「air seed」



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 白と薄灰の雲を塗り込めたような色合いをしたその種は、大気の層に浮かべて使う小さな舟で、良く見ると中がくぼんでいる。
 防壁を管理する塔はひたすら真っ直ぐに月を目指すように伸びて、その舟を使わないと最上階には辿り着けない。
 雲の上はただ蒼く、静かだった。
 透明な壁に覆われた円形の部屋は、唯一自由に出入りできるのだというラトが気紛れにものを入れるようで、座り心地の良さそうなソファがひとつと、小さな棚が置かれていた。
 当然のようにひとつきりのソファに僕を座らせて、どこからともなく匂茶の支度をしてくる。同じ葉っぱを使っても、僕が入れると甘くなり、ラトが入れるとすっきりとした風味がでて、とてもいい。
「聞いても良いかな」
「……ん」
「誰がユマにおかしな知恵をつけさせた?」
 むせた。飲み込んだお茶がへんなところに入ってしまって、咳き込む。
 おかしな知恵って…。
 背中をさすってくれたラトを、小さく睨んだ。
 長い名前を教えて貰っても僕には国の名を読み取ることが出来なかったし、正直今も、ただの旅人に見えるけれど、ラトと出会ってから、僕は国の外のことを知りたいと思ったし、たくさんのことを覚えもした。
「リューセリア・エル・レイト・ラトルリアス」
 知恵を付けさせたのは、ラト、おまえだよ。
 外から隔てられた国に変化をもたらすのは、いつも旅人で。
 ラトの訪れは僕だけじゃない、国の民すべてに何らかの影響を与えている。
「僕は国とは繋りたくない。おまけはいらない」
「婿養子に行くよ」
「もう遅いんだ。リューセリアの王子が、幻の国の姫と恋に落ちたって噂になっている」
「おかしいね、ユマは王子なのに」
「ラトが分化をもたらせる体質なんだから、そこはどうでもいい。問題は」
「手出しはさせない。そう簡単に踏み込まれるような国でもないと思うけどね。それでもこわいの?」
 民の誰も、恐怖は抱いていない。もうとうに、人の国とは縁が切れているから。
 たとえ僕のことで国周りが多少うるさくなっても、そんなものは放っておけばいい。
 でも。僕はゆっくりと首を横に振る。
「こんな…沈貝を屋根に使える国で育った王子だなんてみんな思ってないよ」
「沈貝…?」
 ラトは不思議そうに首を傾げる。この王子さまはお金持ちなので何を言われているのか分からないんだろう。僕は王族だけれど、金銭感覚は庶民と変わらないのだ。
 フォーレペルゲには外貨が殆どないから、外のものを買うときはいつも悩む。
 金銭感覚の違いは些細なものだけれど、積み重なれば大きな溝になる。長い名前に含まれた国の名が、僕とラトに線を引く。
 そこを越えていくことはできないのだと、思い知らされる。
「外の人たちから見れば僕の国は豊かとは言えない。ラトが僕をこの学園に呼んだのは、あってないような僕の肩書きに多少の箔みたいなものを加えようとしてくれたんだと思うけど…」
 ほんのわずかな期間在籍するだけでも、あの学園にいた、ということを人は重く見てくれるらしい。
 王族だけでなく、国民もそうだという。
 ひとりで服も着られない王様より、身分の上下なく学園生活を送れる人の方が好感がもてるのだろう。
 幻の国といえば聞こえはいいかもしれないけれど、そんなもの言おうと思えば誰もでも言える。王族らしい豪華な支度もできないし、どこの馬の骨だと思われても仕方がない。まちがってもリューセリアの王子の小后に選ばれる人間じゃなかった。
 ラトの気遣いはうれしい。
 でも甘えてはいけない。
「幻の国の姫に愛想を尽かされたってラトの疵にはならないよ」
 迎え入れたりなんてするほうが、頭がどうかしてしまったんだろうと思われかねないけれど。
「僕がラトのそばにいると、だめだ。たまに…また…来てくれるぐらいでいい。それだけで充分だから…」
「いやだね」
「聞かない。頼むから分かって」
 僕は耳をふさぐ真似をする。
 ラトは微笑み、両耳にあてた手を優しい手つきで、でも容赦なく剥がした。
 聞かないと言ってるのに、わざとらしくすぐ近くに体を寄せてくる。
 こそばゆくて笑うと、ラトは目の前に跪いて僕を見上げた。
「鉱石の類に執着を見せる一族だってことをすっかり忘れてたよ」
「…………」
「あれはね、ただの飾りではないんだよ。屋根に沈貝を使ったのはね、空気をきれいにしてもらうため。体を弱らせないよう、なるべく浄化された場所を提供したかった。フォーレペルゲの方々は、閉じた世界で暮らしているかも知れないが、好奇心が失われたわけじゃない。外のことを知ろうと思ったときに、学園はちょうどよい場所になると思わない?」
 色々な国の優秀な子どもが集められているから、学ぶには都合がいいかもしれないけれど、はいそうですかというわけにはいかない。言いくるめようとしているのは分かる。
「ここは籍をいじれなかったけど…外へ行くときは適当に仕入れるし、わざわざ学園に行かなくてもいい」
「そうかな。ユマの国は別として、ここほど浄化された場所はないと思うよ」
「"素力"が薄すぎる」
「まあね、でもユマにはあまり関係ないよね」
「ここへ来るだけでも負担になる」
 じいやが大変なんだ。
 どうか諦めて欲しい。
 今のラトは、ちょっとどうかしちゃってるよ。ラトには守るべき国が、民が、他にある。
「道をつくってしまえばいい」
「よほどのことがない限り、道は……」
 首を振りかけて、止まる。
 道が欲しいと言ったような。つい少し前に。頼んだような…。
 思い出した途端、肌に触れる大気が揺れる。
 はっと顔を上げた僕に、ラトもまた後ろを振り返った。
 その先にはただ透明な壁があり、空が続く。防壁はあらゆる干渉を避けるけれど、僕たちがつくる道は直接場所と場所とを繋いで、何にも阻まれない。
「弟から離れろ、この外道」
 振り下ろされた銀の剣を、ラトが手にしたカップで受けた。
 かちんと音をたてて2つに割れた器から零れた匂茶は、氷の粒になって床に散らばる。
 冷気を放つ大国の王子さまと怒気をみなぎらせる兄たちを見て、僕は手のひらで顔を覆った。



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