チョッパーと名付けられたトナカイのぬいぐるみはその日から七日と七晩のあいだ、ヒルルクのおじいさんと魔女のくれはのもとで過ごしました。
雨風にさらされて黒ずんだからだを,ふたりはいいにおいのする石鹸でふかふかに洗ってくれました。

ヒルルクはあちこちで拾った端切れをつぎ合わせて、トナカイにかわいいずぼんを作ってくれました。
くれはは、半分取れてしまった角をていねいに繕ってくれました。



そうしてふたりは、この国のこと、この世界のこと、病気のこと、こどもたちのことを、たくさん話してくれるのでした。

南には、戦場の真ん中に捕虜の村があって、貧しい人たちだけが取り残されていること。
北では、異形の民が人から忌み嫌われて家を焼かれたり、命を落としたりしていること。
 西では、はやり病を治すお金のない人が、こどもを捨てたり売ったりしていること。
 東では、戦のおそろしさも届かず、お金儲けにしがみついている人がたくさんいること。

そして、いろんなところで、いろんな人が、いろんな病気にかかっていること。


「南で金のある奴はこの辺に逃げてくるのさ。こどもだけこっちに疎開させる奴もいる。」
「そういう奴らはまだマシだな。だが問題はなんっつっても路上のチビどもだ。
 金はない、メシもない、力もない。なのに汚い所で生きている。病気になったら終わりだぜ」
「施設の孤児どもも、そうそう変わりないさね。
捨てられたこども、路上のこども、戦争から逃れてきたこども。
この辺は、国中の捨て子がたまってるってわけさ。
戦と魔女狩りにばかり精出して、いったい国は何やってるんだか。」

「そうそう、いちばんの魔女はこんなところで医者してるってのによぉ。」
「やかましいよ、ヤブ医者。」
「ヤブヤブ言うな、おれはいつかこの国を救うんだぜ?」
「そんなばかげたことは、風邪を治せるようになってから言いな。」

そんなことばを交えながら、ふたりはこの世界のことを、トナカイにわかるようにたくさん話しました。
 名医のくれはとヤブ医者でおもちゃ好きのヒルルクは、このあたりのこどもたちを回っては診察をし、みつくろったおもちゃをプレゼントしているのでした。
ある者は目を輝かせて、またある者ははにかみながら、くれはの診察とヒルルクのおもちゃを喜びました。

 チョッパーと呼びかけながら聞く二人の話を、トナカイは胸をどきどきさせながら聞いていました。

 ここが せかいだ
 おれは チョッパー



七番目の夜を越えた朝、いつものように花の香りのお茶を飲みながら、ヒルルクは魔女のくれはに言いました。
「今日、つれてゆく。」
「そうかい。」

そう応えて、くれははいつものようにくいっと梅のお酒を飲み干しました。
ふたりの顔は、いつものようにきびしくてやさしい、けれどいつもより少しさびしそうな顔をしているような気がしました。
「チョッパー。」
すっかり慣れたその名を紡ぎ、

「今日はお前の船出の日だ、チョッパー。」

ヒルルクのおじいさんは、ニッと歯を見せて笑いかけました。


今日は船出の日。
「心を持ったトナカイ、お前は今日、もっとたくさんの命と出会うために、ここから出て行くんだよ。」
魔女のくれはがくいっと、お酒をあおりながら言いました。


ここから出て行く。
チョッパーは、動かない目で必死に二人にうったえました。
言葉が、チョッパーの心をまわります。
今日は船出の日、ここから出て行く日、という言葉が、ぐるんぐるんとまわっていました。

もう、チョッパーはここにはいられないのです。
大好きな二人とこの家から離れなくてはならないのです。
そう思うと、チョッパーはかなしくてたまらなくなりました。
何とかそのことを二人に伝えたくて、チョッパーは、二人がいつもしていたように、言葉を紡ごうとしました。

いやだよ、いやだよ
おれ、ふたりといっしょにいたいよ



けれど、ぬいぐるみの声が実際にでることはありませんでした。
それがまた、チョッパーをかなしく苦しい気持ちにさせるのでした。
そんなチョッパーを見つめながら、ヒルルクは優しい声で言いました。

「いいか、チョッパー。これは別れじゃない。
おれたちがお前に使命を託したんだ。
どうか、これから出会う小さい命たちに、しあわせを分けてやってくれ。」

しあわせを、分ける?

トナカイがきょとんとしていたところに、魔女のくれははぽんと、ピンク色の何かを放り投げました。
「お前ならできるさ。ほら、しあわせの帽子だってここにある。」
ヒルルクは、くれはが投げたピンク色の帽子をチョッパーにかぶせました。帽子に縫い付けられた×印のアップリケを指して、ヒルルクは笑います。

「この×印は、不可能を可能にする、無敵のしるしだぞ。」
「ピンク色は、しあわせの色だよ。これは、あたしたち二人の気持ちさ。
…お前が誰かを、しあわせに出来るように。」
無敵のしるしをつけた、しあわせの帽子をかぶって、トナカイは考えました。

おれは、ふたりから 言葉と しあわせをもらってる
おれも誰かに、それをあげればいいんだ
言葉と しあわせを

それが、使命だ



「頼んだよ、チョッパー。」
力強い、あたたかい目で魔女のくれははチョッパーを見つめました。

もうチョッパーは、さみしくありません。
チョッパーの声は実際に出なくとも、二人にはちゃんと聞こえたのです。
それを聞いた二人が、チョッパーに使命と帽子をくれたのです。
トナカイは誇らしげに、しあわせ色の帽子をかぶった頭を高く掲げました。




青い鼻のトナカイはもう、ごみのぬいぐるみではありませんでした。
心を持った、使命を受けた、チョッパーという名の命でした。








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