「Aiha」



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 衣食住全てをビル内で賄えるようになっているASS本部では、能力者のみという環境であるため、室内設備はすべて能力者対応の特殊素材でつくられており、ちょっとやそっとでは壊れないようにしてある。
 開放型第1鍛錬室、ここはビル内でも相当頑丈なつくりをしていた。
 見渡す限り白色の壁が広がる室内はおよそ20階分のフロアをまるまる使ったもので、とにかく広い。これだけの空洞をビル内につくれるのかと感心するぐらいぽっかりと穴が開いている。
 伸縮素材の黒いパンツに空色のトップスという格好に着替えた藍葉は、手足を軽く伸ばしながら壁にかけられた名札に目を通す。名札がけに自分の名札をかけないと鍛錬室の入り口もひらかず、更衣室より外は外さないと出られないという仕組みなので、それを見れば今誰が中にいるのかひと目で分かるようになっていた。
 どの名札もいつもの顔ぶれだ。がらがらにあいた空白をまばらにうめる名前を見て、藍葉は薄く苦笑う。
 この部屋ほど広い鍛錬室は他にないので、いつも誰かしらの名前がかかっているものだが、設計時に予定していた人数の、せいぜい半分ぐらいうまれば良いところだろう。
 全員が同じような訓練や鍛錬をしているわけではなく、思い思いに床や空中に散っている、ということは、つねに何かしらの危険を伴う。
 鍛錬室に繋がる入り口にはでかでかと頭上注意、飛来物注意、前方左右上下すべて要確認、と書き殴られており、まともな神経の持ち主ならちょっとためらうような雰囲気だった。それだけここでの事故は多く、注意書きはどれも善意の叫びである。
 広くて大きくて丈夫でも、手ぶらが原則、携帯端末も不可、という程度の制限しかなく、1度中に入ったらどのような力に巻き込まれても文句言いっこなし、自分の身を自分で守るのも鍛錬、というきわめていい加減なルールで運営されているここには安全のひと言が欠けている。
 ちょっと待て、思い留まれば、人生平穏、と訴えかける注意書きは藍葉にも向けられていたが、ちらとも視線を向けない。藍葉もまたここの奇特な常連のひとりである。
 軽い準備運動を済ませてから壁に名札をかけて、あっさりと中に入った。


 3歩進んで、左に半歩ずれる。
「たいちょー、たいちょうー、マジっすか、作戦でないってぇ」
 放っておいたら直撃しただろう。
 すれすれの位置に急降下してきた男は、重力プラスαの勢いを着地寸前の中空で殺し、何事もなかったように口をひらいた。
 口もひらくが足も止めない。殺しきれなかった勢いを乗せて突進してくる体をよければ、勢い余った体はそのまま壁に行き当たり、壁を蹴ってくるりと後方宙返りをする。そのまま床の少し上で浮き止まって、ふわりと床に足をつけた。
 肌に密着する形の鍛錬着は黒、肘と膝から先は剥き出しで、鍛えられた形の良い筋肉があらわになっている。耳元でややざんばらに切りそろえられた髪はヒヨコを思わせる黄色で、眉と睫毛は黒だった。
 どことなく少年らしさを残した若い男は、藍葉を見据えてにっと唇の端を引く。
「ッ、ヒヨコ」
 待て、と言いかけたが、言い終える前にふたたび男の体が動いた。
 獲物を狙う獣のように音のない動きで一瞬のうちに間合いをつめ、らんらんと輝かせた黒い瞳の中に炎の影をちらつかせる。
 およそ藍葉の倍はあるだろう。男が放ったのは大きな火の塊だった。熱風と共に迫ってきた炎は全身をのみつくすような勢いで迫ってくる。空気が灼け、風が爆ぜるような音が藍葉の鼓膜を揺らした。
 ヒヨコ色の髪が炎の中にひるがえり、すんでのところで炎を避けた藍葉の上に蹴りが加わる。炎の影から打ち出された掌底をいなして、迫ってくる体と炎を交差した腕で受け止めた。ふっ、とつめていた息を藍葉が吹きかけ炎を払う。避けても蹴散らしても蘇る炎がようやく弱まったむこうで、若さと獣くささがない交ぜになった顔を男が歪めるのが見えた。
「オレっ、すごくかなしいんですっ」
 聞いてくださいという言葉とともに顎を狙って突き出されたこぶしを避け、切れ目なく攻め込んでくるヒヨコの攻撃をことごとく避ける。
 藍葉の顔には焦りはない。どちらかというと避けるのも面倒といったおざなりな動きで、ときどきよそ見までしていた。藍葉の体格はヒヨコのそれよりずっと劣っているし、かといってそれを補うような護身術を用いているわけでもない。
 鍛錬室を使っていた他の利用者はまたはじまったとばかりに動きを止めて、遠巻きに2人を取り囲んだ。
「ヒヨコ、そこだ、うてぇ」
「いいぞ、…ちぃっ」
「てか、相変わらず強すぎるって」
 非常に目が良い藍葉にしてみれば、一瞬のうちに音もなく動くことができるヒヨコの動きは、まるで一時停止しているようにさえ見える。その上、通常の建物なら壁も床も融け出すだろう高温の炎も、爆発も、そのエネルギーが藍葉に届く前にかき消えていった。
 相手の力を蹴散らすだけではなく、それそのものを無力化する能力のひとつだが、藍葉のそれはただ無力化するのではなく、存在していた力を組み替え、作り替える変換式を含んでいる。つまり、本来ならただの炎ではなく、ヒヨコにしか扱えない特製のそれを引っ掴んで投げ返す、という芸当もできた。そしてそれは藍葉の力で作り替えられているので、発生もとであるヒヨコに牙を剥く。
「………ッ…」
 投げ返された炎を自らの炎で融かしこむヒヨコは、暴れ回る炎に苦戦した。よけるだけの間がなかったために、そうするしかなかったのだが、それはヒヨコの予想以上に悪辣な組み替えをされていて、うまく吸収することが出来ない。
「あ、まずい」
 誰が呟いたかその声にヒヨコが気づく前に、一瞬の隙をつかんで懐に入り込んだ藍葉の膝が、無防備にあいた腹にくい込んだ。鈍い感触とうめき声に構わず、衝撃であふれ出した炎ごと、蹴りが決まる。
 その勢いで横に流れた体が炎に包まれ、ヒヨコの全身に橙色の影が落ちた。
「どぉしてですか、オレ嫌いなんですか」
「いや?でも、うっとおしいな」
 生きて動くもののようにまとわりつく火の紐を藍葉が振り払うと、まるで散り消えた火の気を吸い込んだようにヒヨコの体が赤みがかっていく。全身に炎をまとった手足は、その前よりも動きが素早くなっていくようだった。
 ヒヨコの体は炎との親和性が高く、彼がつくる炎は穏やかな温もりであり、手足の代わりになって働く子どものようなもの。
 藍葉製のおいしくない炎を吸収した後だったので、口直しの意味もあるのだろう。1度放出した炎をふたたび取り込むことで、周囲の空気が乾き、熱をはらんでいく。
「あー、ヒヨコ本気だ」
「まずいな、誰か膜はっとけよ」
 2人を囲んだ外野のひとりが、炎を防ぐための保護膜を発生させる。目には見えないが、それは利用者たちを覆い、彼らと藍葉たちを分けた。
 肌を灼く熱気から逃れ、巻き込まれることを恐れて膜に包まれた人の輪を見上げる。別段それらを気にしていたわけではないが、思う存分やれると感じるのも事実だった。藍葉は外野から視線を外すと、真っ直ぐヒヨコを見つめた。
「ヒヨコ、来い」
 挑発するような言葉とともに藍葉がはじめて笑みをうかべる。
 夜青の双眸が橙色の炎を映してきらきらと輝くと、それに魅入られたようにヒヨコの周りを青白い光がにじみ、朱を青に青を白へと色を変えていった。
 より深く練り込まれた高温の炎がヒヨコから吹きだした一瞬、まるで自ら炎の渦に飛び込むように動いた藍葉が頭上へと躍り出る。物見高い傍観者たちの中から、あ、と声がもれた瞬間、藍葉の蹴りがヒヨコの背をとらえ、抗う間もなく彼を自らの炎ごと床に叩き付けていた。
 あまりにあっけない。
 だがそこにはヒヨコを凌駕し、人の輪を守るためにつくられた保護膜を霧散させるほどの力の一端が垣間見える。藍葉のつよさを改めて感じ取った人々が押し黙ると、鍛錬室の中に沈黙が降りた。
 あっさり負けを掴まされたヒヨコは落とされた衝撃で息をつまらせ、激しく咳き込む。彼を包む炎が完全に鎮まったのを見計らい、藍葉は床の上に着地した。
「ううぅ…たいちょー…、ひどいっす、オレ、隊長との作戦楽しみにしてたのにぃ…」
「ヒヨコ、僕が考える作戦に何か不満でも?」
「…いえ、ないっす」
 部下のそばに屈み込んでにっこり笑顔をうかべた藍葉に、背筋がぞっとするような何か恐ろしいものを感じ取ったヒヨコは首をふるふると横に振った。全身を強張らせたのはヒヨコだけはなく、藍葉からわずかに視線を向けられた外野もである。
 足音ならぬ飛行音を消すようなそうっとした動きで散っていく人々にため息をこぼし、藍葉は床の上で小さくのたうつ炎の残滓を眼差しひとつで掻き消した。
 ヒヨコは藍葉の部下の中でも好戦的な部類だが、隊長を本気で怒らせたいわけではないのでそれ以上文句はないようである。だが、あっさり負けたのが悔しいらしく、膝を抱えていじけたように唇を尖らせていた。その頭をぽんと叩いて、藍葉は夜色の瞳をやさしく細めた。
「新しい作戦はおって伝える。詳しいことは副長に聞いて」
「あっ、あああ、た、隊長っ」
「なに、ヒヨコ。急に大声なんか出して」
 怪訝な顔で首を傾げる藍葉に、一生懸命ヒヨコは目を動かしている。後ろを見ろってことか、と気づいて、何気なく振り返った藍葉は、あっさりいなくなった人の輪に自分以外の力が足されていたことを知った。
 この部屋では目立つきっちりとした格好の男が、振り返った藍葉に小さな微笑みをうかべた。
「隊長」
「あー…副長…」
 見なかったふりをした。だがそうはいかない。あらためて名前を呼びかけられれば振り返らずに済ませらず、できるだけゆっくりと振り返る。
「…なに?」
「隊長。いったいこんなところで何をされているんです?」
 冷え冷えとした声だ。
 とても自分の近くで立ち働く者とは思えない。いるだけで寒くなりそうな声である。ヒヨコとの対戦で温まった体も熱気をはらんだ空気もぜんぶ冷却されながら、藍葉はしぶしぶ男と向き合った。
「…ここは鍛錬室だから」
「それが何か」
 彼がひとつ声を発する度にどこかしらからため息がもれ、ぼうっと熱のこもった視線を集める。1度散ったはずの人の輪がふたたび出来ているのを感じて、藍葉は眉をひそめた。
 この冷たい笑みが見えないのか、とため息の主に伝えたかったが、彼らには特殊フィルターがかかっているため、どんなに素っ気なく味気ない反応を男がしようとも、素晴らしい1枚の絵に見えてしまう。
 副長、鴫原映(しぎはら えい)は年齢不詳の中性的な顔にやわらかな笑みをうかべ、頭ひとつ分下にある隊長を見おろしていた。
 線が細いくせに背があり、そのくせ華奢ではない。品の良い白いシャツと紺のスラックスを身にまとう体は程よく鍛えられており、凛とした美貌を際だたせている。
 流れる水のように清みきった双眸で彼は自らの隊の代表を見下ろした。
「隊長。私は午後4時25分に第17会議室に来て下さいと申し上げましたね」
「話なら自室に帰ってやる、って言った」
「ええ、今は手が離せないから、ということでした。手が離せない何かはお伺いしませんでしたが、…」
「だからそれを片付けて」
「小河。今の時間を教えてください」
 突々に指名を受けたヒヨコははいぃっ、と奇妙な声をあげて飛び上がる。
「ごっ、午後4時27分です」
 鍛錬室の上部に掲げられたホログラム時計を読みあげた声は恐怖に充ち満ちている。副長に睨まれて平気な顔でいられる隊員など滅多にいない。彼を副長にいただく隊員は、彼が本気で怒ったときの恐ろしさをよく学んでいた。
 鴫原は部下の動揺など知らない振りをして、にこやかな笑みをうかべた。
「あなたの手が離せないは2分で片付くんですね?」
「………ゴメンナサイ」
 会議室に行くのが面倒だっただけなんて打ち明け話は言わなくても通じる。
 それが隊長と副長の業務にどれだけ役立っているかは別だが。
 素直に頭を下げれば鴫原はいったん怒りを引っ込めてくれるが、せっかく着替えた鍛錬着はあっというまに元の服へと戻るはめになる。怖いもの知らずと呼ばれる第1鍛錬室の面々は、連行されていく藍葉を複雑な面持ちで見送った。
 そこにはできることなら代わって欲しいという羨望の視線も含まれていたものの、生きて帰って来いよ、という激励もたっぷり含まれていた。第1鍛錬室よりも恐ろしい副長鴫原。ASSでその名を知らない者はない。



「あー…、もう少し運動したかったなあ…」
「鍛錬なら開放型ではなく閉鎖型を使って下さい。危なくてしょうがない」
「それ、つまらない」
 開放型は複数の使用者が使うもの。閉鎖型は主にひとり、ないしふたりで使うものである。
 ヒヨコとの手合わせを思い出しながら、藍葉は傍らの副長に目をやった。
 嫉妬と激励に見送られた藍葉だが、周囲の想像とは裏腹に鴫原は恐怖の大魔王でも鬼のような仕事好きでもない。仕事に戻れば、鴫原は非常に有能な副長だった。藍葉は彼の能力を正しく評価しており、頼みにもしている。
「シギ、社長からは何て?」
「すべての作戦からしばらく隊長を外すようにと。詳しい話は間宮統括から伺いました。エルシルカが性懲りもなく動き出したそうですね」
「ん…?断定はしてなかったと思うけど」
「ええ。ですが、同じようなものでしょう」
 鴫原は藍葉がつくった作戦変更案を見やすいよう作り直しながら、いくつもの画面を開いてベッドに寝そべる藍葉の頭上に並べる。
 隊長に与えられる私室は2LDKだが、藍葉と鴫原は同居しているのでそれよりも広い部屋が与えられている。しかしその殆どが資料と私物とで埋め尽くされ、足の踏み場もないので主な作業は寝室で行うことになっていた。唯一ここだけが広いスペースを残している。能力者としても優れた2人だが、揃って片付けが苦手だった。
 もぞもぞと体を起こして、藍葉は鴫原が清書したデータを横から確認し、承認印を捺したものはそのまま社長宛に送信する。気になった部分は改めて詰めつつ、傍らに新しいパネルを起動させて、別の作業を始めた藍葉に鴫原は小さく片眉をあげた。
「また貝原主任と濃度争いをされているんですか」
「マメに変える貝原さんが悪いんだよ」
「…常々不思議なんですが、ごく微量でしょう。使用感としては変わらないと思いますが」
「変わるよ。味が違うし、なんというか…感覚も違う」
「味が分かるんですか?ポッド内で?」
 Dポッドに注がれる溶液内にいると、一般的には感覚が鈍くなると言われている。生命活動を低く抑えられているせいもあり、意識などないに等しい。鴫原は医療ポッドも滅多に使わないので詳しいわけではないが、かすかな薬品臭を覚える他は薄ぼんやりとして、液体に覆われている感覚さえ遠かった。
「医療ポッドは睡眠ガス吸入を行うけど、Dポッドにはないし、…まあ、なんとなくだけどね」
 驚きを見せる鴫原に藍葉は薄く笑みをうかべた。
 鴫原の反応はごくあたりまえのものだろう。使用感で濃度に気づく藍葉が特殊なのだ。
 エルシルカの研究体である藍葉はDポッドと馴染みが深い。繰り返し溶液にくるまれていれば違いが分かるわけでもないが、人より回数が多い分、慣れはある。
 藍葉は立体パネルにペンで書き込みをしては、計算式を組み込んでシミュレーターを動かしていた。幾ら繰り返しDポッドに入ってきたとはいえ、D溶液のDは"死"の頭文字だと隠喩されるほど扱いが難しい代物である。
 高度な知識と閃きを要するそれを片手間にやるのだから呆れたものだ、と傍らの鴫原は思っていたが、口にはしなかった。
 Dポッドの管理者なら医療ポッドは簡単なものだと言われているものの、その医療ポッドの管理者でさえなるのは非常に難しい。
 ちなみに藍葉は管理者の資格を持っていないので、今している作業を実際に実行すると法律違反ではあったが、その辺りはうやむやである。とはいえ、あんまり堂々と言いふらすことでもないので、藍葉も鴫原も、ひと目のあるところではDポッド関連の話をしない。
「シギ、明日からなんだけど」
「護衛の件でしたら、宮塚をすすめますが」
 宮塚は現役の高校生で、藍葉と歳が近い。若い隊員だが冷静で的確な判断には定評があり、能力者としてはBクラス。能力と体術を混ぜて使うので攻撃力防御力ともに抜きんでたものがあった。無愛想なので要人警護にかり出すと怖がられるのが玉に瑕ではあるが、頼りがいのある隊員のひとりだと言っていい。
「学内まで警備するの?あんな脅しで?」
 目を円くした藍葉が計算式を書き直すのを見ながら、鴫原も当然だというように頷いて新しい作戦の補正人数を打ち込む。
「あなたはASSに8人しかいない隊長ですよ。これが余所の組織なら四六時中べったりとくっつく護衛のひとりやふたりいてもおかしくはありません」
「余所は余所、ここはここ」
 軽くいなしながらも、藍葉も鴫原もそんな環境はうんざりだと顔に覗かせている。
 ASSは職員数から言うとそれほど大きくもないせいか、おおらかな部分をたくさん残している。創設者にして立役者、ASSをASSたらしめる社長の朱月からして気取ったところがないし、上下関係に至っては他から来た人々が驚くほどあってないようなものである。
「宮塚かぁ…」
「取っつきにくくても、それがあれの個性ですよ」
「分かっているよ。でも時々毒を吐くからなー…ヒヨコが一緒でもいい?」
 譲歩案に鴫原は眉をしかめた。
「小河…ですか。水と油ですよ?彼らは」
「ヒヨコ、僕と仕事したかったみたいだし」
 厳密に言うと藍葉とする仕事ではないが、連れて行けば機嫌も治るだろう。
 幸いヒヨコは若く見えるし、二十歳を超えているようには見えない。
 すぐ頭に血が昇るが、能力者としてずば抜けているヒヨコと、冷静に物事を見極めるが超弩級の生真面目体術使いの宮塚。見た目から言っても静と動をものの見事に体現したような彼らは仲が悪かった。
「だめかな」
「あなたが良いなら構いませんが、授業にはちゃんと出てくださいね。ふたりと遊ぶのに夢中になって授業をおろそかにした、ということにでもなったら、ただじゃおきませんよ」
「はーい」
 にこやかに言っているがけっこう物騒なのは鴫原の基本仕様だ。
 藍葉は大人しく頷いて、最後の1枚を送信する。書類用にひらいていた画面を閉じてから、ひとつだけ残した画面を手もとに引き寄せた。
 藍葉が何かしでかしたら、結局回り回って迷惑を被るのは鴫原である。
 そのことについて、何も感じないといったら嘘になる。いつもそのことを考える前に行動に出てしまうことが多いのが藍葉だが、鴫原はそんな藍葉に呆れはしても、見捨てることなく傍にいた。
「……シギ、迷惑をかけてごめんね」
「隊長を頼りすぎないようにするためには、時々こういったことも必要でしょう。隊員にはあなたの出席日数に警告がでたと言っておきましたから」
「…しゅ、出席日数?」
 耳を疑ったのと同時に軽快な警告音とエラー文が表示される。殊勝になりかけた気分はどこかへ行き、藍葉の眦がつりあがった。
 藍葉は打ち間違えた数値を訂正し、鴫原を睨んだ。
「なんで出席日数」
「なんでもなにも事実でしょう。中学校ぐらい卒業しましょう?曲がりなりにも由緒正しい朱月家の子息であらせられるのですから」
 卒業も何も、藍葉が通うのは中高大一貫教育で、ふつうに過ごしてさえいれば卒業と同時に高等部進学が待っているエスカレータ式だ。出席日数や定期考査の点数がある程度考慮に入れられるとは言われているものの、かなり高額な学費を必要とする私立校であり、名家と呼ばれる子弟ばかりが集められている故に、留年などないに等しい。
「学校って、嫌いじゃないけど面倒だよ。シギだって、結構大変だったんでしょ。その顔だもの」
 少なくとも大勢の学生の中にあって、鴫原の美貌は悪目立ちするし、近寄りがたいと思うならまだしも支配下におきたいと、はき違えたことを考えてくれる者も山ほどいただろう。
 鴫原は曖昧な、それでいて強烈なほど美しい笑みをうかべて藍葉の問いに答える。
「そんなもの、どうとでもできますよ。それが楽しいのですしね」
「あ、ー…それ、僕の悪影響だって言われるんだろうなあ」
 シギの同級生、またASSの同期生は9割の確率で潜在的なシギ信者と揶揄される。
 幾つも年下の藍葉が彼の上に付く、その理由もそこにあった。藍葉は鴫原信者にはなりそうもない性格であり、彼よりつよい上位能力の持ち主であるからである。
 ちなみにたとえ信者たちであっても、彼を神さま扱いし出すと彼自身に潰された。鴫原は神格化されるほど出来た人間ではないし、そんなふうに言われることをこの上ない不名誉と捉えている。
 不機嫌な顔つきになった藍葉に微笑みをうかべ、鴫原は彼よりもずっと小柄で、儚く、それでいてつよい、たったひとりの少年の隣に寝そべった。藍葉のやわらかな黒髪に指を入れ、軽く梳きながら耳もとに唇を近付ける。
「分かってください、藍葉。これはあなたを守るためです」
「………わかってる、けど」
「とりあえず、ひと月様子を見ます。あなたのつよさは充分承知していますが、エルシルカなんかに藍葉を渡すわけにはいきません」
 思いを込めた鴫原の言葉を受けて、ぐずぐずとごねていた藍葉のこわばりが解ける。どうか守らせてください、と申し出た鴫原に、おずおずとした小さな頷きが返った。
「わかった。シギ、…ありがと」
 言葉を重ねすぎると嘘めくかもしれない。たとえそうであっても、それを補って余りあるほど誠意溢れた眼差しと、触れ合うほど近くにある温もりが2人にはある。
 穏やかな表情をうかべて藍葉を見つめ、鴫原は優しく目許をゆるませた。細く滑らかな感触を与えてくれる髪をもう1度撫で、振り向いた頬に唇を寄せる。どちらともなく腕を回して、2人はそっと唇を重ね合った。



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