「air seed」



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「ユマ?」
 始業を知らせる鐘の音が鳴らされても、部屋の外へ出てこなかった僕のもとにペスズが来て、目を丸くした。
 一方的な契約の破棄がこうまで体に負担が掛かるなんて知らなかった。
 何度も繰り返しはいて終いには血さえ吐き出したのに、嘔吐は止まらず、身動きすることもできなかったからそこらじゅうに戻した。部屋の中はひどい有り様で、うんざりする。
 臆することなく飛び込んできたペスズは、僕を湯に入れて清めてくれ、使い物にならなくなった家具を捨て、何事もなかったように部屋を整えた。そのすべてを学園を通すことなく、彼の名の下に済ませたという話は、後から知った。
 学園は平等を謳ってはいる。確かに一般の生徒も王族も同じ環境に身を置く。
 でもまったく影響を及ぼさないかと言えばそうではない。
 甘い蜜にたかる虫のように、より大きな国を背負う者の周りにはその恩恵に授かろうと人が集まり、権力をつくる。表向きは禁じているから、より水面下での争いになっているはずというのは国に残してきた部屋付きの侍従の弁で、確かにその通りなのかもしれなかった。
「ペスズ。今回のことで掛かった費用は僕につけておいてくれる…?」
 彼がいなかったら、駄目にしてしまった家具やらの請求書が国に行ったに違いない。それは困る。まさかこんなことになるとは思っていなかったから、余分なお金はまったく持ってきていないし、つくってもない。じいやはへそくりを渡してくれたけれど、たぶん絨毯を買い換えた時点で底をつくだろう。沈貝を屋根に使う寮なんてきらいだ。
「…ユマに?」
 不思議そうに首を傾げながら、ペスズは運んできた食事を傍に置く。
 潰した豆の入ったスープ。昨日まではすりつぶされていたから、少しは回復したと言うことらしい。
「嫌そうだね」
「ここはこれが主食だと知っています」
 薄められて殆ど豆らしさのなかった病人食のほうが良かった。
 ペスズは小さく笑って、ベッドの横に置いた椅子腰掛ける。きちんと席について食べられたらいいのだけれど、それはまだできないから、半身だけ起こして器を受け取った。
「ユマは王族でしょう」
「身分を訊ねてはいけないと規則に」
「自分から言うのは自由だよ。僕の正式名はペスズ・アンテル・カ・ジュセという。ちなみに第3王子。国は姉が継ぐ」
 ジュセは南の、とても豊かな国。
 国土はあまり広くない。けれど豊富な資源と、高い技術力がある。
 キューブもフロウも、ジュセで生まれたものだから、さすがの僕もその名は知っている。裏を返せば僕でさえ知っている、大国だと言えた。
「どうして…僕に?」
 案内生は学園が選ぶ。
 ジュセの王子を僕に付けた意図がまったく分からない。
 でもまさか偶然でもないだろう。
「訳ありの難しい子どもが来るので頼むと言われた」
「ジュセの王子に手を煩わせなければならないほどの?」
 自分のことだけど、驚いてしまう。
 僕はそれほど問題児だったのか。
「僕ならある程度のことを学園なしで片付けられるからね。案内生はね、学内のことを生徒に一任し、口を挟まない代わりに、学園が引き受けざるおえなかった特別な事情の持ち主を保護、または監視する役のことなんだよ」
「…………」
「ユマリエ・メルルト・フォーレペルゲ。僕も誓いを破ったことがある。3夜続けて熱を出し、血を吐いた。医師は原因不明だと匙を投げた。何しろ古いやり方だ。今時、命を使って契約をかわすなんて馬鹿げている。でもそれほどの意味のある誓い…まさか、北の王子と関わることじゃないよね」
「…………」
「まさかとは思うけど破棄したの?小后の誓いを?…どうしてそんな愚かなことを」
「ラトはいずれ王になり、僕は傍にはいられないからです」
「幻の国の民が実在したってことも驚きだけど…清浄な空気と"素力"に充ちた国に育つ彼らは他の地では生きられない、その噂は本当だってこと?」
「それもあります」
「それも?他には何が?」
 フォーレペルゲは幻の国と言われている。
 人は国の姿を見て取ることが出来ない。もちろん国交なんてものもない。
 民が余所では生きていけないように、他の国の者が中で長く生きることも出来ない。稀に例外はあって、外の国からふらりと訪れる者がある。そういった者は生きていける。ラトもそうだ。
 でも他とは隔てられて長い時を過ごしてきた僕たちは、少しずつ他とは違う独自の変化を遂げ、人の国として地図に載ることはできない。もはや異種族だった。
 国の医師は、彼相手に分化はできないだろうと言った。僕はラトとの間に子どもをもうけられない。そういうことになる。
 知らなかった。知らなければ良かった。
 承石は壊すしかない。
 跡継ぎをもうけられないと分かっている者を、国の后に据えさせるわけにはいかない。
 僕はラトも、ラトの治める国も、幸せであってほしかった。



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