこともあれば、キースが寄って来ることもある。
 他愛もない会話を少しして、別れる。それだけだが、以前にはなかったことだった。
「難しい質問だね」
「そうか? よく聞かれるんじゃねえの」
「聞かれるけど、いつもうまく答えきれないんだ」
 憂鬱そうに溜息を吐くキースに、虎徹は少し笑う。
「真面目だな」
 これはもう生来の性質なのだろう。
 適当に答えることができない。そういうのも悪くない、と思う。
「興味があるのかい?」
「ある」
 正直に虎徹は頷いた。
「俺の能力でもジャンプくらいはできるけどな、一瞬だからなあ」
 高いところへ飛んだり、降りたりは出来る。けれどもやはりそれは空を飛ぶというとは根本的に違う。
 どんな気持ちだろう。
「飛んでみたい?」
「みたいな」
 じゃあ、とキースが笑う。
 いつでもどこでも同じように笑う奴だと思っていた。誰にでも平等に優しさを振りまき、公正そのものの奴だと。けれど最近虎徹は、キースの笑みの違いに気づくようになった。
 キースは虎徹に、ふわりと溶けるような笑みを向けることが多い。幸せそうな笑みだ。
 そして甘い声で言うのだ。
「今度一緒に飛ぼう。エスコートするよ」
 エスコート、という言い方がキースらしく、虎徹は思わず苦笑してから、じゃあ頼むと言って頷いた。


 キースとの約束が果たされたのは、二週間後。虎徹がすっかりその約束を忘れた頃だった。
 この歳になってからの口約束など、その程度のものである。社交辞令とは言わないが、相手が律儀に覚えているとは思っていなかった。虎徹は忘れっぽいたちなのだ。
 だがキースのほうは、どうやらしっかり覚えていて、タイミングを見計らっていたらしい。
 犯人逮捕とともに、いつものテレビ放送が終了したのがつい先刻。会社に戻った虎徹は、地面に胡坐をかいて座っていた。ビルの屋上である。見下ろす景色は、壮観だったが、虎徹の機嫌はあまりよくない。
 何しろ虎徹は今日もポイントはなしで、犯人を捕まえたのはスカイハイとアントニオだったからだ。
 あとちょっとだったんだけどな、と思う。
 あと少しで、捕まえられるはずだったのだ。
 いつになく悔しい気持ちで、虎徹はじっと眼下に広がる街を睨んでいる。
 その背中に、声をがかかる。
「こんなところで何してるんですか」
 バーナビーである。
 虎徹とともに、バーナビーにも今日はポイントがつかなかった。いつもならば不機嫌になるのはバーナビーのほうだというのに、今日は立場が逆。
 こんな日もある。
「何もしてない」
 不機嫌に答えれば、呆れたように言われる。
「何拗ねてるんですか」
「拗ねてねぇよ」
 前を向いたまま、虎徹は低い声で言い返す。
 バーナビーが溜息を吐く気配。
「子どもじゃないんですから。ほら、ここから降りますよ、オジサン」
「嫌だ」
「大体ここは立ち入り禁止のはずなんですが。どうやって入り込んだんです」
「普通にドアが開いた」
「壊れてましたよ、ドア」
「……」
 黙りこむ。
「いきますよ、オジサン」
「お前だけいけって言ってるだろ」
「こんなところを誰かに見られたら、イメージダウンです。ポイントがとれなくて、落ち込んでるなんてみっともない」
「ヒーロースーツはもう脱いでんだから、イメージもくそもあるか」
「わかる人がいるかもしれません」
 いつになくバーナビーがしつこかった。こういうときは、そうですかと言ってあっさり姿を消すだろうと思っていたから意外だった。
 頑なに前を向いたままの虎徹に、バーナビーがもう一度溜息を吐く。
「そんなにポイントとれなかったのが悔しかったんですか」
 声の調子が変わった。僅かに柔らかくなる。
「……そういうことじゃねぇよ」
 ぼそぼと虎徹は言い返し、まるで子どもだなと自分のことを考えた。
「次は、ポイントとらせてあげますから、ほら立って」
 まるで子どもを甘やかすように言い、バーナビーが虎徹の腕を掴んだときだった。
 ふいに虎徹の正面に、誰かがおりてきた。文字通り空から降りてきた彼のことを、もちろん虎徹もバーナビーも知っていた。そんな芸当ができるヒーローは
、一人しかいない。
「こんなところに座ってどうしたんだい?」
 スカイハイことキースである。
 スーツは既に脱いだ彼は、不思議そうな顔をしていた。
 突然の登場に驚いていると、バーナビーが何故か虎徹の前に立った。
「何の用ですか」
 やけに刺々しいバーナビーの態度に、虎徹は驚いてしまう。このパートナーは、虎徹以外には大きな猫を被って接することが多いからだ。
 しかもこの背中に庇われるような体勢もよくわからない。
「ワイルド君にちょっとね」
 バーナビーの横を抜けて、キースは虎徹の前に改めて立った。腰を屈めるようにして、虎徹の顔を覗き込む。
「このあとは暇かい?」
 いつぞやと反対だなと思いながら、虎徹は頷く。
「別に、何もない」
「仕事中ですよ」
 バーナビーがつっこみ、虎徹は「とっくに有給だした」と答える。
「ならいいね」
 キースの手が虎徹の手を掴んだ。
 そのまま思いがけない強さで、引っ張られ、立たせられる。
「約束だっただろう?」
 そこまで言われても虎徹は何のことやらさっぱりわからず、ぽかんとキースの顔を見上げる。
「空の散歩」
 あー、とようやく思い出す虎徹である。忘れてた、とは流石に言えず、片手で頭をかく。
「もう興味ないかい?」
「あるけど、でも俺、今能力切れてるぞ」
 何しろつい先ほどまで能力を使って犯人を追跡中だったのである。それからまだ三十分ほどしかたっていなかった。
「問題ないよ」
 そういうものか、と思う。キースが言うと、妙な説得力がある。
「バーナビー君、少し君のパートナーを借りるよ」
 キースの言葉につられて、バーナビーを振り返れば、彼は何とも奇妙な表情をしていた。
 苛立っているような、怒っているような、けれどそのどちらでもないような。
 初めて見る表情に、何か声をかけねばならない気がしたが、それより先にバーナビーが言った。
「……お好きにどうぞ」
 一歩下がる。二人から距離をとるように。
「僕には関係ありませんから」
 まるで自分に言い聞かせるように、きっぱりとそう言うとバーナビーは屋上を出ていってしまう。
 呆気にとられてそれを見送った後、虎徹は何だあれはと思う。
 バーナビーがバーナビーらしくない。あんなふうな反応をする奴ではないのに。
 眉を寄せて考え込んだ虎徹とキースの目があった。目があった途端、キースはにこりと笑う。これっぽっちの邪気も感じられない、明るい微笑だ。いかにも正義のヒーローのような。
「お前、バニーちゃんと仲悪かったのか?」
 バーナビーのあの反応の意味を考えれば、それくらいしか思いつかなかった。
「そんなつもりは、ないけれど」
 首を傾げるキースが嘘をついてる様子はない。
「バニーちゃんが俺以外の奴に、あんなにツンツンしてんの初めて見たぞ」
 虎徹の言葉に、キースが深く頷いた。
「だろうね、わかるよ」
 言葉以上の何かが隠れた声だったが、それを読み取ることは出来なかった。
 追求してみるかどうか一瞬迷ったが、やめた。これはキースとバーナビーの問題であり、虎徹が口出しすべきものではないと感じられたからだった。
「じゃあ行こうか」
 虎徹が頷くと、ふいに視界がくるりと回った。
 何が起きたのかと思ったときには、虎徹はキースに横抱きにされていた。所謂お姫様だっこである。
 文句を言うよりも早く、キースの体が空へと浮き上がる。慣れない浮遊感に慌ててキースの腕を掴む。
「おい、ちょっと待て! この体勢は何だっ」
「これが一番安全だと思って。私が君をしっかり持てるしね」
 まったく悪気のない調子でキースが言い、虎徹はいやいやと首を振る。
「ないだろ、これは! 他の持ち方だっていいだろ!?」
「でもバーナビー君も、君のこと、こうやって抱きかかえていたし」
 だから、とでも言いたそうなキースに虎徹は怒鳴る。
「あれはバニーちゃんの嫌がらせだろ!?」
「そうなのかい?」
「そうだ!」
 だから違う持ち方をしろ、と暴れればキースの手に力が篭もる。
「ああ、暴れないで。危ないから」
 ぎゅうと抱きしめられて、虎徹は暴れるのをやめた。
「君がこの抱き方が嫌なのはよくわかったけれど、今ここで変えるのは無理だ。すまないけど、我慢してくれないか」
 これがキース以外が言った台詞であれば、虎徹は決して納得しなかったに違いない。
 けれどもキースの態度は真摯そのもので、これ以上の反論するのは単なる自分の我侭なのだという気さえした。
 唸ってから、虎徹は溜息を吐く。
 どうせ下にいる人間達が気づく可能性は低い。誰に見られているわけでもないのだから、と虎徹は自分を納得させた。
「……わかった」
 せっかくの空中散歩なのだ。楽しまなければ損だった。キースの腕に掴まりながら、虎徹は周囲へと視線を向けた。
 強い風と、青い空、それに遥か下に見える玩具のような景色。
 普段ならば決して見ることの出来ない光景に、虎徹はすぐに意識を奪われた。
「気持ちいい」
 呟くような虎徹の台詞を、キースが拾い上げた。
「気に入った?」
 頷いて、虎徹はキースの顔を見上げる。
 強い風で、金色の髪が揺れている。いつもよりも青く見える目は、能力を発動しているせいもあるのだろう。
「いいな、お前の能力。すげえ」
 今まで他人の能力を羨んだことなど一度もないが、この空を飛ぶというのは思った以上に虎徹の心を魅了した。
 能力で駄目なら、スーツでどうにかして飛べないだろうか。今度斉藤さんに言ってみよう、と思った。あの斉藤ならば、どうにかやってのける気がする。
 下に広がる町並みに夢中になる虎徹の顔を、キースは暫くじっと見つめた。
「……してもいいかい?」
 キースが何か言った。それを聞き取れなかったのは、風の音が強かったせいか、それとも景色に夢中になっていたせいか。
「え?」
 何だ、と顔を上げた虎徹は、ふいに近づいてきた何かに慌てて目を閉じた。
 唇に、何かあたった。
 微かにかさついた、柔らかな感触。
 目を開くと、悪戯っぽい笑みを浮かべたキースがいて、虎徹は何度か瞬きを繰り返した。
 虎徹が言葉を失っていると、キースが言う。
「初めて見た、そういう顔」
「ど、どういう顔だよ!?」
「可愛い顔」
 は!? と虎徹が言うより早く、キースが飛行する速さをあげた。周囲の風が強くなり、虎徹は慌ててキースにしがみついた。



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