23時。
教会の入り口は既に閉ざされていて、掲げられた十字架と瞬くツリーだけが静かに佇んでいる。
向かって左側にある天窓からは、闇しか覗かない。
ひたすらな静寂の中、聖夜は過ぎてゆく。
左4番の窓。
膝元にあるそれに、指を伸ばす。
カラリ。
静かに窓が枠を滑った。
そのまま中へと、おれは脚から入り込んだ。
体勢を立て直すと、固い床にブーツが鳴った。
Gloria, in excelsis Deo.
きぃんと冷えた教会の中、パイプオルガンは唐突に、晴れやかに歌いだした。
パイプオルガンの手元だけが、小さな灯りに照らされていた。
どこかで聞いた厳かな旋律をもう一度繰り返し、最後に祈りの音が長く伸びて、それは止まる。
代わりにやってきたのは、もっともっと明るい笑い声だった。
「ビックリしただろ?」
「・・・無駄にビビらせんじゃねェよ。」
「へへ、カヤに教えてもらったんだ。なかなかやるだろ?おれも。」
そうオルガン台で笑う声は、紛れもなくおれのルームメイト。
・・・ずっと聴きたかった、弾けるような声だ。
パチン、とオルガンの手元にあるライトは消えて、青く暗い教会の中、あいつがこっちへ歩いてくる足音だけが気配を残す。
おれの佇む、中央を貫く広い通路を、すたすたと近寄ってくる。
「パーティー、楽しかったか?」
「まあ、いつもと同じ宴会だ。」
次第に声は近くなる。
「そりゃ、楽しそうだ。」
「まあ、あいつらだしな。」
おれの立っているところの2列ほど手前であいつはすいと右に折れ、すとんと長椅子に腰掛けた。
「ま、そこ座れよ。」
―促されたおれは、そのままウソップの2列後に腰を下ろした。
キイ、とかすかに木が鳴った。
夜の光がふわり当たる2列先。
あいつの丸い目がおれを見ていた。
「ごめんな、せっかく飲み食いしてたのに。」
「・・・いや。」
「チョッパーの誕生日だしな、きっと楽しかったよな。」
「ああ。」
静かに待つ。
「・・・おれは、楽しかったぜ。コンサート」
丸い目が笑う。
「そうか。」
「カヤがな、すっげぇ演奏がんばっててさ。熱無理やり下げてきたんだって。」
「へぇ。」
「やるよなあ。結構根性はあるんだな。」
「そうだな。」
「ま、好きな奴が来てたってのも、あるかも知んねェけどさ。」
「そうか。」
静かに待つ。
ただ待つ。
ウソップはくるりとおれに背を向けた。
静かに待つ。
仲間たちとの楽しい夕食と酒。ささやかなプレゼント。
そんなこいつの好きそうなものを置いて、この冷たいところにいた理由を。
「・・・ゾロ、さあ。」
「あ?」
「何にも、予定なかったのか?」
「…ああ。」
「ホントに?イヴだぜ?」
「ああ。」
「誰からも?何にも言われなかった?」
「・・・何で?」
訝ったおれに、ぐるっと半身を回らせたウソップの目が、再びぶつかる。
「・・・ホントに知らないのか?」
「何が」
「お前、メチャメチャモテるんだぜ?」
「あ?」
身を乗り出すウソップに、生憎おれは間抜けな返事しかできなかった。
何だそりゃ?
「おれが知ってるだけで20人いくぜ。お前に気ィある奴。」
「・・・よくわかんねェ。」
「本気か、オイ?」
―他にどう言えっつーんだ。
別に、好きですとも付き合ってくれとも言われてねぇぞ。
むっとしながらそう返すと、ウソップはかはーっと情けないため息をついた。
ロロノアさんが私をどう思ってるか聞いてください。
ゾロに明日の試合がんばってねって伝えて。
来週のイベント、ゾロは来ないの?
ロロノアさんとごはん、セッティングしてくれませんか?などなど、などなど。
ウソップはそれこそ矢のようにいくつも例を挙げてくれた。
こういう恥じらい気味の若人たちの声を、ウソップはひたすら優しく聞いてやって、おれにそれとなぁく示唆したり探り入れたりしてたんだそうだ。
「おまえ全然反応ねェしさ、頼んできた子たちにフォローするの大変だったんだからな!」
・・・どう言いやぁいいのか。
お疲れさん、って言ったらたぶん怒られるな。
そう色々考えてたら、またかはーってため息ついたウソップは、
「・・・たまんねェな。ホモ疑惑あってもモテるんだもんなー。」
目を剥くようなことを言いやがった。
「誰相手だよ!」
「えー、色々あるぜ?まずルフィだろ、」
「何でだよ」
「ゾロの目が妖しいんだって。」
「なんだそりゃ!」
「あとサンジだろ」
「・・・は?」
「喧嘩ばっかりしてるのに、何でやたらいっしょにいるのー、だってよ?」
「アホか!」
「それに、アラバスタ寮のスモーカーとか。」
「待て、コラ」
「睨みあってるのが、女共にゃ見つめ合ってるみたいに見えるらしいぜ?」
「・・・勘弁してくれ・・・」
「あと、おれとか。」
少し小さな声で、さらっとあいつは言った。
部屋だけじゃなく、ずっといっしょに、いるよなって、さ。「気持ち、わるい、よな。」
そういってあいつは、また背中を向けた。
ひくり、揺れたのは―あいつか、おれか。間はしばらく。
・・・おれたちに、あの夜がしっかりと戻ってきたのがわかる。
「・・・悪かったな。おれさ、あの日、スゲェ酔ってて」
「ウソップ。」
「おまえ、さ、酔ってた?珍しいよな。」
「ウソップ。」
もう一度呼んでやると、臆病なおしゃべりは止まった。
できるだけ普通の声、ってもんを意識して、今度はおれから口を開けた。「・・・悪かった。」
「え、」
「嫌な気持ち、させたな。」
今度は、おれも目を外す。
「気持ち悪かったろ。」
そういって戻した視線の先。
あいつはおれに向き直り、ぶんぶんと首を振っていた。
「違うぞ、ゾロ。」
「え?」
「・・・迷ったけど」
ぎゅっと目を閉じて、ぱっともう一度。
おれを、見た。
「ごまかすの、やめるな?」
そう言って笑った顔は、泣いてるようにしか見えなかった。
大きく息を吸い込んで、吐き出す。
「あの時。」
そしてやってきたのは、震える声。
おれは、酔ってたけど。
嘘なんかじゃなかったんだ。
時が戻る。
思い出す。
あいつが嘘じゃなかったと、言った夜のことを。
首に回した腕も、頬にすり寄せた鼻先も・・・唇も。
そして思い起こす。
お前が元気だったら、ほっとする、とか。
部屋にお前が入ってきたら、嬉しい、とか。
おれの隣で笑ってたら、もっと嬉しい、とか。
「ゾロが好きだ。」
静かな教会に、それは厳かなほどの硬さで、確かに響いた。おれはウソップを見つめたまま、立ち上がった。
ブーツが固い床をはじく。
「いっしょの部屋で寝るとか、そういうのも、普通じゃいられねェくらい」
ゾロが好きだ。
二列前へゆくための距離は3歩。
「ヤな避け方して、ごめん。・・・目え覚まして、酷い顔したのも、ごめん。
バレたの、恥ずかしくて、辛かったんだ。」
ゆっくりそれを詰めて、冷えた頬に手を伸ばした。
雫を湛え揺れる丸い目に、笑いかけてやった。
今度はかみさまとやらの前で、おれたちはキスをした。
人気のない寮がこれほどありがたいとは、思ってもみなかったよ。
だな。
クリスマスの夜。
スチームを強めにたいて、一気に服を脱ぎ捨てて、おれはベッドに飛び込んだ。
「ウソップ」
手を引いて。
「好きだ」
真っ赤な顔で、ふたり繰り返した。
2. | 徒花 | 4. |