学園側が僕の事情を知っているだけでなく、学内の自治を生徒に一任しているなんて思いもしなかった。 本来なら生徒は次の長い休みが来るまで、一切外には出られないけれど、でもどうにかして壁を越えなければ。ゆっくりはしていられない。あの王子さまを止められる人は、たぶんここにはいない。 地下から集めた水を湯船にためて、朝陽を使って灯した火を沈める。 熱が伝わりきるのを待って、刃先を指に当てた。 血の滴がこぼれて、紅い湯気が立つ。 「…マ、ユマリエさま…」 「シュシュ。シュシュだよね」 馴染みのある侍従の声がして、ほっとする。 やはり壁のせいか、音が割れやすく姿までは映してくれない。でも充分だ。 「おねがい、道をつくりたい。場所はじいやが知って」 「侍従長から…お言葉をいただくのは不可能です」 息をのんだ。聞きたくない。でも、知らなければいけない。 僕の迷いに構うことなく、侍従は続けた。 「あのお年で外に出られるのは無理だったんです」 たいへん危険な状態だと、シュシュの声は冷ややかに告げる。 真っ白になった頭の中から伝えなければと考えていた全てが滑り落ちて、何も考えられなくなる。 「なぜわたくしをお連れにならなかったのですか」 「それは…」 誰にも迷惑をかけたくなかったから。 これは僕の問題だから。 だからひとりで行こうと思って…じいやはそんな僕を見透かすように途中の国で待ちかまえていて。 はじめは母さんが寄越したのだと思ったけれど違うと言い張るし、考えていた以上にひとり旅は不安で…結局甘えてしまった。 「泣いているときじゃないでしょう。わたくしがそこへ行って、拭ってさしあげることはできないのです。この通信状態では長く保ちません。そちらと分かる、何か目印をお教え下さい」 「め、めじるし…」 道をつくるには繋げる先の姿を正確に思い描けなくてはいけない。 記憶を渡すこともできなくなっているのだと思うと、自分のしたことが恐ろしくて、どうしたらよいか分からなくて、また涙があふれてきてしまう。 じいやと呼んで、それから言葉にならなくなる。嗚咽を洩らすだけの僕に焦れたシュシュが何か無茶をしたらしく、湯気がぶれて微かに姿を結ぶ。白いもやに映し出された侍従は、同い年なのに僕よりずっと大人びた仕草で目を細め、腕を伸ばした。 湯気で作られているから、少し暖かい。頭を撫でられると、水に戻った粒で髪が濡れる。 「ほんの小さなことでいいんです。そちらは寮ですか。どんな建物なんです。屋根の色は?」 「し、沈貝…の屋根」 「全棟が?」 「この寮だけ」 「……愛情が深いのも、考えものですね」 シュシュのため息を最後に映し出されていた姿がかき消え、はっと振り返る。 しまったと思う。 「ラト…」 「少し話をしようね?」 ラトもまたつよい力の持ち主であることをすっかり忘れていた。 こんな壁の中にいても、"素力"を使った気配を、彼は感じ取れる。 浴室には逃げ場がなく、唯一の出入り口に立ったラトはにこやかに微笑んでいたけれど、簡単には見逃してくれなそうだった。 |